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681932 journal

nameforslashdotの日記: むかしの原稿。

日記 by nameforslashdot

Note 60 一般 (salon.general)
[ RESPONSE: 44 of 108 ]
Title: 雑談 (r.7,8,44,67 長文注意)-closed to125
Bytes: 26584 Date : 9:40am 3/09/98 Author:shimpei ( )

                93 年位に書いていた奴です。改行がヘンですがご勘弁を。
                「人間の価値はどういう具合に決まっているのか」について書いた奴もあった
                筈なのですが何処かへ行ってしまいました。残念。HDD に wgrep かけまくった
                んですが出てこない。ちょっと文章手直しした部分があります。ご容赦。

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 ○ 『文字は “書き”ますか、“叩き”ますか? ~ペンを捨て、鉛筆を折れ』

 「あなたはワープロをお使いですか?
 「あれ、そうですか~ なぜ、お使いにならない? できればお聞かせください
ませんか。
 ふむふむ、

 1) そもそもキーボードに触ったことがない、なんとなく恐い。
 2) ワープロを使うとどういうメリットがあるのか、よくわからないから関心がない。
 3) 漢字を忘れてしまうのではないか。
  3-1) 文体が変わってしまうのではないか。
        3-2) ワープロを持ち歩くのは非現実的だから、どうせ手書きをせざるを得ない。
  3-3) 手書きのほうが字に味があってよい、ワープロの手紙は失礼だ。

 ......ははぁ、わかりました。

 「でもでも。お言葉ですが。いろいろとコメントしたくてウズウズしちゃって
るんですが~
 というのはわたしは、本気で、ワープロ無しでは原稿用紙一枚分も書けないほど愛用
しているからです。ワープロってのそれほどのものなのだと、わたしが思っていること
をぜひ理解してもらいたいのです。長くなるような気がするんですが、おつきあい
ねがえますか?
 オッケーですか。それはどうもありがとうございます。

 「さてと。どっからはじめようかな。
 「では。まず最初に、わたしの偏見から申し上げますね。ワープロについての基本的
な認識というか、ワープロっちゅーハイテク・トレンディ・インテリジェントツールを
いったいどういうものだととらえているか、です。
 実は、(強調、開始)文章を生成する者はすべからくワープロを使わねばならぬ
(終了)と信じこんでいるんですよ。すごいでしょ。ですから、小学校で字の書き取り
と平行してワープロの使い方を教えたらどうかとも思うのです。
 文章を生成する者、というのは『自分の頭で自分の意見を考えたい、表現したいと
思っているひと』といいかえることができます。知的生活という言葉とそれを目指した
運動が一昔まえ流行りました。このカッコいい生き方を目指すひとも含みますが、
ほんとうは自分の意見を筋道たてて考えたいなという、あたりまえで普通の
(いいですか、普通なんですぜ)ひとたちのことです。
 「あ、苦笑しましたね。いくらなんでも言いすぎだ? そうですか、そう思われる
でしょうね。でも、違うんですよ。というか、わたしは違うと確信しているんです。
だんだんにその理由をご説明しますね。納得してくださったらうれしいんですけども......。
 「あともうひとつ、これからはワープロという単語の意味は、パソコンで作動させて
いるワープロのソフトウェアのことです。いわゆるワープロとして売られているルポ
とか文豪とかそういうやつのことは、ワープロ専用機と呼びます。理由は、たぶん最後
の方で言うと思いますのでまずはよろしく。
 「ではさっそく、本論にまいります。まず最初に、手書きとワープロの最大のちがい
と、そこから生まれるワープロの最大の優位についてです。それは、

 (強調、開始)タッチタイプができれば、ワープロは手書きよりも圧倒的な高速度で
同量の文章を産出する(終了)

ということです。なぜかあまり言われないことですが。

 別の言い方をすると、文字を書くはじめっから、あるいは既に書いた文字列の、
さまざまな変更・調節(文字の削除、追加、センテンスの順番の変更、章構成の組
みかえ、全体構造の再構築、等々)が手書きと比べてはるかに楽にかつ自在に行える
こと、文字列の物理的配置にかかるコストが手書きよりもワープロのほうが格段に
圧倒的に低いこと。変に角張った言い方だというのは承知してますが、抽象化すると
こうなると思います。ああ、こうした物言いをよくやりますけど、そういうくせがある
もんで、でも聞き流さないでくださいね。
 「タッチタイプというのは、キーボードを見ないで,つまり真っ暗闇でもキーを正確
に打つテクニックのことです。手書きよりワープロの方が速くなるためには、操作者が
この技術を習得していることが(強調開始)必要条件(終了)です。『えーと、A, A
はどこだ、あった、次は I, I, I,....、 あれ、見つからないぞ、このキーボード
壊れてる~』(実話)なんてなことでは、手書きのほうが百倍速くなることもあり
えます。
 「タッチタイプと手書きを比べた実験はいろいろありますが、どの結果にも共通する
のはワープロの方が圧倒的に高速で、手書きと同程度以上に正確であるということです。手書きに対するワープロの速度は、(強調、開始)二倍、三倍ならごく普通(終了)
です。わたしは一分間に漢字かな混じり文を百文字分くらい打てます。もちろん
ピークスピードであり、そのままずっと打ち続けられるわけではありませんが手書きに
戻るつもりなど皆無なのは間違いありません。
 ワープロを使ってはいてもちゃんとしたタッチタイプができない人がけっこういる、
いやむしろ大部分ができないのですが、これはまったく残念なことです。キーボードは
文字を書く作業に革命をもたらした画期的な発明(少なくとも欧米では、また、
おそらくこれからの日本でも)です。まばたきをするのと同じくらい自然に扱いたい
ものです。せっかくキーボードを操作するなら、その持てる能力を可能なかぎり発揮
させてやるべきではありませんか。それに、眼が疲れますよ、視線がディスプレイと
キーボードを行ったり来たりしていると。
 タッチタイプができるできないで、ワープロ(や、コンピューター)に対する
イメージと、それぞれを使用した時の効果がぜんぜん違ったものになってしまいます。
できないひとにとっては、あのキーボードをみただけで敬遠したくなるものです。
わたしもそうでした、じつは、恥ずかしながら。弟がこともなげにカタカタとキーを
叩いているのを横目で見ていた記憶があります。今にして思えばタッチタイプでは
なかったのに。

 「さて、ワープロの方が数倍速く文字を配置できることから生まれる優位性に
ついて。大きくわけて二つあります。
 「まず第一に、想起した概念を言語化し文字列として外部に存在させる動作(俗に
『字を書く』と言いますが)をさっさと終わらせ、次の段階である文章の推敲に、より
多くの時間をかけることができるようになるということです。また、ワープロで書くと
いうことは清書を同時に行っているのと同じですから、手書きでは必要なその時間と
手間もなくなります。つまりワープロを使うと余分な時間が生まれる、ということ。

 「第二に、ワープロでは物理的に字を書くのと違ってわずかなキー操作で書きなおし
ができますから、既存の文章を切って張って追加訂正してやることが気楽にできます。
ここからここまでを切り取って一番最後までもっていくとか、何年前も前に書いた文章
の一部分を切り取ってきてはめ込む、というようなことも簡単です。たとえば、いま
この文章を書くのに使っているワープロ(実はワープロではなくて、パソコンで
動かしているVZエディターというソフトウェアですが)では、数千字の長い文章
であっても、ある部分から別のところへ移動させるのに五秒もかかりません。一
パラグラフ削除するだけならキーを二つ操作するだけで、〇.二秒以内。うだうだ
いいますが、要は編集作業がらくちんなんです。

 ふたつあわせると、『書いた文章を十二分に推敲できる』のです。
 「だのに、多くのひとは綺麗な印刷という観点からしかワープロの意味を見出して
くれないのです。これ大いに違うのです。

 「(強調、開始)ワープロを清書からではなく執筆段階から使うことで、文章の質
そのものの向上が期待できる(終了)のですよ。これは清書だけに使うには誠に惜しい
機械です。というか、そうも使える機械だけれども、決して本来の存在意義ではないの
です。
 「綺麗な文書は、他人とのコミュニケーションという観点から必要とされています。
が、ワープロは、はっきりとした意識にはなっていない想念のかけらを呼び集めて相互
作用させ確固とした思念に練り上げる過程、つまり自分とのコミュニケーションのため
にまずはつかうべきものなのです。他人とのコミュニケーションはその先のことです。
しかも、印刷面の美しさと表現している内容は全く関係ないですからね。
 「これで、2(=ワープロのメリットとは?)に対する答えになりましたか?
 「なったとしますと、1(=キーボードは敬遠したい)もOKですね。ぜひ練習して
ください。単純に、いままでの数倍の速度で文章を綴ることができるというのは刺激的
ですよ。知的な快感です。文章を綴るために、手書きの物理的速度制約がどれほど
足かせになっているかということが実感できます。脳の文章生成速度を一とすると、
〇.五や〇.三の速度でしか『手書け』ないのです。システム全体としてみると、脳が
時間をもてあましている一方で手は必死に書いているという悲劇(喜劇?)になっ
ちゃうのです。またちょっと脱線しますが、いわゆる速読法というのがありますね。
あれ興味あります。読書速度が数倍、数十倍、数百倍になったらどんなに快感、かつ
実用的なことでしょう。
 答えにならなかったら、うーん、どうしましょうかね。とりあえず、文字を書く速度
が数倍違うんだということになにか意味を見出していただくしかないな~
 わたしの場合、ゼロから練習をはじめて一日一時間、十日くらいでなんとか文章を
打てるようになりました。これくらいの練習量なら、安いもんだと思いませんか。
くどいようですが、タッチタイプができるだけでぜんぜん違う領域が見えてきます。
一生ものの技術ですから、無駄になりません。いま思い出してみると、なんとかタッチ
タイプらしきことができはじめたころはとにかく嬉しくて、好きな歌の歌詞を打ち
込んだり当時はつけていたワープロで書いた日記がやたらと詳細になったりしたもの
です。うーん懐かしいな~
 一方、手書きで字を生み出していくあの感じ、手の感触そのものが心地よいのだと
言うひとがいるはずです。もちろん理解できます。できますが、ワープロを使うか
否かの判断は、タッチタイプで文章を書いてみてからにしていただきたく思います。
当然の予想ですが、戻れなくなるはずです。そう、戻れるはずがないぞ。
   脱線します。よく作家がエッセイで、ペリカンの旧モデルが最高だとか最近の
万年筆はやわになってしまったので悲しいとか、神田のある万年筆屋では個人に
あわせてペン先を調節してくれるからうんぬんとか、書いていることがあります。
ですが、不思議なことにキーボードについては作家たちも市井のひともあまり注文を
つけません。なぜなんでしょう。キーを押した時の感触は、キーボードを使う上では
かなり重要な問題なんですけどね。

 執筆速度の速さからは二つ優位が生まれると書きました。それ以外の特性とそこから
発生する優位を述べます。
 『文章が物理的に固定されておらず、電子的な形で動的に表現されている』という
特性があり、それは『大量の文章を簡単に読み、特定箇所を探し、部分ごとに執筆し、
保存し、複写することができる』という優位になります。というのはですね。
 紙の物理的特性に依る制約が、文章の内容と執筆速度にどういう影響を与えるか
考えてみましょう。
 紙は一枚が基本単位になっていますからそれを越えるととたんに『物理的』に管理
する手間が発生します。文章が長くなるにつれて『論理的管理』がたいへんになって
いくのはワープロでも手書きでもまったく同じなのですが、手書きではワープロに
ならば発生しない性質の『物理的管理』を行わなければならないのです。
 紙の上の文字はどうあっても移動させられないことから、ある程度以上まとまった
文章の大規模な変更は実質的に不可能で、書き直しということになります。紙を
またがって文章を引用するわけにはいきませんし、切り抜いて張り付けるには手間が
かかりすぎますから。作家が書き損じの原稿を投げ散らかすシーン、あれが頭に
うかびます。紙から字をべりっとばかりに剥ぎとって、移動させられればかなり事情が
変わりますが。
 短い文章や単語の削除訂正ならば、頁にまたがらなければ一文字単位で行えます。
が、赤の入った原稿を見たことがあればおわかりいただけると思いますが、とかく
汚くなってあとから読むと自分でもなにを書いたんだかわからないようなことに
なりがちです。四文字の単語を五文字に書きかえようと思えばかっこをつかって
挿入するし、邪魔になったパラグラフを消すならバッテンをつけるなりするのです
から、当然ですね。まあ、文学の研究者などは、ワープロが作家に普及すると完成
原稿しか残らないのでもしかすると致命的な障害になるかもしれない、なんてことは
どうでもいいのですが。
 翻ってワープロ(にかぎらず、じつは『機械可読な形で表現された情報一般』に
ついて共通なのですが)では、わたしたちが入力したことすべてが人工記憶装置の中に
存在していますから、紙の上でよりもはるかな高速度で検索し、見たい部分を表示する
ことができます。たとえば、ページを繰るという作業ですがVZエディターだと一
ページ繰る作業は、二つのキーをほぼ同時に打鍵することで実現され〇.二秒くらいで
可能です。文章全体から特定の単語を含む部分をみつける、あるいは見つけた単語を別
のものに置換する、という作業もやはり秒単位です。
 つまり、データが機械可読であることから、コンピューターが得意とする『複写』
『検索』『送受信』といった操作を加えることができるわけです。そこから発展して、
目の眩むような素晴らしい可能性がひらけるし一部実現済みなのですがあまりに
ワープロの話からはずれるのでやめときましょう。
 「デメリットばかりがあつまった『3』を考えてみます。
 「3-1(=漢字を忘れるのではないか)ですが、いやあ、これは確かに忘れます。
いんや忘れない、と豪語するのが、あ、ほらあそこにいる背の高い彼ですが、一般的
には忘れます。忘れると思うなぁ。読みには関係ないのですが、書くほうにはガタが
きますね。もともとわたしは漢字の書き取りは弱かったのですが、盛大に拍車がかかり
ました。
 「ただ、漢字を忘れて困るのは人前で書くときくらいですので、どちらを重視するか
というとやはりメリットのほうです。『あれ、こんぺきのぺきってどういう字だっけ』
と、思う間もなく『紺碧』と出てきますから辞書をひく回数は激減しました。
 「脱線ですが、ワープロの画面上で引くことができる辞書(広辞苑、OEDなど。
シェイクスピア全集とか旧新約聖書なんていうのもある)がようやく一般的になって
きました。ちなみにいま使っているパソコンには、六万語の用例をもつ国語辞典が
組み込んであってワンタッチで呼びだせます。それだけでも便利なのですが、だって
一つ引くのに五秒かからないし引いた内容をいま作成している文章にそっくり引用する
こともできる、この辞書がおもしろいのは語尾からもひけるところです。たとえば、
『~的』という単語をぜんぶ表示させるというようなことができます。
 あのですね、小学校では算数の授業中に、電卓を使うようになってきたって御存じ
でした? これまで、しつこくしつこく筆算させていたことを代替させるのでしょう
かね。それから、大学の定期試験には『なんでもかでも持ち込み可』というのが時折
あります。ということで、漢字を書くという能力はサポートがいつでもどこでも
得られるようになれば、さほど必須のものではなくなるんではないでしょうか? 
漢字そのものが書けるか否かっていうのは国語能力の優劣と関係なくなる、なーんて。
どう思います?
 で、もうひとつデメリットをあげると、『同音異議語の誤用』があります。いちばん
目につくのが『以上』と『異常』、『以外』『意外』の誤用ですね。ですがこれは
むしろ使用者側の問題で、ワープロのせいにするのはへんでしょう。ワープロの文は
漢字が多くて読みにくいなどもおなじ問題です。野菜じゃなく指をきざんでしまったと
しても、包丁を責めるひとはいません。
 と、言い切ったところで『銃は人を殺さない、人が人を殺すのだ』という全米
ライフル協会の標語を思い出してしまいました。これはやばい。
 『道具の生じさせた結果には使用者が責任を負うのだから、道具そのものには
罪がない』という共通点から二つが同質に見えますが、後者は明らかな詭弁であると
わたしは思うからやばいと。このままではこの標語も正しいと言っていることになって
しまう。
 後者は大きく間違っていると思っていますから。というか、その言説そのものは
正しいけれど、だって銃による殺人の九分九厘九毛以上が人の意志の下で行われ、
ターミネーターみたいな自動殺戮機があるわけじゃないんだから、でも、それを
そのまま社会に適用しようとする意志が感じられてそちらは間違っている、と
言いたいわけです。
 その理由は、ええと、銃器を所持する自由が社会全体に及ぼす影響を勘案すべきで
あるからです。メリットとデメリットをはかりにかけて、どう見てもメリットのほうが
大きいとは思えない。この標語が言いたいことが絶望的に間違っているのは、銃器所持
の使用という選択の結果が、あまりに巨大なデメリットを社会全体に成していることを
故意に無視しているからです。あるいは、ひとの理性・悟性に対して過度に楽観的
なのかもしれない。
 「ある言説どうしの論理的な構造が同じであったとしても、だからといって自動的に
両者が社会全体から同じ扱いを受けるわけではない。」なんだ、簡単なことだな。
いいのかな、こんなんで?
    ところで、この『自由対束縛の構図』の根底には個人対社会の問題のなかでも最も
大きいものの一つである『公共の福祉のためには個人の権利は制限される』という定型
句が横たわっています。多数の幸福が少数のそれを上回るとはいえ、少数の基本的人権
を侵すことは許されないわけですが、しかし、基本的には多数が強い(法律と
いうのは、まさに、条文だけでは意味がないというか現実問題に適用できないもの
なんですねぇ。判例の積み重ね、それと微妙にずれつつ、また表層的な事件に左右され
ながら相互作用しあう国民の感情、諸外国の動向と働きかけ、などが総合的にまじり
あっていつしか鈍重な「正義」が法曹関係者間でゆるやかに形成されていく)。
    「ところで、積年の疑問なんですが、いま述べたとおり『多数決は総てを支配
している』とわたしは信じているのですが、これで正しいと思われます? みんな、
そう思ってくれているんでしょうか?
 例をあげますとね、たとえば、ことあるごとに言っていますが、科学理論って
ありますよね。これ、じつは多数決でその妥当性が判定されているって御存じ
でした? つまり、仮説が理論や定理や法則へと昇格するのは『正しいから』
ではありません。『正しいと主張する人が多いから』です。

 『物は落下などしない』とされている世界があるとしましょう。いまの我々には落下
しているように観察される現象があるにもかかわらずですよ。そういう世界では『物が
落下している』というような主張やそれを支える実験データ、証言その他はすべて
間違っているとされます。疑問の余地はありません。我々がその知識を以って彼の
世界の誤りを指摘することはできますが、その言葉は彼らに届かないのです。
 これは別に極端な例ではなく、地動説や進化論や大陸移動説や相対性理論などが
たどってきた道にすぎません。これらの説も、提唱当時は阿呆のたわごとでした。
実験データの解釈にはひとの恣意が入り込みますから、データ解釈という行為が
存在する以上は歴史が客観ではない(そう、歴史は客観じゃないんですよ)ように
科学の営みも客観ではない。といって、もちろん科学の成果はぜんぶ幻想だなんて
言いたいわけではないですよ。人の営み総てのうち、科学ほど『真理』に近いものは
ありません。その科学にしてからが、というのがいいたいことなのです。
 『正しいから』と、『正しいと主張するひとの数が多いから』、両者の違いがお判り
になるでしょうか。これが科学の知見ということになっています。あたりまえでしょう
か? あたりまえだとすれば、多数決が総てを支配する、ということに賛成してもらえ
ますか? とするとたとえば、うんと拡大しますと『真理』は、なにか絶対的なものが
存在しているかいないかに関係なく、その時代の特定範囲のひとたちがいわば
『勝手に』決めているのだ、となります。
 特定の宗教を信じているひとにとっては、その教義から導きだされる彼らなりの真理
が厳然と存在しています、が、それは世の中すべての人にとっての真理では
ありません。我々が真理と称するなにかを、そうとは認めない人たちがいるのです。
我々が、彼らを、あるいは逆に彼らが我々を、迷いに囚われていると憐れんだところで
事態はなにひとつ進展しません。世界がひとつの宗教で統一されれば話は簡単ですが、
そうではないかぎり世の中には真理が氾濫していることになります。普遍的な真理
なんてものはどこにも存在しない、となりますが、これでいいですかね。
 もうひとつ、いまと関連しますが、あなたは『ひとつの価値観で統一された社会』
を、理想としますかしませんか?なんに対する価値観かとか、いろいろ現実的な変数は
ありますが、イメージとしてです。
 あ、いまわたしがいろいろ言っているのはかなり思考実験的な側面が強いですから、
聞き流してもらっても、残念ですがしょうがないし文句をいうつもりもありません。
なんかこういうディベートもどきのことは『くだらない、言葉の遊びだ、世の中理屈
じゃないよ、時間の無駄だよ、いったい何の意味があるんだどういう役にたつんだ
こういうことが、おれって頭わるいからとってもついていけないよ (苦笑)』とか
なんとか忌避するひとが多くて、悲しい気持ちになることが多いのですがね。
 屁理屈だ、という風にもいわれるんですけど、屁理屈は打破されるまでは立派な、
文句のつけようのない理屈です(っていうのは屁理屈?)。ある主張を屁理屈だと判定
する手段として『その主張は屁理屈である』と宣言するだけでよしとするなら、それは
たんなる馬鹿と同じです。なにも言っていないのと同じなのですからね。『○は△で
ある』と主張するためには『なぜならば』以下が絶対に必要なのですから。
 「えっと、さて、気をとりなおして、つぎの 3-2 (=文体が変化してしまう)に
ついて、ワープロ礼讃者は『ワープロを使ったくらいで変わってしまう文体なんて
もとよりたいしたものじゃないから気にすることはない』と言います。これ以上の説得
は必要ないと思います。思いませんか?
 また、たとえ文体に変化があったとしても、そのことが文の価値・意味を減ずるもの
とストレートに決めつけるのはちょっと短絡ではないでしょうか?作家でワープロを
導入したひとはけっこういますけれど、彼らの本がそのことで売れなくなったあるいは
質が落ちたというようなことは聞きません。
 「3-3 (=ワープロは持ち運びできないからどうせ手書きは必要だ)、そうですね、
まだワープロは持ち歩くには重すぎます。重量数百グラムでちゃんとしたキーボードの
ついたワープロもありますけどいかんせん高価ですし(十万円弱)一般的ではあり
ません。でも、だからどうした、と言いましょう。長い文章を書く場所はどこか、
ということです。まずたいてい家か職場ででしょう。そこにはワープロが置けるはず
です。
 「3-4 (=ワープロなんて無機質で味わいがない)については、論議がたくさん
あります。侃侃諤諤喧々囂々やったあげくに『人の感性』という手前勝手で曖昧模糊な
ものに結局は行き着くので、わたしも勝手なことを言いますと、まずですね、味わいが
問題になるのはおもに個人間の手紙においてである、ということを確認させて
ください。
 さて、その味わいとか、暖かさというのはなんでしょう? 文章を書いた人の、
そのひとらしさをあらわすなにものか、でしょうか。としますと、現時点で手書きの
ほうがワープロよりも『それ』があると多くの人が感じるだろうということはわかり
ます。そのことは認めましょう。
 ですが、欧米ではタイプされた私信というのは、とくにめずらしいものでは
ありません。最後に手書きでサインをいれるのです。タイプ私信でも、とくに味気
ないと思いませんよ。そんなことよりも内容ではないでしょうか?

 別の角度からワープロ私信を弁護しますね。

 手書きとワープロで、作者に科せられるコストそのものの総量はそんなに劇的には
変わっていないのではないでしょうか。少なくとも、わたしの場合はそうです。なにが
変化したかというと、コスト配分の比率が変わったのです。思考を文字表記するのに
かかるコストが減少し、かわりに本質的な、思考や表現そのものの深化により多くの
資源が使えるようになったということです。

    「言いたいことはだいたいこんなものです。

 「とまれ、一番わかっていただきたいのは、(強調、開始)ワープロは断じて清書
マシンではなく、本当は知的思考支援装置である(終了)ことです。いくら強調しても
しすぎることがありません。コギレイな印刷物のためなんかよりも、思考や創造にこそ
つかうべきものです。こんな基本的なことを強調しなきゃならないとは残念ですが、
しょうがない。手書きの文章があってそれをワープロで清書するという作業がある
場合、清書するひとは文章作成者の知的能力を疑う権利があります。
  「ワープロで文章を書いてみる気になりましたか? なったとしたら、キーボード
の教本なら、日本実業出版社『ワープロは10本指で』をお薦めします。練習は実に
単純ですが、その単調な練習を持続させる理屈が秀逸です。まあお読みください。
さっき言った、漢字を忘れない彼が持ってます。わたしのすすめで買ったのですがね。
 そしてもし、ワープロが欲しいなと思われたら躊躇があってもワープロ専用機
(パナワードとかルポとか書院とか文豪とか)(強調、開始)ではなくして(終了)
パソコン(BTRONとかPC9801とかマッキントッシュとか)にすることを
おすすめします。というのはいまのワープロはパソコンの単純なものというか『手足を
縛られたパソコン』だからです。
 買った当初は満足していても慣れてくるにしたがってかならず不満が出てきますし、
その場合、ワープロではほとんど改良の余地がありません。パソコンだったらいくら
でも改良拡張できます。ああ、そうは言っても年賀状を手抜きするのにしかつかわない
人からは不満は出ないでしょうが。
 ここで言っておかなければいけないのは、いまのワープロ専用機は非常によくできて
いて性能対価格比はとてもよい、ということです。矛盾するようですが。ただし、その
優秀性は『閉じている』のです。自社の独自規格のことしか考えておらず、周辺機器は
高価で、ハードウェアの拡張性はパソコンと比べれば無いも同じです。
 わりきってつかうなら性能対価格比がパソコンより良いことは認めます。が、
それでもおすすめしません。ワープロ専用機はいびつな、未来のない発達をして
しまっているのです。ちなみに、アメリカにはワープロ専用機というのはまずあり
ません。みんな、パソコン上でのワープロソフトです。アメリカ礼讃者ではないつもり
ですが、でもね。ワープロ専用機などというものは必要としない技術大国があるわけ
ですよ。
 本筋からは(またしても)外れますが、紙に印刷された文章、がどう見えるか最後に
言わせてください。わたしには『死んでいる』『化石化している』ように感じられるの
です。ワープロで読める形の電子的情報のままならば、記憶装置に貯えておいて随時
呼び出すことも簡単、あっちゃこっちゃを切り張りするして新しい文章に引用すること
も、膨大な文章をぱらぱらと斜め読みすることも、任意の単語を検索したり、あるいは
見つけた単語を別の単語で置き換えることや、膨大な数の文書のなかからそういう単語
を含むものだけを見つけだすことも簡単にできるのです。
 それなのに、紙の上で死んでいるとどうでしょうか。貯えるのに場所をとり、検索
できるようにするのに丹念な整理整頓が必要で、切り張りすることは事実上不可能で、
任意の単語を検索することや、任意の単語を含む文章をみつけることなど原理的に
不可能なのです。
 とはいっても、ひとに読んでもらう文章は打ち終わったあと印字して赤を入れ、修正
するのですがね。CRT上だけで校正はできない、あるいは不正確なのがおもしろい
ところです。先の校正ソフトに全部は任せられないし。おそらく、画面と目の位置が
固定されているところから来るのだと思いますが。だから、と屁理屈をこねると、
印刷しないと校正できないのはいまのディスプレイの瑣末な技術的問題であって、
ワープロそのものの本質的欠陥ではない、とか強弁したくなっちゃいます。
 わらいばなしをひとつ。一般に、『ワープロを習得する率は字の汚いひとのほうが
高くその逆も真なり』と言われているのです。はは、わたしにもあてはまります。
 気がついてみればすっかり長話になってますね。すいません。退屈でした? と
いまさら聞いても無意味だなぁ。

 まとめてみます。

 ◎ワープロの意義:
 
 》1《 ワープロでは、(強調開始)手書きの倍、三倍以上の速度(終了)で文章が
作成できる。

 》2《 ワープロは、(強調開始)文章の削除訂正移動引用が圧倒的に楽(終了)に
行える。

 》3《 1、2から、(強調開始)文章の質の向上が期待できる(終了)。

 》4《 従って、(強調開始)ワープロは(終了)清書機械ではない。(強調開始)
思考支援装置・知的活動増幅機(終了)である。

 》5《 ただし、(強調開始)タッチタイプ(終了)を習得していることが
(強調開始)すべての前提条件(終了)である。

 ×デメリットと、それに対する反論:

 ■「漢字が書けなくなるのではないか」 →「確かにそうだが、実際上あまり
困らない」

 ■「文体が変化してしまう」 →「ワープロをつかったくらいでかわる文体など、
もともとたいしたものではないから気にする必要はないし、好ましく変化するかも
しれない」

 ■「ワープロは持ち運びできないから手書きは必要だ」 →「そのとおり、ただ、
長い文章を書く状況では、ワープロを手元に置けることが多い」

 ■「手書きのほうが味がある」 →「私信であれば、手書きだろうとワープロだろう
とたった一通しかないものだから、その価値は変わらないのではないか」

 というような感じですかね。

 ではまた、機会があれば。

--------------------------------

                強調開始、終了、なんていう指示が入っているのは、このテキストが本来、
                あれだ、「同人誌」、みたいなものの原稿だからです。テキストファイル
                で渡したものだから、編集さんに向かって「レイアウトするときは強調字体で
                お願いしますね」という意味を込めてあるわけです。

                今見ると SGML みたいでかっこ良くないスカ?
                でもないか。しかしあれだな、HTML みたいなのがこんなに流行するとは
                思わなかったなあ。WWW おそるべし(おそるべしと言えば音無可憐さん。
                草刈正雄が森本レオみたいで面白い)。

                /

                日本 IBM の ViaVoice は単語を区切らずに喋った言葉を漢字変換してくれる
                ソフトです。面白そう。テープ起こしに使えないだろうか、とサポートに
                聞いたら「録音品質、背景雑音などの程度によります」と至極当然なご返事。

                60分起こして2-3万円、という話を聞くのですが本当ですか? と、
                あるとき Oh! PC 編集部の、大迷惑をかけた某氏に恐る恐る電話をかけたら、
                「いやーウチの場合はね…」とがっかりする数字が返ってきました。

                /

                仕事したいよう。@

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typodupeerror

アレゲはアレゲ以上のなにものでもなさげ -- アレゲ研究家

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