mujiの日記: 送り手と受け手との乖離
「太秦ライムライト」公開記念先生インタの中でのやりとり。
先生をもってしてこの思いがあるのか、と。受け手側(つまりわれわれ)が発想を変えられなくなっているのが判るなあ、と。
--ひと頃より盛り返しましたが、それでも時代劇は少なくなっています。そういう中で福本さんご自身、思うことはありますか?
(時代劇がもっと)あってほしいのはほしいんですけど、でも、そんな時代と違うやろと僕は思うんですよ。いろいろな映画があって、立ち回りもいろいろな形があっていいと思うんです。僕らがやっている東映の立ち回りは、確かに、これが時代劇だというものかもしれんけど、そういう立ち回りがあったり、ピアノ線を使ったり、今度の「るろうに剣心」ですか、そういう立ち回りがあったり、それはそれでええんやないかと僕は思います。最後にお客さんが喜んでくれたらええんやからね。主役も変わってきて、ヅラ(かつら)かぶらんとやるのもあるんやからね。ただ、リアル、リアルいうてね、ヅラかぶって、ここ(もみあげ)だけ自分の使って、それでリアルさを……というのは、ちょっと待てよと思ったりするんですけどね(笑い)。
この「最後にお客さんが喜んでくれたらええ」てのは送り手側の基本中の基本ともいえる理念だしね。だからといって何やってもいいってもんじゃ、と斬り捨ててしまうのは受け手側の驕りなのかもしれず。
勿論、先生のように、長年積み重ねてきたものがあればこその「最後にお客さんが(ry」な訳だけど。
#ヅラかぶらんとやるのもある、ってそれどこのざ・よろきん…
#あれもあまりのちゃちさに一度観てもういいや状態なんだけど少しはまともになったのかなあ。
#そもそも関係者との接点が未だにないっぽいのもどうかと思うが。いや関わりなぞ持ちたくもなかろうが(ぉ
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