phasonの日記: 量子ゼノ効果を用いて状態を部分空間へと分割する 7
"Experimental realization of quantum zeno dynamics"
F. Schäfer et al., Nature Commun., 5, 3194 (2014).
量子論の世界においては観測が系に大きな影響を与えることが知られているが,その効果が顕著に表れる例の一つが量子ゼノ効果である.これはどういったものかと言うことを簡単に言ってしまうと,「系を小刻みに観測すると,別な状態に遷移できなくなってしまう」というような効果だ.
例えばAとBという二つの状態を取れる系(初期状態はA)に対し,AからBへの遷移を起こすような電磁波を照射する.通常なら系はA → AとBの混合状態 → B → AとBとの混合状態……と,2状態(およびその混合状態)の間で振動するのだが,この時同時に「系が状態Aなのか違うのか?」を判別するような測定を高速で行い続けると,系がずっと状態Aに居座ってしまいBには励起しなくなる.
「瞬間瞬間を取り出せば矢は静止しており,従って矢は動くことは出来ない」というゼノのパラドクス(日本だとゼノンという呼び方の方が一般的だが)にかけて,この効果は「量子ゼノ効果」と呼ばれている.ちなみに,「A watched pot never boils」(沸くのを今か今かと待っているといつまで経っても沸かない:何かを待っている時間は経つのが遅く感じる)という慣用句にかけてWatched-pot効果(「沸いていない状態」を観測し続けていると,「湯が沸いた」という状態に遷移することが不可能になり沸くことが出来ない)と呼ばれることもある.
この効果は実験でも観測されており,例えば不安定な励起状態にある粒子が基底状態に落ちるような場合においても,「励起状態に存在している」という事を高速かつ繰り返して観測し続けると,基底状態になかなか落ちてこなくなる(理想的には,永遠に励起状態にとどまる)といったようなことが起こる.不安定核の寿命を引き延ばしたり,逆に短く縮めたり(反ゼノ効果)といった妙なことも引き起こせるわけである.
正確さを犠牲にすれば,どうしてこんな事が起こるのかを簡単に説明することができる.
簡単のため,2状態|A>,|B>間の遷移を考えよう(初期状態はA).状態間を光で遷移させているような場合など,状態の時間発展は以下の式で書ける.
状態 = |A>cos(ωt) + |B>sin(ωt)
要するに,状態|A>と|B>の間を角振動数ωで振動するわけだ.100%|A>または|B>の時以外は,両者の量子論的な混合状態となっている.以下では,表記を簡単にするためにωが1となるような時間単位で書き表すとしよう.
さて,この状態間を行ったり来たりしている系に対し,時刻t'の時に状態が|A>なのか|B>なのかを判別する測定を行ったとする.測定直後は|A>なのか|B>なのかが確定するので,混合状態はあり得ない.このとき量子論の原則から,|A>に確定する確率は状態|A>の係数の二乗であるcos2(t'),|B>に確定する確率は同sin2(t')と求まる.
では,この測定を繰り返した時,系がずっと|A>に居る確率はいくつになるだろうか?インターバルt'で1回測定を行った後に|A>に居る確率がcos2(t')なのだから,この測定をN回繰り返してトータルで時間T(= N×t')だけ経った後までずっと|A>に居座っている確率は,単純にN乗してcos2N(t') = cos2N(T/N)と求まる.テイラー展開すると
ずっと|A>に居る確率 = (1 - (T/N)2/2 + (T/N)4/24……)2N
十分Nが大きければ,この式は1に収束する.ずっと|A>に居る確率が1なのだから,|B>に遷移する確率はゼロ,つまり小刻みな観測によって|B>への遷移が禁止されてしまった.
要するに,|B>に遷移しかかった時に観測により純粋な|A>状態に引き戻され,また遷移しかかった時に|A>に引き戻され,というのを無限に繰り返すことで遷移が不可能になるわけだ(*).
*なお,実際にはもっと複雑な問題も絡んでくる.例えば量子論では「無限に高頻度での測定」というのはそもそも不可能であるし,「どのような測定なら量子ゼノ効果を引き起こせるのか?」という点も実はちゃんと議論する必要があり,そのあたりを扱った論文も存在する.
まあそのような量子ゼノ効果,これまでにも数多くの実験が行われ発表されているのだが,それらは通常,系をある一つの状態に押し込み,そこからの遷移を禁じるような実験であった(例えば前述のA ↔ BでAだけに押し込む,など).しかし量子ゼノ効果そのものはもっと広い使い方も出来る.例えばA,B,Cの3つの状態がある系で,A ↔ B ↔ Cという遷移が可能だったとしよう.この系に対し「Cでは無い」という事を観測し続ければ,A ↔ Bの二つの状態間のみで遷移したり混ざり合ったり,という事が起こるはずだ.
今回報告された論文はまさにそのようなことを実現したという実験である.
今回実験で用いたのは,87RbのBEC(ボース=アインシュタイン凝縮)である.87Rbは不対電子を一つ持ち,こいつが1/2のスピンを持つ.また原子核も3/2の核スピンを持っている.この電子スピンと核スピンが相互作用することにより.「二つのスピンが同じ方向を向いた状態(全スピン:3/2 + 1/2 = 2)」と「二つのスピンが逆を向いた状態(全スピン:3/2 - 1/2 = 1)」という異なる状態に分裂する.今回メインで使うのはこのうち全スピンが2の状態である.
磁場中では,このスピン2が磁場に対してどの方向を向くかによってエネルギーが違うのだが,スピンは好きな方向を向けるわけでは無い.めいっぱい安定な方向を向いた状態から,1ずつズレた方向しか向くことが出来ない.今回の場合,全スピンが2なのだから向くことが可能な方向(mF)は+2(磁場と同じ方向),+1(磁場に近い斜め方向で歳差運動),0(磁場に対して直交した回転運動),-1(磁場と逆向きに近い斜め),-2(磁場と逆向き)という5方向となる.これらは全て磁場に対するエネルギーが異なってくるので,それを利用して87Rbの集団から特定の状態を持つ原子だけを残すことが可能となる.実験では全スピン2,mFも2の状態が初期状態となるが,この状態を|2,2>(最初の項が全スピン,後の項がmF)と書こう.
この系に対し,mFを±1するような光(電波)を照射すると,以下のような遷移が可能となる.
|2,2> ↔ |2,1> ↔ |2,0> ↔ |2,-1> ↔ |2,-2>
従って,量子ゼノ効果を入れない状態なら|2,2>からスタートして5つの状態の間での混合が起こるはずである.
ここで著者らは,|2,0>と|1,0>(核スピンと電子スピンが逆を向いている状態の一つ)との間で遷移を起こすような光を系に対し同時に照射する.さらに,|1,0>という状態のみが吸収できる光も照射する.もしRb原子がこの光を吸収すると,反動で原子が吹き飛ばされBECから脱落する.従って,元の系にもし|2,0>という状態が存在すると,|2,0> → |1,0> → 脱落,という経路を辿ることになる.これは一種の「|2,0>が存在するかどうかの測定」として働くため,|2,2>(初期状態)からスタートする系に対し十分連続的にこの遷移が引き起こせれば,「|2,0>が居ないことを確認し続ける測定」が行われる結果として系は|2,0>には決して遷移できなくなる(量子ゼノ効果による遷移の禁止).
要するにこうなるわけだ.
|2,0> → |1,0>への励起光を入れない元々の状態
|2,2> ↔ |2,1> ↔ |2,0> ↔ |2,-1> ↔ |2,-2>
|2,0> → |1,0>への励起光を入れた場合(=|2,0>への遷移を量子ゼノ効果で禁じた場合)
|2,2> ↔ |2,1> ←×→ |2,0> ←×→ |2,-1> ↔ |2,-2>
|2,0>という状態を経由することが許されなくなるため,もともと5個の状態の間で混合されていたものが,|2,2>と|2,1>の混合,|2,-1>と|2,-2>の混合,という二つのブロックに分割されることとなる(ただし,|2,2>からスタートした場合は|2,-1>や|2,-2>には到達できない).
ある時刻で5つの状態間の分布がどうなっていたかは,磁場中で87Rbを飛ばして判断する(Stern-Gerlach:各状態は違う方向を向いた磁石として振る舞うので,磁場中を飛ばすとスクリーンの違う位置に着弾する).この各状態の個数を決める測定は破壊的な測定なので,同じ条件で測定時間などを変えながら何度も測定する事で系の時間変化を追跡する.
そんなわけで結果である.
量子ゼノ効果を入れない時は,5つの状態の間でのきれいな振動が観測された.時間が経つごとに|2,2> → |2,1> → |2,0> → |2,-1> → |2,-2> → |2,-1>……と,|2,2>から|2,-2>へ,そして逆転と周期的に状態が変化する.
そこに|2,0> → |1,0>への励起光を入れ量子ゼノ効果により|2,0>に到達できなくすると,今度は系は|2,2> → |2,1> → |2,2>……と,理論的予想通りにたった2つの状態間で単純な振動を繰り返した.
最初の方に述べた通り,これまで報告されていた系が「特定の状態に閉じ込めて,そこからの遷移を禁じる」というものだったのに対し,今回の実験では「系の取れる状態をいくつかのブロックに分割し,その間での移動は禁じるが,ブロック内での混合は許す」という形での量子的な制御が実現できた点が新しい.
著者らが論文に書いている通り,これは様々な量子情報処理や量子コンピュータのqubit制御にも利用できると期待される.qubitでは設定した状態が望まない準位へと拡散して行ってしまう事も問題になるのだが,今回の量子ゼノ効果のように「余計な状態に遷移できないように囲い込む」事でqubitの状態が保持される時間を長く出来る可能性がある.
とまあ,著者らも一応いろいろ書いてはいるが,単純に「これまで出来ていなかったことが出来た.面白いだろ?」という事である.この辺の量子系の状態制御技術は近年かなり急速に発達しているので,他の研究(例えば原子間での化学反応制御とか)と組み合わせていろいろ面白いことも出来そうである.
死亡確認 (スコア:1)
シュレディンガーのにゃんこが死んだ瞬間を確定するには常に観測し続けなければならないが、状態「生」から遷移できなくなるので永遠に生き続けると。 (観測したらシュレディンガーの猫じゃなくなるって)
ついでに、こないだのモノポールなどでも使われたように、よくルビジウムがこうした実験に使われますが、どうしてなんでしょう。
Re:死亡確認 (スコア:2)
> シュレディンガーのにゃんこが死んだ瞬間を確定するには常に観測し続けなければならないが、状態「生」から遷移できなくなるので永遠に生き続けると。 (観測したらシュレディンガーの猫じゃなくなるって)
観察しても見えない「シュレディンガーのチェシャ猫」とか。観測問題の話がでる度に「宇宙消失」しちゃわないか心配です。
> ついでに、こないだのモノポールなどでも使われたように、よくルビジウムがこうした実験に使われますが、どうしてなんでしょう。
BECのWikipediaの例でもRbですね。BECをつくりやすい粒子ってことかなぁ。BECじたい良く解ってないので…
Re:死亡確認 (スコア:1)
シュレディンガーのチェシャ猫... 喪黒福造の目と口のパーツだけが浮いている様子を想像。 もうだめだ。
Re:死亡確認 (スコア:2)
>よくルビジウムがこうした実験に使われますが、どうしてなんでしょう。
1. 冷やしやすい
BECを実現するにはサブマイクロケルビンなどの極低温に冷やす必要があり,レーザー冷却が必要です.
Rbの場合,このレーザー冷却に使いやすい波長(安価に手に入る半導体レーザーが使える)のところに吸収があり,比較的安く装置を組むことが出来ます.
2. 相互作用が弱い
アルカリ金属原子同士の相互作用は弱いので,理論的にかなりシンプルな系が作れます.
3. 常温での蒸気圧が結構高い
アルカリ金属の中でもCsやRbは常温での蒸気圧がそこそこ高く,比較的原子密度の高い蒸気が実験に利用できます.これは原子をトラップする際にたくさんの原子を捕まえられることに繋がりますので,実験に有利です.
Csも行けそうな気がしますが,(化学的な)反応性が高すぎて危ないんでどちらかと言えばRbが良いんじゃないでしょうか.
#軽い原子ほど量子的な効果は見やすいですし.
4. スピンを持ち,価電子が少ない
アルカリ金属は価電子を1つだけ持ちます.奇数電子なんで必ず不対電子が存在し,電子の持つ大きな磁気モーメントを利用する事で磁気的に原子をトラップしておくことが可能になります.
その一方で価電子が一つしか無いと言うことは内部自由度の少なさに繋がり,余計な励起状態が絡んできたりといった面倒な効果を気にする必要が減ります.
などの利点があるためだったような.
これらの利点のため,RbはBECを実現するには非常に使いやすい原子だそうです.
もちろん,「いろんな原子や分子でBECを作ろう!」とやっている方々もいて,そちらではスピンが無い原子を電場だの光だのだけで閉じ込めたり,分子でBECを作ったり,たくさん価電子持ってる原子でBECを作ったりもしていますので,上記の特性が必須というわけではありません.
が,BEC上で起きる現象に興味があるだけで,BECを作る原子そのものは何でも良い,という場合でしたらRbあたりが一番楽だよ,と.
Re:死亡確認 (スコア:1)
> 1. 冷やしやすい
> ... (安価に手に入る半導体レーザーが使える) ...
もう、この一言だけでものすごーく納得です。でも何Wクラスのレーザーなんだろ。
ずいぶん昔の話になりますが、筑波万博の、とあるパビリオンの入り口にレーザーと受光器をおいて入場人数をカウントする機材を取り付けていたメンバーが居ました。なにしろ工事中ですから重量物をドカドカ持って来る人たちがその入り口を通るため、位置設定がしづらい。そこで「そこ、レーザー通ってますので気をつけてくださいね」と一言いったとたん、だれもその場を通らなくなった、という実話がありました。よほど恐怖だったらしいです。
おはようからおやすみまで (スコア:0)
放射性廃棄物を見つめ続けるだけで
放射線のベクレルがゼロに!
#よくわからんので適当
観測がエネルギーを与える/奪う? (スコア:0)
遷移に必要なポテンシャルに移動するためのエネルギーを
観測で影響しているとは考えられないでしょうか。
トンネルさえも妨害(or干渉)できるのでしょうか。