majiresmanの日記: BINDのzoneファイル 1
デフォルトのゾーンファイルにある、この「d. adams」って、ダグラス・アダムズだよね。多分。シリアル値が42だし。
@ IN SOA @ root (
42 ; serial (d. adams)
アナウンス:スラドとOSDNは受け入れ先を募集中です。
デフォルトのゾーンファイルにある、この「d. adams」って、ダグラス・アダムズだよね。多分。シリアル値が42だし。
@ IN SOA @ root (
42 ; serial (d. adams)
(∑;´w`) デオクレチャッタ…
哀しい叫びが俺を呼ぶ。マジレスマン参上。
> (Webブラウザが動けばいいと)itojunが悲しそうに言っていた
itojun氏が、どこかでそう言っていたかどうかを私は知らないが、
それは単に「viが使えない環境」を嘆いただけではないだろうか。
申し訳ない。いくらか文意を汲み取ることができなかった。
#1961307 さんにとって、Wikipedianは「議論好き」なのか、
「議論を放棄して削除依頼を出す」のかどちらなのだろう。
(議論する人はする人でいて、議論しない人は議論を無視して
削除依頼を出している、という二極化ともとれたのだが)
私にとっては、記事を書く人は、一意に減っているとも増えて
いるとも思えなかったが、特定の分野に執筆者が集中している
ことは実感している。
例えば、アニメや鉄道分野の記事が非常に充実しているのが
日本語版Wikipediaの特色であるが、その反面で、普通の百科
事典には間違いなく掲載されているはずの記事が貧弱だ。
少ないのが、法律や薬品や科学技術、動植物の記事、まして
藻類などに至っては主要な執筆者が数人、という状態だ。
私は、すべき議論はすべきであるし、明確に議論のための議論は
無駄と思う。
しかし、WPは議論だけではない。
研究者同士の交流、それもアマチュア対アマチュア、プロ対
アマチュア、そしてプロ対プロの議論から、記事の改良が行わ
れることも多い。
特に執筆者が少ない分野では、出展の紹介や書式の統一をどう
行っていくかといった、建設的な議論だけで終始している
記事も多い。
もし差し支えなければだが、#1961307さんは、どういった分野の
記事を見て、上の印象を持ったのだろうか。
煽りコメントが俺を呼ぶ。マジレスマン参上。
「不可知論」というのは、抽象物を普遍的に感知したり
経験したりできるか、という点での議論であるので、
「ブラックホール」という、具体的に存在が論証されている
「ことになっている」事物に対しては、あまり適切でない
かもしれない。
(「死後の世界や神の存在を認識できるか」といった具合に)
一般論として、ということであるならば、人類の能力で
感知や経験ができない事象が存在する、ということは
正しいと思う。
余談かもしれない。そして大変に恐縮ではあるけれども、
「走召糸色木亥火暴」
というのは、「超絶核爆」と読むのだろうか。
これは「爆笑」を発展させた言葉かと思うのだが、
「爆笑」の本来の意味は「大勢の笑い」のことなので、
この文面では
「Sethさんの発言の後、場内が(大変な)笑いに包まれた」
という意味になってしまう。
発言の意図として正しいものだろうか、とマジレスマン心配。
Wikipedian同士の議論はよく目立つ。
これらの項目群を一見するだけで
「電球を取り替えるのに何人のWikipedianが必要か」
という、いわゆる「電球ジョーク」が成立する問題だと思う。
WikipediaもOSS開発の流れを汲んだダメなところがある一方で、
やはり同様に
「1000人が議論に夢中な中で、電球をコミットする1人」がいる
ところが重要なのだと思う。
書いている人は淡々と記事を書いている。
一見して目立たない彼らがコミュニティを支えているのだと思う。
OSSも、Wikipediaも。
この数年、あちこちを放浪していました。
facebook, wikipedia, mixi...
findのオプションは -iname にしておかないと、.JPGや、
.Jpgを取りこぼすぞ。
起動戦士のんちゃんの最新作が出るようです。
意表をついてYoutubeに予告編が出ていました。
昨日付け天声人語。
「力が弱い・無抵抗だから」「いい子ぶる・なまいきだから」「よくうそをつく」「動作が鈍い」——。
いじめによる事件で昨年検挙・補導された児童・生徒326人について警察庁が動機を調べると、
こうした答えが目立ったという。やはり弱い者に対する攻撃が、いじめの中心にあることがうかがえる。
本庄市の上田知事のコメント
「同情はするが死んではならん。死ぬ勇気があれば戦えばいい」
どれもある意味正しいが、いじめの本質を掴んだ人が「知識人」にはいないように
思われる。
まず第一に、「弱い者がいじめられるのか」という点について。
アレゲは一日にしてならず -- アレゲ見習い