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日本

mujiの日記: 秀山祭九月大歌舞伎・幕見

日記 by muji

偶数日2日目。
偶数日初日の富樫を10とするなら今日の富樫は7いくかいかないか。これだからも~~~~~orz
名乗りからして一昨日より明らかに声出てなかったし、止まれとこそ判官殿にが喉声どころか声になってないorz瞬発力が必要なところはごまかしが利かないんだなあとつくづく。
ごまかしなんていい方は悪いが、前後の流れで甲と呂を行き来するのは随分巧く処理してるなあという箇所が多々。上がりきらなくて平板な調子になるときもちょいちょいあったが、それでもそういう、調子がよくないならよくないなりに抑揚をつけるのも積み重ねのうちかと。聴いてる方は心中穏やかではないがorz
穏やかではないがといえば中啓取り落としからの止まれとこそで大きく構える一連の流れ、まず肩脱ぎで手間取る、強力は通り過ぎちゃう、で、自分も後見の蝶一郎も完全に始末しきれないうちに太刀受け取って立ち上がって如何にそれなる強力、と始めて、止まれとこそで太刀脇挟んだときに大袖スカったorzああやっぱり百発百中には至らないのねorzなんて苦笑いしてたら弁慶が色めき立つ一行を抑えてる間に脇挟み直そうとしたしwいやもういいのに映像に残ってる天王寺屋のだって大袖巻き上げてないんだし←
 #そこの脇挟みタイミング、幸四郎は立ち上がってそのままの流れですいっ、と大袖まで巻き上げてた。
 #錦之助は成功した一昨日は止まれとこそで構えるときに。
 #上手くいくかいかないかはタイミングにもあるんでないかなあ、なんて。

それでだ。
「見据える」富樫、ではあるが、滝流し付延年の舞のときは恐らく弁慶は見ていない、はず。幕見席からだと目線の置き所が今ひとつ判りにくいが(その分端正な横顔をこれでもかとばかりに見せつけられる訳だが←)、動いている気配はない、ので、見ているようで見ていないのではないかと。そうはいっても一行が落ちていく最後には弁慶と黙礼を交わすので、意識が飛んでいる訳ではないと思われ←
では何を見ているのか。いや、何が見えているのか。身じろぎもせず。
弁慶が義経を打擲しているときの凝視もそうなんだが、とにかく今回の富樫、今日時点では感情がほぼ見えない。見えにくい位置なんだけど幕見だし←、てのを差し引いても見えない。唯一見えるのが、今は疑い晴れ候からの泣き上げ。そこだけはあれだけ「見据える」富樫が身体毎上手側を向いて、まるで弁慶に見せまいとするようにして目を伏せたまま今は疑い晴れ候からの一連の台詞をいって泣き上げる。
ああ、そこで感情を見せているのは「手」だな。折檻もし給うなれ、で、右手を前方に差し出して手を震わせながら少しずつ閉じていく、誰の富樫でも見せる仕草。今回観ていて、そのあとの今は疑い晴れ候から長唄が「士卒を引き連れ関守は」と始めるまで、その右手は硬く握られたままということに改めて気が付いて、富樫の心情はそこに集約されているといっても過言ではないように見えて。
と、すると。
智勇の弁慶、情の富樫、品格の義経、としばしば形容される勧進帳の3人だが、はて、「情」の富樫なんだろうか。冷酷とは違うが、情か、というと、ううむ、それも含めて見えないんだよなぁ……今月中に解決するだろうか←

この議論は、muji (9607)によって「 テキ禁止」として作成されている。 君は仲間はずれのようだね★
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