oopsの日記: 切り株とか 1
いつも自転車止めてるところの木が一本なくなってた。切り株だけになって。よく自転車を寄り掛けたりとお世話になってた木なのに。枯れちゃったのか分からんが、昨日まであったものがさっとなくなると悲しいものがある。しばらくは自転車を置く度に寂しい思いするのか。
最近、横浜駅周辺の工事が激しい。新田間橋拡張工事や新田間川沿いに駐輪場整備したり。駐輪場はもっと面積効率いい構造にして欲しいよ。いつも空いてる感じにしてくれれば金払って止めてもいいとは思うんだが、行っても空いてるか分からないのに行くのもなぁ。横浜駅は平屋になって久しいが、超高層駅ビル化とかないんかな。昔は狭いエスカレータに乗って、上まで行って文房具屋とかプラモ屋とか行ってたが。
テレビで各党の国会議員が来て、集団的自衛権の議論やったりしてるけど、まぁ、何というか、本質的には「無責任」性が根本的問題にあるんだよね。
自分は基本的には法実証主義的の立場を取りたいわけだけど、日本国憲法をひたすら全く変えずに解釈で超対応している現状を考えると、現実問題を議論するに法実証主義的立場を取れないわけで。
国には自然権的に国防の権利があり、また、世界平和というか世界秩序の維持する責務も自然権的存在して、そのためには軍事的な解決も避けられないという状況がある。そういう自然権が超越的に存在するから、日本国憲法がその正当性を示すには解釈主義による超対応するしかない。そういう現実が有るというのは理解できる。
んで、集団的自衛権の議論でどういう場合はやってよくて、どういう場合はダメでとかしっちゃかめっちゃかやってるわけだけど、そういう議論ってほとんど無意味に聞こえる。それは日本国が責務として、自分としてどう考え、どういう立場を取り、どういう確固とする行動を取るかという基本原理について統一的な意思を示せてないからだ。アメリカが言うからとか国連の合意に基づくから、軍隊を動かしてという話になる。日本自身の意思を明確にしない。軍事的行動というのは国のリソースを多く使い、国の人命を掛けて行動し、他国の人命を左右する結果を残すという重大な事項だ。そこに自国の意思としての行動が伴わず、他人任せの意思決定の上でてきとーに行動してという状況は無責任極まりない。逆に言えば、そういう「責任」を考えたくないから、無責任に自衛権やそれと関連する軍事的行動をという話になるんだよね。
そういう無責任体質は多くの領域で見られる話だけど、軍事に関してはきちんと責任ある態度で行動しないとダメだ。軍事は他人が決めたからと言って行動するべきことではない。ほんと国連決議があったから軍隊出すよとか阿呆らしいんだよね。米国が最近、シリアやらウクライナやらに無責任に暴動起こさせて、無責任にクーデターを発生仕向けさせて、無責任に内戦状態に突入させて、その後の処理は自分の身を切ることなく遠くから眺めてるだけで他の国を巻き込んで解決を促すという無責任主義マンセーなことやってるけど、ああいうことを日本はやっちゃダメと言うことで。
集団的自衛権の各議論も無責任を前提にやるから、アホな議論に終始する。どこまでOKでどこからはNGとか。日本が軍事的に責任ある行動を取る場合、それは自明(ま、法律で規定することは前提だが)なわけで。アホな政治家はいつまでこんな茶番やるんかなぁと思うわけで。早くアホ国会議員は引退しろよと思う。
日本が国として無責任に終始するのは、外国に取っては重要なことなんだよね。日本の弱化維持には無責任主義を冗長させる工作するのが効果的。そういう工作をいつまでまともに食らってるんかなぁと思ったり。
憲法のメンテも出来ない無能 (スコア:0)
憲法のメンテも邪魔する売国奴。
実際、明治憲法もマッカーサー憲法もメンテ出来てない。飛鳥時代~平安時代初期以下だねぇ。