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日記

phasonの日記: 金属水素

日記 by phason

"Conductive dense hydrogen"
M.I. Eremets and I.A. Troyan, Nature Mater., in press (2011).

金属水素は,高圧物性物理における聖杯のようなものである.

水素原子を考えると,価電子は1つであり,これはリチウムやナトリウムといったアルカリ金属類と等しい.そのため,もし水素原子が2原子分子を作らずに,均一に詰まった結晶を作れば,それはアルカリ金属同様に金属となるはずである.まあこれはバンド構造的に当たり前の話であるが,実際には水素原子同士はかなり強く結びついているためバンドが折りたたまれギャップが開き絶縁化している.
では,この水素分子の集合体に,非常に強い圧力をかけたところを想像してみよう.当然であるが,既に結合して距離が縮んでいる分子内結合に比べ,緩くパッキングしている分子間の方が縮みやすい.そのため,どんどん圧力をかけていけば,分子間の距離がどんどん分子内の距離へ近づいていくはずである.そしてある圧力以上では,もはや分子内と分子間の区別はなく,電子が非常に広い領域に渡って共有された均一な状態になると予想される.こうなってしまえば前述の通り通常のアルカリメタルと変わらず,水素が金属化するはずである.

と,このような素朴な描像による水素金属化の予想が立てられたのが1935年で,この時の予想では25 GPa(1 GPaがだいたい1万気圧)での金属化が予想されていた.それ以来,高圧実験屋は次々に新しい高圧実験装置を考案し,開発されるたびに水素に圧力をかけて金属化を試みる,という事が続いている.特にダイヤモンドアンビルセルの開発は大きく,現在では100 GPaを超えるような高圧がお手軽に(といっても,装置を持っているところに限られるが)印加できるようになっている.水素原子は非常に軽いこともあり,量子効果が強く効く.そのため超高圧(=超高密度)状態では水素原子そのものが量子的な揺らぎにより位置がぼけた状態となり量子流体化するとか,木星の非常に強い磁場は中心核にある金属水素のコアによるダイナモが非常に強いからだとか,まあ高圧下の水素というのは非常に研究者を引きつけてきたわけである.
ところが,圧力をどんどん印加しても金属状態は一向に現れず,実験が行われるたびに理論予測による金属転位点は高く,さらに高くと修正され,まるで逃げ水のようにつかめない.挙げ句の果てには,金属化の前に量子流体化が起こってしまうから金属にはならないんだ,なんて理論まで現れる始末.

そんな金属水素であるが,近年になり,ようやく金属化の兆候が見え始めた.例えば1990年代末,200 GPa以上の圧力(@77 K)で水素が黒くなり,可視領域に吸収を持つ事が明らかとなる.これはバンドギャップ幅が可視光以下(2 eV)になったことを意味している.また高圧印加で水素の伝導性が上昇していることは確認されている.ただしその一方で,210 GPaの圧力実験では抵抗の温度依存はまだ絶縁体であることが2003年に報告されている.1996年に行われたパルスレーザーによりサンプルの一端を急加熱しその衝撃波により瞬間的に高圧状態を作る実験では,140 GPa,3000 Kという状況で水素の抵抗が劇的に低下したと報告されている.ただしこれに関しては,実験上抵抗変化が起きるのが瞬間的であること,また温度依存がわからないため金属かどうかの判断が出来ないこと(単に抵抗の低い絶縁体かも知れない)事などから,金属化という見方には疑問も多い.

さて,今回報告されているのは,ダイヤモンドアンビルセルを用い,室温,200-300 GPaの領域で分光的測定と伝導度の測定を行った結果から,水素の金属化がついに成された,というものである.ダイヤモンドアンビルを用いて水素に圧力を印加する場合,通常は低温での実験が行われる.これは室温などの高い温度で超高圧を印加すると,水素原子がダイヤモンド内に浸透・拡散していき,水素脆化によりダイヤモンドアンビルセルが割れてしまうためだ.その一方で,金属化を狙う場合は温度は高い方が良い.温度が低いと物質は対称性の低い方へと転移しやすく,二量化(水素原子の場合は分子化)などが起こりやすくなるためだ.
そこで今回の実験では著者らは,ダイヤモンドアンビルセルの表面(水素に触れる側)にアルミナ(最表面の絶縁層)/Au(水素を通しにくい)/銅(ダイヤモンドとの接合)という3層コートを行うことでダイヤモンドへの水素の浸透を防止,室温における実験を可能にしている.なお,各層は十分薄く作られており,RamanやIRといった分光測定が可能である.

実験結果であるが,まず分光から見ていこう.水素の分子内振動をRamanで測定すると,およそ200 GPaあたりから急速にピーク位置が低波数側(=結合が弱い側)にシフトし,同時にピークが非常にブロードになる.そしてこれとほぼ同時,220 GPa以降で水素の黒化が始まる.これは理論計算と組み合わせて考えると,低圧側とは別の結晶構造への転位だと考えられる.黒化から予想される通り,このあたりでバンドギャップは2 eVとなり,そのぐらいの強さのレーザーを当ててキャリアを励起してやると抵抗が減少する光伝導性が観測される.

さらに圧力を印加するとバンドギャップは小さくなり続け,240 GPaあたりで抵抗が急激に1桁ほど小さくなる.これはこの段階でバンドギャップ幅が室温のエネルギーとほぼ等しくなり,熱励起により十分なキャリアが励起されていることに対応する.このバンドギャップの減少率をそのまま延長すると,おおよそ250-260 GPaあたりでバンドギャップがゼロになることが予想される.
実際にそのあたりの圧力を印加するとどうなるか?圧力が270 GPaあたりに達したところで抵抗が今度は3桁以上低下するという急激な変化が確認された.同時に,光励起による伝導度の向上が観測されなくなる.これはバンドギャップが消失し,「光を当てる事でバンドギャップを超えたキャリアが励起され,伝導が増大する」というものが起こらなくなったことを意味しており,こちらも金属化を示唆している.また同時に,Ramanでモニタしていた水素の分子内振動が消失し,かわりに反射が生じる.これは水素分子という区分けが無くなり,かわりに金属化することで顕著な反射を示していると考えれば理解できる.
水素の金属化が示唆されることから,著者らはこの状態から抵抗の温度変化を測定している.抵抗値の変化を見ると,室温では 2 kΩ程度だったものが,100 Kまで下げるとやや増加して2.5 kΩ,その後ほぼ一定値をとり最低温度の30 Kまで推移する.高温側における,温度の低下に伴うわずかな抵抗値の増加は,アモルファス状の固体金属においてよく観察されるものであり,また低温において急激な抵抗の増大もないことから金属状態とは矛盾しない.

伝導度の圧力依存,温度依存,さらに分光データと,かなりきれいなデータが揃っており,この実験の信頼性はだいぶ高いように思える.今後他のグループなども加わりさらに様々な実験が行われるとは思うが,金属水素の話もついにここまで来たか,と感慨が.

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