
mujiの日記: 新春浅草歌舞伎
改装しても楽屋の狭さがネックとなって昨年は開催見送りとなった浅草歌舞伎。
今年もかなり厳しかったようだが一部二部で出演者総入れ替えという荒技でどうにか3年振りの開催にこぎ着けた。
ロビーの写真撮影用出演者パネルも、出演者への寄せ書きボードも、祝い花も羽子板も、何もかもがない浅草歌舞伎。ああ、着物で歌舞伎の日もないねそういえば。
とまあ、上置がいなくなればゆるりと見物になる訳で←まずは一部から。
引窓は5年前の浅草で、出を待つ南与兵衛と二人侍が鳥屋でわいわいやってるのが客席まで聞こえるとFBでがっつり苦言を呈したどころか会社にねじ込んだ客がいて(その後改善されたらしいんでお達しがあったようだ)、これだから上置ったってなーんの役にも立ってないんじゃんかよう自分の出番が終わったあとはryと別の意味で頭抱えたもんだが、そのときの二人侍が南与兵衛とは、ねえ(トホイメ
しかも今回の二人侍は楽屋の人数制限があるからか知らんが橋吾と蝶一郎ってのも、ねえ(更にトホイメ
松嶋屋写しが微笑ましいくらいの南与兵衛、で、発声の高低の使い分けも松嶋屋が演ってるとおり、なんだろうが、コントロールはまだまだこれからだなあ。武士と比較しての町人の軽さを出すための高音域、で松嶋屋は演ってるんだろうが、そこが子供に聞こえちゃうのが何とも。そりゃまあ義太夫で鍛え抜いた喉との対比は厳しかろうが、低音域の発声は随分落ち着いてきただけにこれはもう場数を踏む鹿、だろうなあ。
濡髪は親に教わったということなので。幕切れ直前、美吉屋のお幸とがしっ! と抱き合って別れを惜しむ、なんて初めて観たけど元々誰の演り方??? tk芝翫は誰に教わったんだろう。文字通り花道を落ち延びていく幕切れなので上方系(というか松嶋屋系)ではないのは確か。お早は、というか新悟はホントいかに手を小さく見せるかが課題だよなー。背を盗むのは次の男女道成寺でがっつり見せてるけど何分にも手がでかい。生まれ持ったものは仕方がない、ではなくて、そこをどうやって不自然にならずに見せるか。手のでかさはともかく美吉屋というお手本を間近で観られるまたとない機会だし、存分に盗んでもらいたいもの。
美吉屋はやっぱり良くも悪くも枯れてないよなあというところもあるが、まあ今年の実質上置みたいなもんだからw
男女道成寺。
プログラムちゃんと見る前に観て、細かい振付が見慣れたものとちょいちょい違って、ああ坂東流だな、とあとで確認したらそうだった。言わず語らぬ、からのティモテティモテの振り(その呼び方は←)が普段観る藤間よりも控えめだったり、そこの二上がりの手踊りが2番まであったり(だからそのいい方は←)。さくらさくらと唱われて、がつく。能がかりからの二人の位置取りも違う、というか二人で踊るとき、殊に鞨鼓と鈴太鼓のときはフォーメイションが藤間と随分違ってて面白かった。祈り北山での海老反りは客席に対して横向きで二人向かい合って、とか、早乙女早乙女田植唄も並んでじゃなくて向かい合ってだったし、tk鐘の位置がそもそも舞台中央ってのもよくよく考えたら珍しくね?
まあ坂東流の娘道成寺もまず本興行で観ることはなかろうしなあ…とか、三つ面の恋の手習いを観ながらぼんやり考えたり。三つ面も最後に極まるときに面を三つ持たないで最後につけてたひょっとこだけ持って極まってたり、と、これまた興味深かったり。さて歌舞伎座で観られる日は果たして。
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