mujiの日記: ハテ、そのはずではなかったが
無礼の粗忽と仰せでござるぞ、と数馬にいわれて、首を傾げつつ大膳が独りごちるのがこれ↑。
現行演出だと何で大膳が愚痴るのかが判ったような判らないような、になってしまっている。確かに河内山を呼び止めたのは大膳だし、大膳の一存でそんなことは出来なかろうし、ということは殿様からの指示があってのことだったからそれを「無礼の粗忽」といわれるのはなあ、てことじゃないかな、という推測は付く。でもあくまで推測の域を出ないんだよね現行演出では。
度々参考にしているこのサイトで読んでみるとその辺のいきさつが見えてくる。
一旦居間に戻った松江侯、どうも道海が誰かに似ているような気がしてあれこれ思い巡らしているうちに、そういえば御数寄屋坊主に似た奴がいた! てんで、大膳にもう一度見てこいといいつけ、同時に浪路を返すなと岩崎(現行演出では僅かに松江侯の台詞1箇所にしか出てこない、所謂「お局様」的存在)に指示しようとしたところで当の岩崎からもう使いの若侍(桜井新之丞こと直侍)に引き渡してしまったーと聞き、更に大膳から間違いなく河内山だと聞かされる。さあ大変。
大膳達に対策を取らせたところで松江侯、こんなことをいう。
名に負う日光御門主の宮の使僧と聞きしゆえ、心奪われ恐縮なし茶道風情におめおめと、欺かれしは残念至極。隠す事ほど漏れやすく、必ず好事門を出ず、悪事千里を走るのたとえ、かかる事どもいつとなく世上へ流布なすその時は、出雲守のお家の瑕瑾。こりゃこの侭には相成らぬ。
そこへ数馬が顔を出し、「なにとぞ事を穏便に」というのに対して「一世の恥辱じゃ。捨ておかれぬわえ。」というところで道具替わりとなって玄関先へ、てな流れ。
つまり、河内山だと先に気付いたのは松江侯。大膳に確認させた上で取り調べろといいつけたのが、玄関先での大膳の行動につながっていく。なので、大膳としては「このまま帰さば君の上意が」といきり立つのは至極当然なんである。そりゃあ数馬に止められたら「ハテ、そのはずではなかったが」と首ひねるわなあ。
原作を見る限りでも、松江侯は「捨ておかれぬわえ」とまでいっているので、そこで数馬がよくぞ説得したなあ、ということになるかと。まあ、松江侯も我が儘エロいらちではあるけれども(ひでえ言いぐさw)、決してバカ殿ではない訳で、強硬手段に出るよりは数馬のいうとおり「穏便に」済ませざるを得ないな、と、臍を噛みつつ思い至ったというところだろう。
と、見てみると、玄関先に至るまでの一連の出来事の中に小左衛門は一切出てこない。ということは、玄関先で河内山を道海として扱ったのはまさに小左衛門の一存、「我が腹ひとつに引き受け」たということになるかと。これ、何だかんだで松江侯を信頼してないとそこまでの言動は出来ないんじゃないかなあ。その点で、7月と今月の小左衛門はそういう考えが透けて見える小左衛門だと思う。諫言も信頼する殿様を思ってこそのこと。勿論数馬も。
殿様を思ってこその、ということなら大膳も同じこと。そのやり方が佞臣になってしまっているだけであって、殿様と松江のお家を思うが為に河内山帰すまじとやっきとなる。だから河内山に「形ほど知恵は」と皮肉られた上に「ばーかめー」といわれちゃうんだなw
こういう、原作にあって現行演出では上演されない場面てのはいくらでもあるし、上演するとやっぱり冗長だなーとなってしまうのは昨今の復活上演流行りで感じられてしまうところでもあるが、上演しないと話が見えにくい、って場面もあるんじゃないかな。河内山のこの居間の場、一度出してみるのも面白いかも。って誰が出すんだ(ぉ
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