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14002320 journal
日本

mujiの日記: 秀山祭九月大歌舞伎・幕見

日記 by muji

偶数日6日目。まあ中日みたいなもん。
花外で勧進帳幕見という贅沢←もうホンット松浦侯週末観るから許して状態w

中日みたいなもん、なんだが、うーん。
いいか悪いか、でいえば、悪くはない、という、答えになってない答えしか返せない。
何がすっきりしないかって富樫が読み切れない、に尽きる。
勧進帳の解説に必ずといっていいほど出てくる、義経を打擲してまで関を越えよう主君を守ろうとする弁慶の忠誠心に感じ入って見逃す、なんて通り一遍の富樫じゃない。そんな判りやすかったらもっと偶数日勧めまくってる←
姿も台詞も表情もいいんだけど、いいんだけど、富樫の心情が見えない以上強烈には勧められない。勧めるからには自分が納得した上でないと。
今日の花外も4日目並みに富樫観察席で、いや3階席より物理的に近い分より表情が見て取れたが、やっぱりこの富樫、最後まで義経主従と判断できなかったんじゃないか、と見える。泣き上げ前、弁慶達に背中を向けた表情が、忠誠心に感じ入っているとはとても見えない。たった今自分が取った行動を悔やんでいる、通さざるを得なかった無念、それがあの硬く握られた右手に現れているようで。
では泣き上げは誰のための涙か。弁慶に? 自分に?
それと延年の舞を見守っているとき、南座のときはもっと無表情だった記憶があるが、何やら嗚咽を堪えているような口元が意外といえば意外で。自分はこれまでひとつの例外もなく山伏と見ればさらし首にしてきたのに何故今日に限って……と自らを責める、悔いる表情、のようにも見える。義経主従が不憫で、と同情しているようには見えないんだよなぁ……一行が富樫の前から立ち去るときに目を伏せない、のも、義経主従と判断できなかったからと仮定すればおかしくはないし。勿論弁慶が一礼するのには礼儀として返すが。
さて、そういう解釈はありやなしや。團十郎は著書の中で富樫は最初から見破っているという立場を取っているようだが(それも大いにありだと思うし)、今回の富樫の一連の表情、最初から見破っているとしたらどんだけ役者なんだよwてことになるし、忠告されて気付いたとしても確信には至らなかったのではないかと。
と、すると、現時点で一番腑に落ちるのが、最後まで判断できなかった、なんだよなぁ……

トータルでは悪くはないが、名乗りがイイネ! と思ったら九字の真言で息切れしてるしorzきついんだろうなーでもそこを何とかー、てな。長く引くときにどうしてもざらつきが感じられて、それを気にしているのかもっと長くてもいいのにというところで割とあっさり切ったりもしてるし。まあその辺はほとんど気付かれないだろうけど気になるっちゃあなるんだよねぇ←
あとまた判らなくなりかけた目線はもう芝居のウソと解釈することにした! やっぱり見てないんだもん! それこそ俯瞰で観たときに弁慶の一挙手一投足を見逃すまいとしているように見えればいいってことなんだろうと!wもちろん弁慶と思って見てる訳じゃないんだろうけど!←
そういえば今日もこは先達のあらけなしで柄から手を離さなかった。それでいくのか今月は、とすれば、そこまで職務に忠実な富樫が一瞬の迷いで通すと判断してしまった、してしまったがために悔やんでも悔やみきれない、という流れでのあの泣き上げの表情、とつながってくるんだが。
しかもそこで番卒どもが由なき僻目より、と人のせいにするし。
と、この「人のせい」が、弁慶と好対照、というのは今回初めて気が付いたというか感じたところ。弁慶も人のせい、つまり義経のせいにしてる訳で。この対比をどこかでまとめたいところだがさてさて。

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