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日記

nabetaの日記: めがねの妄想

日記 by nabeta

ここはちょっとばかり、先の世界の話、世の中は妙なメガネをかけた人ばかりになっている。
種類は色々だけど、基本的な機能は電話とメール、そして個人認証、つまり、メガネをかけている人に、目の前に居る相手が誰なのかを教えてくれる。
そんな機能、いらないじゃないか、という議論は昔の話、今では誰もが無けりゃ困るものになっている。メガネ越しに見える相手の上には、
使うクレジットカードとか、所属する会社のロゴとか、それこそ盛り場のネオンサインのように瞬いている。
もう、誰もがそんな相手じゃないと安心できない世の中になってしまった、ということなのだ。

満員の通勤電車にもまれて、なんとか出社時間前に、会社の通用ゲートを潜り抜け、自席に座り込んで、ヤレヤレと一息ついていると、
マグカップにコーヒーを注いで、戻ってきた同僚と顔を合わせた。
朝の挨拶をすると、どうも相手の表情が怪訝である。「どうかしたのか」と、聞いても相手は首を捻るばかりで返事がない。
そこにもうひとりの男がやってきた。
そして首をかしげている奴に、なにかの用事を頼もうとした。
「ちょっと、こいつのことを見てくれ、俺のメガネの認証がうまく動いていないみたいなんだが」と、ようやく何がおかしいのか話だした。
言われて、そいつも俺のことを見る。
「あれ、おかしいな、お前、タナカだよな、なんで認証画面で『???』マークなんだよ」
「そうか、やっぱり、そう表示されるか、おれのメガネの故障じゃないんだ」
ちなみに、俺のメガネには二人とも所属部署から、いま関わっているプロジェクトのマークの色々まで回りにピカピカ光って見えている。
「もしかして、おまえ、この会社クビになったんじゃないだろうな」
「いや、会社の所属を外されたくらいで、名前も表示されなくなったりしないだろう。
個人情報は社会保健省の管轄だから、なにも表示されないってのは無いはずだ」
「そ、そうか、それもそうだな」
そんな会話を二人でしていて、こっちは見世物にでもなったような疎外感を味わってた。
「なあ、タナカ、あんまり自信ないけど、お前タナカだよな、今日の所は体調が悪いとか理由をつけて早退したほうがいいんじゃないか」
よく考えてみたら、そういう奴は入社も同期なら、出身校も同じの親友だったはずである。
こいつから、こんな物言いが出てくるとは想像だにしていなかった俺は、いささか傷ついた。
そんなやり取りをしていると、いつの間にか、俺の周りには部署の連中がわらわらと集まっていて、好き勝手なことを言い合っている。
そのうちに誰かから状況の報告受けたらしい部署の部長がやってきて、俺は「腹が痛いので大事をとって、早退する」ことになってしまった。

通勤電車は満員だったが、早退して家路に向かう電車はガラガラだった。
駅からの道、コンビニでなにか買って帰ろうかと、迷っていると、巡査に呼び止められた。
「申し訳ありませんが、しばらく、お待ちください」と、巡査はなにやら無線を取り出して通話をはじめた。
「はい、こちら野沢225です、メガネの認証が機能しない問題が発生しまして、動作の確認をお願いします」
どうやら、巡査のメガネにも、俺は認証不能を表示されているらしいとわかる。
でも、巡査の態度は事務的で、ちょっと機械の故障を問い合わせているだけのようなので、俺は安心して協力的に待っている。
無線の相手から、認証不能な人物の社会保障番号を尋ねるように指示があったらしく、巡査は俺に身分証明書になるものはないか
と聞いてきたので、協力的な一般人の俺は運転免許証を出してみせる。
「どうもすみませんね」と、愛想笑いをしながら無線からの指示を待つ巡査を世間話をしながら、
通勤時間を過ぎて、通行人もまばらな駅前で、居心地の悪い時間を過ごす。

無線の指示が来たら無罪放免されるのかと思っていた俺もバカで、巡査が待っていたのは無線の応答ではなくて、
迎えのパトカーであることに気がついたのは、それから30分も経ってからのことだ。
俺はそのままパトカーで最寄の警察署に連行されてしまう。
いや、俺なにも悪いことしてねーし、メガネの認証に俺のことが表示されないのも、機械というかシステム的な故障だろうし、
ここは善良で協力的な一般市民としては、取り乱したり、どういうことなんだ、と感情的になったりしちゃわないぜ、と自分に言い聞かせて沙汰を待つ。
警察署で通された部屋は、鉄格子が窓の嵌った尋問部屋みたいな場所ではなく、ソファーがある応接間のような場所だった。
俺を誰何した巡査は、既にどこかに行ってしまい、というかパトカーに乗ってこなかったので、巡査としての平常業務にもどったのかもしれない、
パトカーで同道してきた私服の警官もどこかに行ってしまい、さすがに心細くなってきたところで、また、別の私服が部屋に入ってきた。

「お待たせして、申し訳ありません。ちょっと、担当の者が本庁から到着するまで、お話をうかがわせてよろしいでしょうか」
私服は警官というようりも、どこかの商社の社員のように小奇麗な身なりで、悪漢を片手でねじ伏せるようなバイオレンス系の筋肉質にも見えない。
いやいや、俺って善良で無力な子羊さんの小市民だし、協力はするけど、この状況は困惑気味という雰囲気をだしながら、
俺は「はあ」とか「そうですか」とか、しどろもどろに受け答えする。
さすがに、なんだが雲行きが怪しすぎる。
こういう場合、映画とかだったら、ちょっとトイレに行ってきていいですか、とか切り出して、相手の油断した隙に、雑踏にまぎれて逃げ出すものだけど、
一言に、逃げるといっても、逃げる先が思いつかない。
自宅に篭って篭城するか、はたまた、都心から離れた山奥に逃げ込むか、日ごろから、そんな備えなどしていないものだから、行動の方針が定まらない。
とにかく、その本庁からの担当者とやらが来るまでの間、俺はその私服相手に、今朝からの事情を話して聞かせた。
私服は、それを専用の便箋に、神経質なカコカコした字で記録した。

本庁からの担当者とやらは、かなりの上級職らしく、そいつが部屋に入ってくると、私服はバネ人形のように立ち上がって敬礼をしていた。
やってきたのは3人で、さっきの私服が退席すると、一番若い感じの男が俺の正面に席を取り、後の2人は俺を横から眺める感じで席を取った。
俺のメガネには3人の所属から名前まで表示はされているが、そもそも警察の組織がどのように成り立っているのかわからない善良にして無知な
超小市民の俺にはまったく意味が無い。
正面に座った男はパソコンを操作しながら、話はじめた。
「今日は、お忙しいところ、御足労頂いて、大変申し訳ありません。お時間をなるべく取らせないように本題に入らせていただきます」
全くである。善良で協力的な人畜無害な市民を、こうまでも時間拘束させちゃって、どう埋め合わせをしてくれるのか小一時間問い詰めたいくらいである。
でも、俺なんにも悪いことしちゃいないし、全然怪しくない普通の一般人だから、そんなことをおくびにもださない。
ここは何にも判りませんとばかりに、しどろもどろに返事をして韜晦する(いや、べつに隠すこともないのだけれど、もう冤罪で犯人に仕立てられた被害者の
映画の主人公の気分だし)

「単刀直入に申し上げますと、あなたの、つまりタナカ様の個人認証記録がシステムから抹消されていることが判明しました」
ああ、道理でメガネに個人認証が表示されないわけだ。
俺、納得、それで、その不具合の修復はどれくらい掛かるんでしょうね、俺困るんですけどね、と喉まで出かかった言葉を飲み込んで次の説明を待っていると、
その次にそいつは、とんでもないことを言い出した。
「昨日はインターネットでなにかされましたか」
ちょ、ちょっと待ってよ、俺がやったのかよ、あんたはこの俺がわざわざ自分をこんなわけのわからない状況に陥れるために、
なんかハッキングしたとでも考えているのかよ、あんた警察に向いてないんじゃないの、探偵小説とか読んだことある?
おかしいでしょ、困っているの俺なのに、俺が犯人だと思う訳?つーか、あんたバカなんじゃなの?
と心の中では思ったけど、俺の横には俺の挙動を静かに観察している2人がいる、そうか犯人を動揺させて隠していることを出させようって腹なのか、
そんなちゃちな手管に引っかかる俺じゃないぜ、善良で協力的な市民だけどな。
「いえ、別に自宅でパソコンをいじることはありませんけど」
俺は、なんか質問の意図が全然わかんねーよといわんばかりの返事をする。
「パソコンとか使いませんか」
「ええ、職場では仕事で使いますけど、自宅では使いませんね、ゲームをするような年齢でもありませんし」
俺の中の弁護士が「うまい受け答えだ」とサムアップしている。
「まあ、そう簡単にハッキングできるものでもありませんし、あなたが自分の個人情報を抹消したとは考えていないのですが、
あなたがどこかにアクセスして自分の個人情報のトレースを残したことで、
誰かが、そのトレースを使い敵対的攻撃を社会保健省のシステムにかけた可能性も考えられる訳でして、なにか心当たりはありませんかね」
「攻撃を受けているのですか、その、えーと、社会保健省のシステムとかが?」
「いえ、今のところ、あなた一人ですね」
「すると、私が、もし仮に、これは仮説というか、仮定ですが、社会保健省のシステムに攻撃をかけたとすると、
なにか罪に問われるわけですか」
「はい、国家反逆罪ですね」
おい、おい、おいっ、ここは軍事政権下で戒厳令ですか、あんたら「特高」とかですか、つーか、なにをサラリといっちゃってくれるの、大体おかしいでしょ、
俺って純然たる被害者でしょ、それがなんで銃殺になりそうな罪を問われそうな事案の首謀者なの、あんたらマンガでもいいから犯罪もの読めよ
絶対変でしょ、そんな小説は読者から編集部に抗議殺到するでしょ、俺は何も言えないまま赤くなったり蒼くなったりしている。
「でも、犯人がわざわざ自分の個人情報を消すのもおかしなはなしで、理屈にあいません」
たりめーだっての、何真顔で寝ぼけたこと言ってんじゃねーよ、寝言は寝て言えよ。
「ただし、あなたがタナカ様本人じゃない場合、本人に成りすますために情報を書き換えて、なにか新しい情報を上書きしようとして失敗した、ということも考えられます」
「じゃあ、私は誰なのでしょう」
うっかり口を滑らしたので、俺の中の弁護士は退席してしまった。
「あっ、別に私どもはタナカ様を疑っている訳ではありませんで、別に本日は調書を取らせていただいた後には、ご自宅にお帰りになってもかまいません。
本件は事情がまだ不透明な状態ですので、いろいろな可能性から情報を集めている段階で、その協力をお願いしているだけですので……、」
「ところで、その私の個人情報の記録はいつ回復するのでしょうか、ちょっと生活に支障があるみたいなので、早急に対処をお願いしたいのですが」
ほんとだよ、まったく、クレームの電話入れちゃうレベルである。
「それでしたら、本日はここにお泊りいただけますよ」
いやいや、あんたおかしいから、その受け答え変だから、あんた俺のこと逮捕する気、満々じゃん、システム回復するまでずっと拘束する気じゃん。
「いえ、用事もありますので、帰らしていただきたいのですが」ってか帰りますよ、俺、絶対。

その日は、結局、夜中の11時までそんな問答をしたあげく、パトカーで自宅まで送ってもらい、帰って寝た。
次の日、俺の個人情報は回復したらしく、それからいつもと同じ会社員の生活を続けている。
しかし、俺は今どこかに移住できないかと本気で考えている。地球上でグーグルグラスみたいなものがない場所はないのだろうか、ないのだろうなあ。

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