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日記

m_nukazawaの日記: ノー・プライバシー・キャンペーン 12

日記 by m_nukazawa

というのをセルフで始めた。
個人活動の活発化と効率化を目的として、それを阻害するような『個人情報公開に対する自分の中での忌避感』を和らげていこう、というキャンペーン。

友達にSkypeでそんな話をしたのだが、そもそも我々はインターネット勃興世代で、インターネットと言えば2chだった。
2chは匿名性が前提の無法地帯であり、「IPアドレスから個人情報を割って公開し個人宅に凸する・させる」的攻撃は、ICBMに相当する畏怖の対象として扱われている。
明に暗にインターネットの暗黒面、特に個人情報公開の危険性を刷り込まれてきた私たちの世代は、インターネットで個人情報や実名を公開することに抵抗を感じ、行動をためらうことが多い。
(googleを例外として。Don't be Evilの時代はとうに過ぎ去ったレトロ時代の感傷に過ぎないと知っていながら、無心唯物結果主義寄りのはずの私たちが、あの頃のgoogle幻想を未だに信じ縋っているように感じる。)

だが2018年(2019年はまだ始まったばかりなので)のインターネットはもう匿名で何かする仕組みになっていない。
インターネットで実名活動するリスクは別に減ったわけではないが、皆が実名・個人情報提供と引き換えに利便性を受けている社会で匿名性を守ることはコストが高くなってきた。このコスト高沸も含め実名活動を避けることは「業務に支障をきたすセキュリティポリシー」「何もしないリスク」と言われるものに似てきて私的生活の足を引っ張っていないか、という疑問と危機感がある。

そこで「ノー・プライバシー・キャンペーン」と銘打ち、インターネットを含む非匿名サービスの利用を試していくことにした。
キャンペーンのタイトルなので、内容に対してわりと大げさな言葉を使っている。

インターネットやサービスに対して、個人情報を渡すことをある程度許すようにする。
方針としては以下の通り。
- 購買履歴を追跡されるクレジットカード・ポイントカードを使う・使うのを避けないようにする。
- 新しい通販サイト・Webサービス・トラッキングシステムに登録する。特にこれまで避けていた、個人情報・金銭的にクリティカルなもの。
- SNSで実名アカウントを運用する(実名運用に相当する個人特定可能な情報公開をある程度していく)。
具体的には、外出先のコンビニでSuicaで決済する・クレジットカードを集約して家賃などもクレジット決済に切り替える・メロンブックスの通販でのぞみぞ本を予約する・メルカリでPCパーツを売り買いする・インスタに家の近くの風景写真や料理写真をUpする・スマートバンドを付けて健康状態をスマホとWebに保存する、といった活動をしている。

Tカード(ファミマでTカードありますかと訊かれなくなる)・楽天カード(スパムが滅茶苦茶来るのと引き換えにセブンクレジットに準じてポイントの利用が楽・地方物産の通販に便利)を作るかどうかあたりが悩みどころ。

というわけで実施中。
スラド日記的には、いろいろ悪い方向で話題になったあのメルカリを実際に使ってみた感想とか、あとで書いてみたいなと思っている。

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • ノープライバシー、そんな生活は実現可能なのか。
    そもそもノープライバシーとは何だろう。
    例えば自分にスマートグラスorドラレコと自撮りカメラを着けて24時間ネット中継でもすれば、明らかにノープライバシーとなるだろう。
    しかし、何かおかしい。ノープライバシーとはノーシークレットの意味ではないはずだ。
    公共交通期間の利用履歴、商品の購入履歴、現在位置と移動履歴、脈拍、歩数、そのほか一般的には公開しないと思われる情報を自ら公開する生活はノープライバシーであろうが、
    特定の対象とのみ共有されるべき秘密、例えば他人のプライバシー、パスワードなど本人認証のための情報、非開示の契約情報などを公開することは、ノープライバシー生活の域を越えるだろう。なぜならそんな人間相手では付き合えないし、ろくな商取引もできない。
    この違いは何だろうか。分類すれば分かる。
    行動など〈事実〉を公開することはノープライバシーだが、〈知識〉を公開することはノープライバシーの域を越える、と言えるだろう。
    してみると、自分の住所、氏名、性別、生年月日といったものを公開することは、ノープライバシーに含まれるだろうか?
    そう、それはノープライバシー生活の範疇外ということだ。(まあ位置情報を公開していれば住所は推測できるだろうが)
    つまり、仮にノープライバシー生活を送るとしても、秘密にしていても良い情報、秘密とすべき情報、他者に勝手に開示されたら怒っていい情報は、依然としてあるということだ。
    なるほど、それならノープライバシー生活は実現可能なのかもしれない。

    • by Anonymous Coward

      違うんじゃない?ノープライバシーライフだとしても最低限のプライバシーが必要だというのは矛盾してるし
      どちらかというとノープライバシーライフが現実的かって問題になりそう

      • あー、確かにそうかも。

        親コメント
        • という訳で、考察しなおしてみる。
          あらゆる情報を開示するノープライバシーライフを送るとする。
          となれば、開示度の最大化を達成したうちに人生を終える(公開臨終?)ことが最良の到達となるだろう。
          人生の途中で、開示すると誰かが困るような情報をうっかり入手してしまい口封じされるなど以ての外。従って、ノープライバシーライフを送るには、自ら付き合う相手を制限せねばなるまい。
          同じくノープライバシーライフを送る人間相手でなければ、私生活を共にすることは不可能だろう。
          また、情報の公開が禁じられるモノとの接触も厳に避けなければ、自ら犯罪者となってしまう。
          合言葉や秘密鍵など、情報の秘匿が前提となるソリューションは正しく運用できない。
          身分証明書もマイナンバーも公開だ。色々と偽造され放題だが、もし偽造された身分証等で第三者に何か契約を結ばれても、それら情報による本人証明性を否定している状態なので、もし裁判になったら争えるかもしれない。(その結果はともかく)
          しかし、もし拘禁刑にでも処されれば、一時的にではあるが、それらの縛りが緩和される。入手できる情報も発信手段も制限されるからだ。
          もちろん、釈放されれば直ちに世界への情報発信を始めるだろうが、拘禁されている限りはその限りにおいてノープライバシーライフを実現できるというわけだ。
          別に刑罰でなくとも良い。完全に他者の管理下に置かれれば、その範囲でノープライバシーは実現できる。
          奴隷になるとか。
          誰かのプライバシーの中に丸ごと己の人生が収まってしまえば、その中でノープライバシーライフを矛盾なく送れるであろう。
          ふむ、確かにノープライバシーライフは可能なようだ。
          しかしそれはおよそ自由な人生ではなく、不自由によってのみ実現されうるらしい。

          親コメント
    • by Anonymous Coward

      ノープライバシー。
      そう、何もかも脱ぎ捨てて、ありのままの自分をさらけ出すのです。
      # 寒波が襲来しているようなので、風邪を引かぬようにお気をつけください

  • by Anonymous Coward on 2019年02月09日 17時08分 (#3562540)

    良くも悪くも(自分も含めて)ノープライバシーの結果の体験がないので
    レポート期待しています。

  • 単に、自分の知らない世界に踏み出すのが怖い。ってだけだな。精神的老害。

    • by Anonymous Coward

      その通り、幽霊を怖れることに意味はない
      だが、クマは敵ではないが怖れる必要があることを知るべし

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