nidakの日記: 言語と思考の関係
日記 by
nidak
以前何かの論文で読んだのだけど、どの言語で
物事を考えるかで導かれる意識は異なるらしい。
アメリカ人と日本人の間にできた女の子に英語
で「大きくなったらどんな女性になりたい?」
と聞いたところ
「仕事ができる独立している女性」
との答え。
同じ質問を日本語ですると
「(いわゆる)家庭的な女性」
との答え。
これはちょっと極端な例かもしれないけれど。
英語で考えるのと日本語で考えるのでは、ある
程度のギャップが生じる。
Don't you like this movie?
(この映画嫌いなの?)
と言う問いに対し、英語の場合
嫌いなら:No, I don't like this movie.
好きなら:Yes, I like this movie.
となる。否定には否定の文が続き、肯定には
肯定が続く。日本語ならその逆だ。
はい、嫌いです。
いいえ、好きです。
自分の場合、たまに日本に帰ってこの手の疑問
系で聞かれると、ちょっと答え方を正すのに時
間がかかる。
こうした文法的な小さなずれと、その他の様々
な表現などのずれなどが、全体的にその言語を
使用するユーザーの思考にも何等かの影響を働
きかけるのかもしれん。
それが、中国人はなんであんなにやかましいの
かを証明するのかどうかは別としても。
物事を考えるかで導かれる意識は異なるらしい。
アメリカ人と日本人の間にできた女の子に英語
で「大きくなったらどんな女性になりたい?」
と聞いたところ
「仕事ができる独立している女性」
との答え。
同じ質問を日本語ですると
「(いわゆる)家庭的な女性」
との答え。
これはちょっと極端な例かもしれないけれど。
英語で考えるのと日本語で考えるのでは、ある
程度のギャップが生じる。
Don't you like this movie?
(この映画嫌いなの?)
と言う問いに対し、英語の場合
嫌いなら:No, I don't like this movie.
好きなら:Yes, I like this movie.
となる。否定には否定の文が続き、肯定には
肯定が続く。日本語ならその逆だ。
はい、嫌いです。
いいえ、好きです。
自分の場合、たまに日本に帰ってこの手の疑問
系で聞かれると、ちょっと答え方を正すのに時
間がかかる。
こうした文法的な小さなずれと、その他の様々
な表現などのずれなどが、全体的にその言語を
使用するユーザーの思考にも何等かの影響を働
きかけるのかもしれん。
それが、中国人はなんであんなにやかましいの
かを証明するのかどうかは別としても。