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margaletの日記: ヒーローはいらない

日記 by margalet
福島第一の事故のすぐ後、海外のニュースでは「フクシマ50」が盛んに取り上げられ、極限下で自己犠牲的に作業に当たる姿に心底感銘を受けたと何名かの海外の知人からメールを頂戴したりもした。
実際には50名を越える方々が現在も劣悪な環境の中で奮闘しているとのことであるが、いずれにせよ、その責任感と忍耐力にはただただ感服するばかりで、事態の早期収拾を願うばかりである。

海外で「フクシマ50」を取り上げる際には必ずと言っていいほど「彼らはヒーローだ」という論調で語られており、今でも見ることが出来るニュースとしてBBC:日本は英雄的なフクシマ50に万歳するMirrorニュース:フクシマ50は世界を核の災害から救えるかもしれない英雄達などがあり、CNNビデオニュース:原発労働者はヒーローになったでは、「彼らは自分たちの懐中電灯しか頼るもののない完全な暗闇となった機械の迷宮の中を、時折起きる爆発音を耳にしながら這い進んでいる」と紹介され、また、日本語で紹介したものとして福島原発:名もなき50名のヒーローたちがある。

海外、特にアメリカではもともとヒーロー願望が強い文化のせいか、もはやフクシマ50は実態からかけ離れたイメージを持たれているのではないかという感もある。以前米国に滞在していた際にUSエアウェイズ1549便不時着水事故が起きたのだが、その際テレビ報道ではどこもかしこもサレンバーガー機長を英雄として褒め称えるコメントであふれていたのが今でも強烈に印象に残っている。

ところで、毎日新聞のヒーローはいらない という記事において、なぜ現場で一緒に奮闘している自衛隊員はその中で取り上げられないのかという興味深い指摘がされている。

本文から一部抜粋すると、

 実は、陸自中央特殊武器防護隊員6人は3号機の建屋が水素爆発したとき、
乗っていた車ごとがれきに埋まり、けがもした。現場で最も生命の危機にさら
されたケースといっていい。
彼らはすぐ翌日、任務に復帰したという。命令ではなく、自らの意思で。
放射線のプロとしての誇りか。それにしても、前の日に聞いた爆音は耳に残って
いるだろう。現場に放置された横倒しの放水車を見れば恐怖がよみがえったはずだ。
彼らが会見を開く予定はないという。

 自衛隊には「ヒーローはいらない」という文化がある。1人の勇気ある行動を
称賛しない、むしろ嫌う雰囲気。若い指揮官がとっさの機転を利かせて困難を乗り
切っても、あとでやんわり「蛮勇をふるうなよ」と諭される。戦後しばらく、
「憲法違反」などと不当に批判されたことの反動なのかもしれない。でも、私はこの
時代、もっとおおらかに広報してもいいと思う。防護隊長の生の言葉がぜひ聞きたい。

この記事を書いた記者の感想はともかく、この記事を読んで、PKOで派遣された自衛隊員や過去の大災害に派遣された自衛隊員の同様な英雄譚もほとんど聞いたことがないという点に思いを新しくした。

現在の自衛隊という組織がそのような文化を持つに至った経緯には興味があるのだが、それはさておき(今の若い方はほとんどご存じないだろうが)以前某所で爆弾三勇士 の墓を偶然目にした際に、子供の頃読んだ のらくろ漫画の中に出てきた爆弾三勇士のエピソードと目の前にある大きな墓とのあまりのギャップに、2つをどうしても結びつけて考えることが出来なかった。

翻って、個人の蛮勇に期待するということは、戦前の日本に限ったことではなく、今も各所で続いている痛ましい自爆テロの例からもわかるように、自らにとっては勝ち目のない不利な局面の打開を期待して行われる場合が多い。そのような行動を賞賛する風潮は個人の尊厳を低く見るだけでなく、その先には、合理的な判断能力を失わせ、個人が強い信念を持てばどんな不利な状況でも打開できると考える「精神論」主義に容易に陥る罠が控えている。

先のサレンバーガー機長の例のように危機的状況を克服した英雄的行動は賞賛されてしかるべきだが、一方で英雄の活躍により問題の打開を渇望する雰囲気は、真の問題を先送りして安易な結果を求めることで事態のさらなる混乱を招きかねない風潮とも表裏一体であり、そのような論調が出てきた際にはどのような背景があるのか、よくよく注意する必要があるだろう。

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「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」、科学者「えっ」、プログラマ「えっ」

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