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1325502 journal
日記

phasonの日記: 1ビットの反強磁性体

日記 by phason

"Bistability in Atomic-Scale Antiferromagnets"
S. Loth et al., Science, 335, 196-199 (2012).

HDDなどの磁気記録媒体には強磁性体(もしくはフェリ磁性体)が使用されている.これはどういったものかというと,簡単に言ってしまえば磁性体を構成している原子の持っているスピン,つまり磁気モーメント(原子自体が棒磁石のように働くときの,その磁性の強さ)同士の間に「同じ方向に向きたい」という相互作用が働き,全体のスピンが同じ方向に揃っているもののことである.つまり,各原子の持つ「磁石としての性質」を↑で表すと,強磁性体というのは

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というように全ての原子の磁気モーメントが同じ方向に揃い,全体として巨大な磁石として働くものを指す.こういった強磁性体は,外部磁場によって全体の磁気モーメントを反転させることが可能であり,それを1と0に割り当てることにより情報を記録している.
さて,このように活用されている強磁性体であるが,記録密度の上昇=微細化に伴い,外部磁場により容易にビットが反転してしまうという問題が生じてくる.強磁性体は身の回りの磁石と同じように磁場に対して安定な向きと不安定な向きがあり,その間にポテンシャル障壁があることで磁化が反転しにくくなっている(机の上に置いた磁石には摩擦が働き,地磁気でひっくり返ることが無いのと似ている).さて,微細化すれば当然,磁石としてのサイズは小さくなる.そうすると磁化の向きの反転を阻害していたポテンシャル障壁が低くなり,向きを変えるのに要する磁場の強さはどんどん弱くなる(=弱い磁場でも簡単に反転してしまう).これは記録媒体としては致命的だ.
また身の回りの磁石を思い浮かべてもらえばわかる通り,強磁性体ということは周囲に磁場をまき散らす.何せ内部の原子の持つ磁気モーメントが同じ方向に揃っているわけだから,生じる磁場も加算され無視できなくなるわけだ.これが前述の「微細化による反転のしやすさ」と結びつくと,高密度化に伴い隣接ビットが発生させる磁場で自分のビットが反転してしまう,なんてことも起こってくる.

そこで,こういった問題を生じない磁気的記録として,反強磁性体を磁気記録に使おう,という基礎研究が行われている(現時点ではまだまだ実現にはほど遠いレベルではあるが).反強磁性体とはどのようなものかといえば,先ほどの強磁性体とは逆に,隣接するスピン間で逆向きになりたがる物体である.つまり,スピンの配置を書けば

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↓↑↓↑
↑↓↑↓
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というわけだ.こうすると,内部の個々の原子が持つ磁気モーメントは互いに打ち消し合うため,外部への磁場の漏れはほとんど存在しない.また磁場の向きがどうであってもエネルギーに変化がない事から,相当強い外部磁場がかかっても状態は変化しない(極度に強い磁場がかかれば話は別だが).
反強磁性体ではビットの0と1を何に対応させるのかというと,配置の位相の異なる2つの状態に対応させる.つまり,1次元配列の場合で示せば

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↓↑↓↑

である.今回の論文でIBMのグループが行って見せたのがまさにこの実演である.

実際の実験であるが,IBMお得意のSTMを利用した表面系での実験となる.STMとAFMを発明した研究機関なだけあって彼らのこの手の技術は今でも世界最高峰を維持しているが,今回もそれが遺憾なく発揮されている.
まず,Cu2Nの基板上にFe原子を置く.すると,Fe原子は基板との相互作用により非常に強い異方性を持つようになり,Fe原子の持つスピンは(基板の構造を反映した)ある1軸方向にしか向けなくなる(Isingスピンと呼ぶ).このようなFe原子を基板上で1列に並べると,隣り合うFe原子のスピン間に交換相互作用が働き,隣接する原子では逆を向いた方が安定となる(同じ方向が安定なのか,逆向きが安定なのかは,基板の種類や隣接原子までの距離,乗っている原子の種類などにより決まってくる).彼らはこうやって1×6,1×8,2×4,2×6などの様々なアレイを作成した.隣接原子間の相互作用が反強磁性であることを考えると,スピン配置はそれぞれ以下のようになる(当然,この配置の↑と↓を丸ごと反転した対称的な配置も許される).

↑↓↑↓↑↓

↑↓↑↓↑↓↑↓

↓↑↓↑
↑↓↑↓

↑↓↑↓↑↓
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実際に各原子のスピン配置がこのようになっていることは,スピン偏極STMで確認している.これはSTMの探針の表面が強磁性体で覆われており,特定方向のスピンの電子がSTM探針からサンプルに送り込まれるというもので,対象のスピンの向きにより流れる電流が変化する(=見ている相手のスピンの向きがわかる).
1次元の配置(1×6や1×8)はトンネル効果により秒程度の寿命で全体が反転する様子が確認された.
つまり,↑↓↑↓↑↓が数秒程度すると↓↑↓↑↓↑に変わっていたりする.これはトンネル効果なので,5K以下ではどれだけ温度を下げてもこのレートで揺らいでいる(5K以上では熱揺らぎによりもっと揺らぐ).一方,1次元配列間に弱い相互作用を入れた2列の配置(2×4や2×6)ではこのトンネリングは顕著に抑制され,例えば0.5Kでは17時間以上の安定性を示した.まあ,次元性が高いほど揺らぎには強いので,あってもおかしくない現象である.

さて,スピンの配置を確認する際はSTMの探針の電位を2mVとという非常に低い電位にして観察している.これは高い電位をかけるとエネルギーの高い電子がどんどんサンプルに送り込まれ,そのエネルギーによって励起されたスピンの配置が変化するからである.というわけで7mV以上の観測電位を用いると,スピン配列にエネルギーが与えられビットがランダムに反転する.つまり,

↑↓↑↓↑↓↑↓

↓↑↓↑↓↑↓↑

との間をランダムに行ったり来たりするわけだ.今どちらにいるのかはSTMで測定可能であるから,ある意味これはビットに情報を書き込むことに相当する(ランダムに変動させ,書き込みたいビットに一致したところでやめればよい).つまり,1×6の6個の原子からなるビットを作成できたことになる.

まあ,ヘリウム温度以下の極低温でしか作動しないしスピン偏極STMが要るんで実用性は皆無だが,さすがIBMはきれいな実験をやってのける.2mVの低バイアス電圧でこれだけきれいな像をとってのけるんだものなあ.
物性論的には,2列にしただけでトンネル効果が劇的にサプレスされてるあたりは非常に興味深い.このあたり,次元性などと絡めてもっといろいろ出てくるかも知れない.

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未知のハックに一心不乱に取り組んだ結果、私は自然の法則を変えてしまった -- あるハッカー

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