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margaletの日記: 決断する政治家

日記 by margalet
本当は「決断するフランスエリート」としようかと思ったが、20年以上前に読んだ某コラムに同じタイトルがあったことを思い出したので、今回はこのタイトルとしよう。

菅総理が浜岡原発の一時停止を要請したと言うことがあちこちで話題となっている(冷静に論議すること自体は結構なことなので、あえて「波紋を広げる」とは書かない)。

原子力発電に関わる事業者はあくまで民間の企業であるが、現行の原子力行政は昭和31年の原子力基本法に基づき国策として行って来ており、福島のような災害が起きた場合の総理の役割についても原子力災害対策特別措置法 において規定されていること、「30年以内にマグニチュード8程度の東海地震が発生する可能性」ということは明日にもその災害が起きる可能性もあるわけだが、浜岡原発ではそのための対策が十分とられていると評価できないことから、災害を未然に防ぐ目的で民間事業者に対して停止を「要請」した総理の決断は、私自身も原発の近くに住むものとして評価されてしかるべきと考える。一方、それに従わなかった場合には立法措置を持って強制する理由も権限も総理にあるという点はどうもあまり重視されていないようだ。

これに関しては原発自体の安全性というものを技術的、社会的、経済的、また場合によっては安全保障の面からどう捉えるとかという点に加えて、災害対策の中身と発電力低下が産業に及ぼす影響、原発交付金で支えられてきた地元経済の行く末をどう考えていくのかといった多くの論点があり、私も以前熱く語る夏というタイトルで少し触れたことがあるのだが、ここでは少し視点を変えて「決断する」ことの政治的な意味について考えてみたい。

日本の政治家は決断できない、とあちこちで言われて久しく、一方で小沢一郎代議士には決断力があるから、ということで待望論もあるのだが、では「決断する」ということはそもそもどういうことなのか?

政治の世界で決断するということは、利害が絡み合う複雑な事象について、完全ではないまでも、関係者の合意を一定の時間内に取り付けることを言う。反対一辺倒の相手であっても妥協案を提示して合意にこぎ着けることも決断だし、たとえは良くないが、妥協する気配のない相手に対しては立法措置を持って厳しく対峙することで反対意見を封じ込めることも決断だろう。

前者であれば英断と評され、後者であれば独裁者と罵られることも当然覚悟の上であるが、ここで重要なことは、一定の時間、それも可能な限り短い時間で一定の結論を導き出すことがすなわち政治における決断ということに他ならないことだ。

日本の政治のある意味対極にあるかもしれないということで、フランスのエリート教育と政治家を考えてみる。
フランスでは長らく極めて少数のエリート階層が政治のトップを占めてきており、その為のエリート養成機関では群を抜く実績があることで知られている(ここでは参考文献として フランスにおけるエリート主義[PDF注意] フランスのエリート官僚教育―ENA学長の講演を聴いて を挙げておくが、仏文学者の鹿島茂氏をはじめ、フランスのエリート教育について述べている論者は多いことを追記しておこう)。

彼らフランスのエリートはENAやグランゼコールで少数精鋭で養成されるが、その原点はすでにナポレオン革命の頃のリセに見ることが出来る(ヒエログリフを解読したシャンポリオンもリセの出身)。脱落者は容赦なくふるい落とされ、卒業時の席次でその後の政治家としてのキャリアが決定される。

日本やアメリカの教育が実学重視であるのと較べると、彼らの教育は哲学一辺倒と言っても過言でなく、デカルトを始めとするフランス哲学やラテン哲学を徹底的にたたき込まれていき、そして社会の要請に応じて分泌されていく(輩出されるのではない)。

彼らがそこで学ぶのは限定された判断材料しかない中であっても知力を振り絞って最善と思われる決断を速やかに行うことの重要性であり、その為の徹底したトレーニングを受けていく。

そのような代表例としてここではシラク大統領を挙げておこう。

どのような決断を行うにせよ、賛成、反対、さまざまな立場からの容赦ない批判、糾弾が起きるのは政治の宿命であるが、フランスがイラク戦争の際にいち早く反対を表明したのも一つの決断であれば、福島原発事故の際に技術支援を早々に申し出たことも決断であり、その時点でベストと信じる決断をすみやかに下せる政治家が存在するということが、フランス政治の底力だと言えるだろう。

是とするにせよ、非とするにせよ、もっとも避けなければいけないことは何も決断しないまま時間ばかりが過ぎていくことであるという信念が彼らにはあり、時間が経てば関係者を取り巻く状況も刻一刻と変化してさらに決断することが難しくなるという悪循環に陥ることになる。

日本ではどちらかというと現場合意体制とでも言うべき仕組みが機能しており、政治体制もまったく異なるフランス式のエリート指導体制をそのまま持ち込んでもうまく機能しないだろうが、小泉元総理が国内で一定の支持を広げた背景には、特定の問題に対して明快に決断して見せるというやり方が先送り指向の政界に飽き飽きしていた国民に受け入れられたからではないかとも感じている。

日本では長らく「エリート」という言葉に対する本能的な拒絶反応のようなものがあったが、昨今の決断力のない政治の状況から日本式のエリート養成についてもあちこちで議論が出てきており、日本式の指導者像とその育成方法について考えてみるのも悪くはない。最後に、政治家の仕事はあくまで決断することであり、国民にはそれを判断して受容、もしくは非難する権利も義務もあると書いておこう。
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「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」、科学者「えっ」、プログラマ「えっ」

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