mujiの日記: 都の西北に行く
そんな大層な話でもなくて演博に行ってきただけのことだが。
#Yちゃん毎度thx♪
見てきたのは時代劇映画史展 PartIと二世左團次展。おっと左團次展は今日までだったんだ。
時代劇映画史展、のっけから活動写真ポスター「紅葉狩」なんてあって、こっこれはもしやあの重文指定された日本最古の歌舞伎映像かっと色めき立ったら展示室内でDVD上映してたよwいきなりYちゃんと二人して凝視状態(笑)。團菊共演な訳だが、今なら単純に團菊の紅葉狩ったら團が維茂で菊が鬼女と思っちゃうだろうなぁ(^^ゞ
#勿論明治の話なので九世團十郎が鬼女、五世菊五郎が維茂。山神(童子)は当時丑之助の六代目。
團十郎が二枚扇をあっさり取り落としていて何事もなかったかのように後見(新十郎と出ていた)に拾ってもらってそのまま踊っていた、のをしっかり残しているのがおおらかというか何というか。記録映像はありのままでいいっちゅうこったねw
12月中はサイレント篇と銘打っているので(見た目が)派手な展示物はそれほどなかった。退屈の殿様の衣裳もまだファッションショーでなかったし。実物を見ると退屈の殿様って背丈はそんなになかったんだなあというのがよく判る。マキノ雅弘の言葉として、カメラに収まるには背が低い方がいい、顔が大きければ見栄えがいい、みたいな意味の一文が展示物と共にあったが、ああもうホント昔の映画スターはその通りだったんだねえ、と。
最後の方でPartIIにつながる資料展示があったが、これまた二人して「中身見せろ~~~~~!」と身悶えしたのが元祿忠臣藏の写真帖。百枚以上収録されているようだがガラスケースの向こうには閉じられた表装がかしこまっているのみ。ぐああーうーたーえーもーんーのーつーなーとーよーきょーみーせーろーーー(ちょw
右太衛門といえば、右太衛門が所蔵していて演博に寄贈された東映時代劇スター寄せ書きなんてのが展示されていた。ああ、誰がいたかメモってくればよかったな。一番右に北大路の御大、一番左に山の御大。その御大ご両人にサンドイッチされた形で当時の東映スターがずらずらと、いる中にちゃっかり北大路欣也が混ざっているというwまだまだ若造だったはずなのに何故いるwええと、覚えてる限りで、北大路の御大、大友柳太朗、北大路欣也、橋蔵、櫻町弘子、里見浩太郎、堺駿二、千代さん、ナカキン、山の御大。あれ、もう一人東映城のお姫様がいたやうな…(^^ゞ
いつどこで、てえのが全くないし、墨の状態からして少なくとも3種類使われているのは確実だが(もうほとんど鑑定団の領域だねw)、堺駿二と北大路欣也・里見浩太郎が一緒にいるというところで結構年代が特定出来そうな気がする。それにしても寄せ書きひとつでそれぞれの人物像が浮かび上がってくるというのもとても興味深いものが。千代さんなんてあの姿形そのもののサインだもんねぇ。
続いて二世左團次展。
展示室から聞こえてくる音声、何やらの上演収録のようで聞いていると
「いつの間にか暗うなったのう」
……しゅぜんじーーーーーヽ(゚∀゚)ノ
しかもその調子絶対どっかで聞いたことあるよーと中の一覧を見れば頼家が六世寿美蔵! うわーーーーーーーい♪(ちょwww
#註:これは二世左團次展ですwww
二世松蔦のかつらが美声だった。二世左團次の相手役をつとめることが多かったということで松蔦の展示も一コーナーあったが、当時としては珍しい女声だったそうな。うん、確かに。しかし当時はホント新歌舞伎でもどの役者もヘンに思い入れることもなく、どちらかというと淡々とした台詞回しだったんだなあ、と改めて。なもんで寿美蔵=寿海が逆に目立ったやうな。寿海だって今からしてみればかなりさらりとしてる方だと思うよ。でも口跡は寿海に限らず揃いも揃って明晰。勿論二世左團次の夜叉王もw
#去年買った国立発行の上演資料集で見るに1930年3月南座上演時の収録と思われ。
展示物一覧、リーフレットを改めて見てみたら期間中入れ替えの中に蔦模様血染御書の錦絵と写真(二世左團次の大川友右衛門)があったんだー! 今日見た中にはなかったから入れ替えられちゃってたのかー残念。襲名絡みで助六の絵本番付があったが配役の中に鬼王がいた。昔はそういう演出もあったんだねぇ。どこに出てきたんだろう?
助六といえば茶しばいてるときに助六本人は至極まぢめにつとめそうなのに周りが確実にお笑いに持っていきそうな配役を二人で勝手にこしらえてみたり。まあまず実現はなかろうが観てみたいねぇ…www
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