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日記

phasonの日記: 分子設計を駆使して高発光効率を実現した有機EL材料

日記 by phason

"Highly efficient organic light-emitting diodes from delayed fluorescence"
H. Uoyama, K. Goushi, K. Shizu, H. Nomura and C. Adachi, Nature, 492, 234-238 (2012).

有機ELは新たな発光材料として照明やディスプレイへの大規模応用が目指されている素材である.根本的な原理そのものは非常に単純だ.まず,有機材料の両端を電極で挟み片方からホールを,もう一方から電子を注入する.この時微視的に見れば,分子に注入されたホールは分子の最高被占軌道(HOMO:Highest Occupied Molecular Orbital)から電子を一つ引き抜いた状態に相当し,注入された電子は分子の最低空軌道(LUMO:Lowest Unoccupied Molecular Orbital)に電子が押し込まれた状態に相当する.このホールと電子は分子間を飛び移りながら移動し,最終的には両者が同じ分子で出会うことになる.この状況を微視的に見れば,分子のHOMOから電子が一つ引き抜かれ,代わりにLUMOに電子が押し込まれた状況であるが,これはHOMOの電子がLUMOに励起された状態に等しい.この高いエネルギーにあるLUMOの電子が1つ空席を持つHOMOの軌道に落ちるときに発光する,というのがELである.

さてこのような有機ELであるが,その発光効率を上げるというのはなかなか大変であった.
ここで,発光直前の状態,つまり一つの分子にホールと電子が集結した状態=分子の1電子励起状態を考えよう.LUMOの電子は当然スピンを持つし,空席が一つ出来たHOMOに残っている電子もスピンを持つ.このような2つの電子が個別に存在する状態では,これらの持つスピンの組み合わせ,というのは4つ考えられる.一つはこれら2個の電子のスピンが互いに逆を向き打ち消しあった状態(↑↓-↓↑という重ね合わせの状態)で,状態が1つしかないので一重項(Singlet)と呼ばれる.残り3つは二つのスピンが同じ方向を向いた状態(↑↑,↓↓および↑↓+↓↑)であり,三重項(Triplet)と呼ばれる.三重項状態は要するに2つのスピンが同じ向きを向いて,その全体が上(+z方向)を向くか(↑↑),下(-z方向)を向くか(↓↓),横を向いてxy平面内をぐるぐる回るか(↑↓+↓↑),という3通りに対応する(ゆえにtripletと呼ばれる).この4つ存在する状態のうち,光を発して基底状態に戻ることのできる分子は1重項の分子だけである.というのも「分子が光を吸収・放出する際にはスピン状態が変わってはいけない」という制限があり,さらに電子が低エネルギーに落ちた先の基底状態では同じ軌道(HOMO)に電子が2つ入るため,電子のスピンは互いに逆向きの1重項でないといけないからだ(一つの軌道に2つの電子が入るには,スピンが逆向きで無いと許されない).
さてここで困ったことが生じる.電極から注入されふらふらと漂ってきた電子とホールのスピンの向きはランダムである.それが同じ分子に入ったのだから,4つの状態(一重項1つと三重項3つ)のどれになっているかは完全にランダムであり,ほぼ1/4ずつである.ところがこのうち発光出来るのはたった1つの状態(光を放出して緩和出来る一重項状態)に過ぎず,しかも三重項から一重項への緩和は非常に難しい(時間がかかる)ため残りの3つの三重項状態は振動など余計なところにエネルギーが逃げることにより無発光の緩和を起こし基底状態に落ちてしまう.これではどう頑張っても発光効率は25%を超えることが出来ず,エネルギーの無駄が多すぎる.

そこで近年行われているのが,重原子錯体(Ir錯体などが良く用いられる)を用いる,という手法である.重原子では内殻の電子(原子核の近くに位置する電子)の運動量が大きくなり,相対論的効果が強く効く.詳細は省くが,このためにスピン-軌道相互作用というものが強くなり,電子のスピンと,原子核周りなどでの軌道運動(これは原子や分子の運動とも結合する)が強く結びつくのだ.この結果,電子はスピンの角運動量を軌道運動に押し付ける(もしくは軌道運動の角運動量をもらう)ことで反転しやすくなり,三重項状態から一重項状態への変換が起こるようになる.つまり今では
一重項状態 → 発光して緩和 → 基底状態(25%)
三重項状態 → 発光しない緩和 → 基底状態(75%)
三重項状態 --×-→ 一重項状態(禁止)
だったものが,重原子錯体を用いることで
一重項状態 → 発光して緩和 → 基底状態(25%)
三重項状態 → 一重項状態 → 発光して緩和 → 基底状態(75%)
とすることが出来たのだ(一重項状態への転換と発光による緩和が十分速ければ,無発光の緩和の寄与は無視出来る).
この手法は大変優れており,発光効率を劇的に増加させることが出来たのだが,その一方で高価な重原子を使用しないといけないためコストの上昇を招いていた.もし何とかして軽原子のみで発光効率を引き上げられれば,それは大きな革新となる.

今回の論文で報告されているのは,軽原子のみを用いた発光素材で既存の重原子を用いたものに匹敵するような高い効率を実現出来た,というものだ.
軽原子はスピン-軌道相互作用が非常に小さい.それを用いて高い三重項-一重項変換速度を実現するために著者らが注目したのが,一重項状態と三重項状態のエネルギーを近づける,という全く異なるアプローチであった.そもそも量子論においては,二つの状態の移り変わる速度は(状態間の重なり)/(状態間のエネルギー差)に比例する.軽原子はスピン-軌道相互作用が小さい以上分子は小さくなってしまう(一重項と三重項の混ぜ合わせが小さい)が,分母を小さくすれば同様の効果が出せるはず,という点に着目したわけだ.
これは理屈としては非常に当たり前の手段なのだが,今まで実現されていなかったのには理由がある.実は原子や分子においては,異なる軌道(今考えている励起状態で言うなら,HOMOとLUMO)に入っているスピンを全て同じ方向に揃えようとする強い力が働く(フント則).このためスピンが同じ方向を向いた三重項状態の方がエネルギーはかなり低くなり(約1 eV弱程度,温度で言えば1万度程度に相当),一重項状態と三重項状態のエネルギー差はどうしても大きくなってしまうのだ.
著者らはこの問題を解決するのに,「空間的に分離する」という手法に出た.同じ分子や同じ原子ではスピンを揃えようとする,という事は,逆に言えば離れた分子や原子ではそんな力は働かない,という事でもある.そこで著者らはドナー部位(電子を放出しやすい分子骨格)とアクセプター部位(電子を受け入れやすい分子骨格)の二つが連結された分子を利用した.この分子ではHOMOはドナー部位に局在しており,LUMOはアクセプター部位に局在している.一電子励起状態ではドナー部位のHOMOの電子が一つアクセプター部位に移動し,二つのスピンはドナー部位とアクセプター部位という空間的に少し離れた場所に位置することとなる.少し空間的に離れているためこの二つのスピン間に働く「同じ向きにスピンを揃えよう」という力は弱くなり,その結果一重項状態と三重項状態のエネルギー差は0.1 eV程度と通常の有機EL系分子のおよそ1/10にまで縮小した.これは要するに,エネルギー差はそのままでスピン-軌道相互作用を10倍にしたのと同じような効果を発揮するわけだ.
といっても実際にはなかなか難しいところもあり,あまり空間的に引き離しすぎるとLUMOの電子がHOMOへと緩和しにくくなり,発光が起こりにくくなって逆に効率が落ちてしまう.そのバランスをうまくとったのが著者らの腕の見せ所なわけだ.
(実際にはさらに,導入されているシアノ基の影響で分子の構造がリジッドになり余計な緩和が起こりにくい,などいろいろ議論もされているが,ここでは割愛)

こうして作成した分子は,置換基の変化により青から赤(というか現状ではオレンジあたりか)までの各種の発光色を示すバリエーションが作成可能で,さらに合成自体も市販材料からほぼワンポットで合成出来るなどお手軽で収率も比較的高い(ものが多い),また合成に用いる試薬も高価な触媒は使わない,大部分は熱安定性が高くCVDで蒸着出来るなど,かなり量産に向いた特性を持っている.

面白い着眼点であり,またかなり量産を見据えた特性が揃っているあたりは大したものだと思う.もちろん今後実際に量産に入るまでには解決・検討しないといけない点も多いのだが,興味深い報告である.

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