nidakの日記: フランス革命:第二章(ウヨサヨ誕生の歴史的背景について) 2
フランス革命の起原となる考え方は、海を超えた先にある当時の未完成
国家:アメリカからやって来ている。
英国との独立戦争に明け暮れていた1770年代後半、ベンジャミン・フラン
クリンは、フランスにて援助支援を仰ぐ為に外交活動を行っていた。
そこで彼は、アメリカの独立に対する考え方と、その素晴らしさを大きく
謳っていた訳だが、これがフランス人の間で大賞賛を受け、フランス中に
自由と独立に対する意識改革が強く芽生えることになる。
、、、なんて書くと『アメリカ的歴史観点』になるので、他の言い方も
あるってことをここに付け加えておく。といっても、アメリカ的には
majorな歴史的背景に、他ではminorな背景にランク付けされるってだけ
なのだが。
まあとりあえず、フランスでは1778年に、アメリカ側の勝ちそうな気配と
英国の衰弱を促進することが出来るといった理由から、遅ればせながらも
軍の援助を送ることになる。
フランス革命の話だ。フランスの海軍援助を受け、英国を蹴散らした
アメリカのその後は、いわずがなもだが、度重なる戦争やアメリカへの
支援でお金を使い果たし、それを補う為の重税を課せられたフランスの
一般市民達の間では、鬱憤が蓄積され続けていた。そんな中、1789年の
ある日『っていうか、もういい加減にしてよ!』と、みんなでぶち切れ
有名なフランス革命に突入する。
右翼/左翼という言葉(議会の右側に保守派、左側に自由派が座った
ことからこの名が付いた)や、革命のシンボルともなった『ギロチン』
も、ここに誕生することになる。
『パンが無ければケーキを食べれば良いのに、、、』といったのは
この時代の貴族マリー・アントワネットだが、そこはアメリカの影響を
強く受けたフランス人、"Shutta fuck up bitch!!"と叫び、彼女の首を
ギロチンで切り落としたのでした。
ってなわけで、めでたし、めでたし。
(可哀想なので、ベンジャミンと一緒にジェファーソンもいたことを
ここに付け加えておく。)
Slashdot trivia(というほどでもない) (スコア:1)
ギヨタン医師は囚人に与える苦痛が短い、より人道的な処刑法であるとして断首台の使用を提案したが、受け入れられたのは短時間により多くの処刑をこなせるから。本人は作成に携わっておらず、ギロチン(ちなみにこれはドイツ語で、フランス語ではGuillotine。ギロティーヌとでも読もうか)という名称が定着したのは、対立する勢力の中傷による。ちなみにギヨタン医師本人がギロチンで処刑されたというのは嘘で、実際は病死。
Slashdot trivia(というほどでもない) その2 (スコア:1)
マリア・テレジアの父、神聖ローマ皇帝カール6世には娘しかいなかった。カール6世は、列強にハプスブルグ家の継承権を娘に与える確約を取り付けたが、新興国プロイセンのフリードリヒ大王(ブランデンブルグ選定侯)はカール6世死後、シュレージェンに侵攻し結局この豊かな地を取り返すことはできなかった。よって、プロイセンに対抗する意味でも、マリア・テレジアはフランスとの関係を強化する必要があり、ブルボン家に娘を嫁がせることにした。これが、フランス革命とナポレオンの出現を招き、神聖ローマ帝国消滅に繋がろうとは…。