mkrの日記: 新訳思い出のマーニー読んだ。映画のほうがよい。
アンナがマーニーを「私の想像上の」って言ってるのは、自己申告。
そのあたりと、あの空想科学読本的かムーか、というような無理がある解決編でうまいこと煙にまいてる感。
「時をかける少女(アニメ版)」みたいに問答無用でタイムスリップです、でもストーリー的にさほど問題も無いので、作者がどうしても空想科学読本的な解決編(ただしそれが正しいとは確言しない)をもってきたかったのかもしれない。しかし結局、読者はどっちつかずになっただけのような。
なにしろ小説は文字なのでゴマカシが効く。場面転換なんか自在だ。いつ想像から戻って来たかも書かなくてもどうにでもなる。ずるいところだ。
映画は大胆すぎるほどというか、どうみても現実感を盛ってきてる。パーティーのシーン、意に反してワインを飲んで酔って休んだりするシーン、想像にしては踏み込んでいる。いやこれ、想像でした、でアンナは納得できるの?と言わざるを得ない。だから、映画では何度も屋敷を見に行って廃屋なのを確認しているのかもしれない。廃屋だからやっぱりアレは夢だよね私の想像だよねと自分を納得させている。
アンナ「マーニーは私の想像」で小説版はまあ納得できる。映像化されてないからどこまで想像したかが明示されない。想像開始も終了も別に描写しないでなんとかなる。次の章でいきなり現実でOK。
映画版は厳しい。マーニーと一緒のところは現実同様にリアルに描かれてて、夢の中ですよ的なお約束も記号も無い。いつ想像の世界に入ったのか終わったのかもはっきりしない。トンネルもくぐらないしドアも開けないし時計が夜中に13回鐘を鳴らしたりしない。区切りが無い。水を渡る、といえなくもないがサイロに行く所は違うし。もうタイムスリップ的ななにかでいいから!と言いたい。
ここらへんの、曖昧さがすこしイラッとくるところ。
小説版と映画版の違いは他にもあり、省略されたセリフとかから総合すると曖昧ながらも
小説版:いやアレは想像でしたし。
映画版:タイムスリップ的な何かだ。だが想像でも説明はつく。
にやや寄っている。そうすると、想像にしては(映像になってしまって)リアルすぎってところがなあ。
新訳思い出のマーニー読んだ。映画のほうがよい。 More ログイン