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mujiの日記: 親子鈴ヶ森
まだ楽日までは間があるが自分の中では一段落してしまったので(^^ゞ
#27日にはおめでとうがいえればいいなあ…なんて、後半の伸びっ振りを観て考えてたり。
#候補はほぼ3人に絞られたと思うがどうかなあ。勿論他の2人が受賞しても当然の結果だろうしおめでたいし。
2年連続で浅草での引率の先生な「枠」に回されて正直むむむ、ではあるんだが(だからその「枠」は←)、演目と配役で更にむむむむむというか既に胃が痛いというか。
つとめていい方向に考えるとして(って時点でかなり後ろ向きですな)、親子で鈴ヶ森って過去にあるのかな、と、以前まとめておいた戦後上演の稲妻草紙立役4役一覧をつらつらと。併せて昨年7月の大阪松竹座番附掲載の上演一覧も。
そしたら公演DBから落ちてるのがあってかつそれが親子鈴ヶ森だったというね! これだから公演DBには100%の信頼が置けないんだよなあかなり長い間三越劇場の記録も無視されてたし…
ということで確認出来たのが来年の浅草も含めて以下4例。役者名は現在名乗っている名前。全て親が長兵衛、子が権八。為念。
- 1956年8月大阪歌舞伎座:(初)猿翁・猿翁
- 1994年3月大阪新歌舞伎座:段四郎・猿之助
- 2003年6月歌舞伎座:幸四郎・染五郎
- (予)2017年1月浅草公会堂:錦之助・隼人
まず真っ先に浮かんだのは高麗屋親子だった訳だが思いの外1回しか共演してないとか。アレか、国立で2度目の共演だったはずなんだ事故がなければ。まあそのおかげで(ry
澤瀉屋親子2組がどちらも大阪の歌舞伎座と名のつく小屋だったというのもたまたまとしても興味深い。大阪での鈴ヶ森なんてそんなに例がないのにね、つか昨年の鈴ヶ森が上記の段四郎親子以来だった訳でしかもこれが公演DBから落ちてる分だったと! そんな大事なのを落とすなんて!(ちょいとおおげさ
澤瀉屋親子はどちらも子は10代での権八だったんだ。いかにも澤瀉屋。染五郎はちょうど30になった年か。と、見てみると、来年の隼人が特別早いという訳でもない。2002年に浅草で初めて鈴ヶ森が出たときの権八だった七之助も20歳になる前だったし。
問題は親だよ親(問題なのか←)。もう殊更にいうつもりはないけど、一番まさかと思ったのは本人だと思うよホント……権八の人だもん本来は……
そうはいっても、親と子、どちらもそれぞれの立場でそれぞれのポジションを占めている時期のタイミングが合わないとなかなか実現しないことだろうし、その点では萬屋親子はいい流れに乗れたということか。あらゆる意味で胃が痛いけどね!orz
#つか、隼人の4役、全部親から教われるんだよね……
#多分そこまではしないと思うが。与五郎は教わるとしても他は教わりに行くような気もする。
#何しろ親がタイヘンだからね角力場の濡髪! 息子なんか構っていられないよ!(いやそれは
#…いや、逆か、与五郎を隣で観てて、ここは違うそこも違うって自分がお留守になるパターンか(だからそれは←
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