okkyの日記: 多様性より統一性 2
「グーグル秘録 -完全なる破壊-」を読んだ。
私自身がGoogleとかと同じ価値観だからだろうか、読めば読むほど、新聞社とかは 負けるに決まってるじゃないかとしか思えない。
Googleのような「技術」が世界中から集めてこれるのは、特定のキー(大抵の場合はキーワード)に基づいた情報。「ここにはこれがあった」「あっちにはあれがあった」と提示することで多様性を提供している。機械的に多様性を見つけ出しているのだから、同じように多様性を提供する形で「コンテンツ・プロバイダー」であろうとしても、人力でヤッたんじゃそりゃ負けるわさ。
Google自身の提供する情報に欠けているのは「統一性」。
「一定の偏りをもった情報を提供する」のでも「ブランディング」でも何でもいいが、単一の価値観に基づいた取捨選択の結果を提供する、という能力がない。
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新聞社はどちらかというと「編集」の過程で「様々な視点」という名の多様性を提供しようとする。でも、そういうのは Google の方がはるかにハイパワーでハイパフォーマンスだ。だから Google に負ける。
どちらかというと映画の「監督」に近い統一性の提供に集中すれば、波にのるのは可能だろう。
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そう考えると、もうNHKはいらない、というのもよく判る。
フジテレビであれ日テレであれ、各放送局には「偏り」がある。それは各放送局がある程度の「色」を出そうとしているからだ。
NHKは「色がない」事を目標としてきた。確かに通信メディアが貧弱だった時代にはそのような、報道システムを1つ作らないと何が中立か判らなかっただろう。でも、今はそういう時代ではない。情報の多様性はますます強固に提供される。いちいち「中立」を主張しなくてはいけないような報道機関は不要だ。
ましてや、受信料のようなものを「無条件に」収集できるなどという腐敗を招きやすいシステムとセットになっているNHKでは、どのみち真の中立性を保つことはできない。他に選択肢がなかった頃は、それでもまぁまだ無いよりはましだったが…この時代となっては NHK は 無い方がマシだといえよう。
NHKはすべて解散し、我々は受信料をインターネットの通信料に投資して、さらなる多様性を享受できるようにするべきだ、と思う。
ここ数年、テレビ無しの生活をした上で、この本を読むとそういう事まで思い至る。
政治的中立についての誤解 (スコア:1)
基づいているためで、政治的中立を標榜しない放送局はそもそも存在できない。
しかし現実には NHK も偏っていて、民放はそれよりあからさまに偏っていることは
ご案内の通り。先ごろ局内で自殺した解説委員なんかありゃ一体何だったんだ。
Google などの発達によって新聞などの経営が脅かされると、民主主義の基盤が
揺らぐのではないかという議論がある。恐らく既存メディアによる我田引水の議論に
過ぎない。新聞社を公費助成するような政策は採る必要がなく、従来の NHK 受信料
体制を継続すれば、民主主義を維持するために必要な公共から報道への支援は果たさ
れたものと考える。それ以上の支援は民間で行われない限りほとんど意味がない。
規模の問題 (スコア:1)
支出と収入が釣り合っていれば企業は回るので、多少ニッチな見解へ偏って客が減っても、支出が小さければ回るでしょう。
しかし放送局各社(あるいは特に日本おいては新聞各社も)は特化するには規模がでかすぎるのではないかと思います。
規模がでかい場合は平均的なあたりの立場をとらないと客が減って回らなくなるので、中立寄りの立場に立たざるを得ない面もあるとは思います。