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日記

phasonの日記: ナノダイヤモンドを用いた空間・温度分解能の高い温度計

日記 by phason

"Nanometre-scale thermometry in a living cell"
C. Kucsko et al., Nature, 500, 54-58 (2013).

新たな測定手段の開発は,科学・技術を大きく進歩させる.測定手段無しでの研究というのは目を閉じて歩き回っているようなものであり,目的の場所に到達するのは非常に困難になる.「今どうなっているのか?」であるとか,「この外場を系に加えたらどういう変化が起きるのか?」を知ろうと思うなら,サンプルを何らかの手段でモニタリングする必要があるのは自明であろう.そのため,先端科学の分野では「測定手段の開発」は一大領域を成している.
そんな各種測定手段の一つとして,非常に微細な領域の温度を測定することの出来る「温度計」が近年になりいくつも開発されている.例えば量子ドット,蛍光タンパク質,走査プローブ顕微鏡などが挙げられる.これらはいわゆる日常生活で使用する温度計とは異なる原理で動作しており,例えば温度によって発光波長が微妙に変化するナノ粒子をばらまいておいて,温度を測定したい際にはその場所に測定用のレーザーをあてて発光させ,その波長から局所的な温度を読み取る,などの原理で動作する.
こういった温度計がどういった用途で活躍するのかというと,例えば熱負荷のかかる微小デバイス(マイクロマシン,MEMS等)の表面に振りかけておいてその熱分布を見る,と言った用途がある.測定結果をもとに熱が限界を超えないように再設計したり,適切な放熱手段を追加したり,と言った必要性がわかるわけだ.そしてさらに大きな応用分野が,細胞内での温度分布の測定である.細胞は,非常にダイナミックに変化している系である.内部では休み無く膨大な量の分子が合成され,エネルギーを消費し,様々な機能を発揮している.これらの各種化学反応は熱の放出を伴い,すなわち局所温度が計測できれば細胞内のどの部分がどの程度活動しているのか?という事を理解する事が出来る.これは細胞内での生化学的過程を解明したり,病理学的な機構の解明に繋がる重要な測定手段となり得る.

細胞内の温度を測定する手段として,近年盛んに研究が行われているのが蛍光性分子の利用である.遺伝子組み換えなどで蛍光分子を生産するように改変した細胞を用い,それら分子をレーザーで励起,蛍光寿命を測定することで温度を測定する.温度が高いほど,励起状態から変な過程(蛍光を発せず基底状態に落ちる過程)を通る確率が上がるため蛍光寿命は短くなる事を利用するわけだ.この手法の開発により,μmレベルの空間分解能と1 ℃程度の温度分解能で細胞内の温度を測定する事が可能になった.
ところが,この蛍光分子を利用する手法には大きな弱点があった.まず一つ目は,「蛍光寿命の測定」はばらつきが大きく,偶発的な揺らぎが測定精度を落とすのだ.もちろん何度も測定すればこのばらつきは減らせるが,測定時間が非常に長くなってしまう.そしてもっと問題なのが,分子を使う以上,温度以外の周囲の状況に大きく影響されてしまう,と言う点だ.細胞内の各種化学物質濃度などにより蛍光分子は影響を受け,その蛍光寿命が変化してしまう.これも測定温度の正確さに限界をもたらしてしまう.
そこで今回著者らが提案しているのが,ナノダイヤモンド(正確には,そこに内包されている欠陥)の蛍光を利用する,と言う手段である.

ダイヤモンドを構成する炭素原子は通常4本の結合を持つ.炭化水素の熱分解でダイヤモンドを作成する際に含窒素有機物をほんの少し混入しておくと,欠陥として窒素(通常,結合を3本だけ持つ)を取り込んだダイヤモンドを作ることが出来る.窒素原子の残り1方向には窒素の持つ電子対が伸びているためこちらの方向の隣のサイトには炭素が入ることが出来ず,ダイヤモンド中には窒素(N)と空孔(V)がペアとなったNV中心と呼ばれる欠陥が生じる.このNV中心は電子を捕獲して負に帯電しやすく,その状態だと「空孔に隣接する3炭素から供給された3個の電子」と「窒素から供給された電子対」,「捕獲した電子1つ」の6電子がNV中心に存在する.この6電子は[↑↓][↑↓][↑][↑]とNV中心の位置の軌道に入り(最後の二つの軌道はほぼ同じエネルギーを持ち縮重している),この結果電子2つ分のスピンが生き残っている(この電子2つ分のスピンは,同じ方向を向く).
さてここからが重要な点である.このNV中心に存在するスピン,窒素-空孔を結ぶ軸に対し,「軸の正方向(ms = +1)」「軸に直交する方向(ms = 0)」「軸の負方向(ms = -1)」の3つの方向を向くことが出来る.そしてms = ±1の状態はms = 0よりわずかに高いエネルギーを持っており,このエネルギー差はダイヤモンドの結晶構造に依存,さらにダイヤモンドの格子が温度変化で伸びたり縮んだりするため,エネルギー差は温度で変化することになる.つまり,ms = ±1とms = 0とのエネルギー差を精密に測定できれば,温度がわかる,と言うわけだ.なおこのエネルギー差はおよそ2.87 GHzのマイクロ波領域に存在する.
では,このエネルギー差をどうやって測定したら良いのだろうか?ここで利用できるのがNV中心の蛍光である.基底状態であるms = 0のNV中心に532 nmの緑色光をあて励起すると,630 nmあたりの赤色光を発して基底状態に戻ってくる.ところがms = ± 1の状態から532 nmの光で励起された状態は,蛍光を発さずに基底状態に戻る経路が有効となり,この結果630 nmの蛍光が非常に弱くなる.そこでNV中心を緑色光で励起しながら赤色の蛍光を測定,そこに周波数を少しずつ変えながらマイクロ波を照射していくと,ちょうどms = 0とms = ±1のエネルギー差と一致するエネルギーのマイクロ波が当たった時にだけ蛍光が激減する.ここからエネルギー差を精密に測定する事が可能となり,温度が正確に導出できる.

蛍光分子を使わずにナノダイヤモンドを利用すると,どんな利点があるのだろうか.最も重要なのは,ナノダイヤモンドが化学的にきわめて安定,と言う点である.発光体であるNV中心は,ナノダイヤモンド内に埋め込まれた状態となっている.さらにナノダイヤモンドはきわめて安定で周囲の化学種の影響をほぼ受けないため,周囲にどんな物質がどんな濃度で存在しても,蛍光強度には影響を与えない.これは常に安定した測定が可能であること,それにより精密な温度測定が可能になることを意味している.また,一つのナノダイヤモンドが多数のNV中心を含んでいる点も挙げられる.NV中心は原子2個分のサイズと非常に小さく,ナノダイヤモンド中に数百と言った多数のNV中心を持たせることが出来る.ダイヤモンドは熱伝導性が高いためこれらのNV中心は均一な温度となっており,一つのナノダイヤモンド粒子を測定するだけで,数百個の温度計をまとめて平均化した測定が行えるわけだ.これは測定誤差を大幅に減らす効果があり,精密測定(と,短時間での測定)に有効である.さらに,広い温度範囲で利用可能な点も長所となる.NV中心の発光は少なくとも200 Kから600 Kの温度範囲で利用可能であり,これは温度計の測定範囲もこの程度の広さを持つことを意味している.

では,このナノダイヤモンドを用いると,どの程度の測定が可能になるのだろうか?
著者らはまずナノダイヤモンドだけを用いた測定を行い,1.8 mK程度の不確実さで温度決定が可能であることを示した.これは非常に高い温度決定性である.
続いてより実践的な状況での評価を行うため,基板上にナノダイヤモンドと金ナノ粒子を塗布したものを利用している.金ナノ粒子にレーザーを吸収させることで熱源とし,そこから離れた位置のナノダイヤモンドで温度を測定する.得られた結果は,熱源からの基板を通した熱の散逸の理論計算と非常に良い一致を示し,ナノダイヤモンドで測定される温度が実際の温度(の理論予測値)と数十 mK以内で一致する,つまり非常に良い温度計として使用できている事を明らかとしている.またナノダイヤモンド自体が非常に小さいため,空間分解能も100 nm程度が達成されている.
そして最後に,生化学への利用も考慮し細胞中での実測を行って見せた.細胞中にナノダイヤモンドと金ナノ粒子を注入し,先ほどの基板上での実験と同様にレーザーで加熱しながら温度を測定した.その結果,細胞中であっても0.1-0.2 K程度のぶれで温度を測定できることが確認できた.空間分解能で最大数十 nm,温度分解能で数十 mKの微細な温度計が作れた,と言う報告である.なおこの温度分解能等は現時点でのものであり,理論的な究極の分解能としては0.1 mKを切るような所まで可能性がある,とも述べられている.

現状,空間分解という面ではやや心許ない部分もある.と言うのも,細胞内にあまり多量のナノダイヤモンドを入れるわけにはいかないので,「細胞の中の測定できる点の数」がかなり少なめになっているためだ(実験中では数点程度).とはいえ,個々のナノダイヤモンドの位置自体はきっちり決められているため,そういう意味での空間分解能は高い.またダイヤモンドを使うことでの安定性の高さ(周囲にほとんど影響されず,温度のみが良く測定できる)とその素晴らしい温度分解能にはかなりの可能性を感じる.

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