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longest-one-way-tripの日記: 常陸太田支線

日記 by longest-one-way-trip
2005年3月30日に常陸太田支線に乗車している。以下はそのメモである。

常陸太田支線は水郡線の支線である。支線を持っているというのは何やら立派に感じる。地方交通線では珍しい部類ではないか。常陸太田支線は、水郡線上菅谷駅から常陸太田駅間の19.6kmである。5駅を15分程度で走る。

こういった盲腸線には、かならず延伸論者というか、論者とはいかないまでも、どこそこの鉄道駅につなげたいと想像して楽しむファンがいるものだけれど、常陸太田支線には、そういったひとがいないようである。そもそも、このような盲腸線が出来た経緯を私は知らない。

さて、この日は15時12分常陸太田発の列車に乗車したのだが、車中は西日が強すぎてカーテンは締め切り。私も眠くてじっとしていたという体たらくであった。書くことは少ない。話は、この日が最終運行の前日だった日立電鉄を中心に据えることになる。

この日は、3時発の予定であったが、仕事がおした。仕事といっても商売ではなくて、手紙を何通か書く必要があった。が、なかなか筆が進まない。結局、5時過ぎになって書き上げて、出発。日立電鉄は翌日にまわすかとも思ったが、それは危うい。どこの鉄道であったか、廃線日は大雨か何かで運休になったというケースがあった。

青春18きっぷの3回目は、御茶ノ水駅からに決めた。途中の郵便局の時間外窓口で手紙を出しすがら、御茶ノ水まで歩く。6時20分頃、改札を入った。しかし、おなかがすいた。この先、茨城まで食事が摂れないとなると空腹に耐えかねる。ホームを突っ切って別の改札を出てコンビニを探すのだが、駅前には見当たらない。

結局、早朝から開いている駅前のパン屋でパンを買う。そして、さっき青春18きっぷに検印を押してもらった入口からまた入るわけだ。駅員さんがちょっと妙な顔をしていた。6時28分、御茶ノ水駅始発の総武線各駅に乗車。

6時59分、西船橋から武蔵野線。新松戸乗り換えで、柏。柏からは7時31分の高萩行きに乗り換える。友部ぐらいまでは意識があった。水戸で何分か停車していて、そのときに起きたらしい。後で時刻表を見ると停車時間は14分であったが、夢現に、何分だか遅着したとアナウンスがあった気がする。

後ろの席に、水戸から、話し声の高い客が乗ったようだ。9歳と5歳と、60歳を過ぎたくらいの男性。9歳男子が一生懸命話す。鉄道好きらしい。大阪から茨城に直通する列車はないんだ、とか云々、「おじいちゃん」につっこまれるままに話す。その「おじいちゃん」なのだが、なんだか、ちょっと皮肉な口調で、この不快な話し方は記憶があるな、と考えるのだが、記憶の奥底で思い出せない。

そうこうしているうちに、大甕。ここから日立電鉄に乗っても良い。が、今日は晴天である。常陸多賀から2kmも歩けば日立電鉄の終点鮎川駅である。そのルートをとった。9時52分、常陸多賀着。駅前の地図をよく頭に入れて、出発。

私は、1kmを10分で歩くのを目安にしているから、2kmなら20分。高校の角を右に曲がると、まず、常磐線の踏切があった。工場の塀を右手に沿いながら、数百メートルも歩くと、今度は日立電鉄の踏切である。レールが光を反射してなかなか綺麗だが、ゆがんでいるのもよく分かる。

道が分からず、ちょっと不安になりながらも、鮎川駅に着いた。着いてびっくり、駅前には30人ほどのひとが列を作っていた。警備員がいて整理を行っている。廃止当日ではないにしても、平日なのに結構な賑わいである。

列がなかなか進まないのは理由があった。券売機がひとつしかないのである。JRであれば、混雑が予想されるときは臨時の売り場を設ける。こちらは人手が足りないのであろう。さらに、その券売機は新千円札に対応していなかった。廃止が分かっているのに、券売機を更新することはなかったわけであるが、その旨の表示が小さく、お札を入れてから戸惑う客も多かった。加えて、これが一番の問題だと思うのだが、自分の番がきてから、運賃表を見て、財布を取り出す客の多いことであった。

結局、長く待たされて、10時35分発の電車に乗った。

今日は疲れたけど、感動の醒めないうちに書かないとな。鹿島線も。
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