phasonの日記: 微弱な電磁波であっても渡り鳥の方位決定を阻害する
"Anthropogenic electromagnetic noise disrupts magnetic compass orientation in a migratory bird"
S. Engels et al., Nature, in press (2014).
渡り鳥がどうやって方位を知るのか?というのは古くからの問題である.太陽や星の位置を参考にしていることは確かなのだが,実は彼らを外部の見えない箱に入れた場合でも飛ぶべき方位をきちんと認識することが知られており,様々な研究から地磁気が方位決定に大きな影響を与えていることがわかっている.この事実は,物理学者などにとっては大きな驚きであった.なぜかと言えば,磁場によるエネルギーというのはとんでもなく小さいためである.身の回りの磁石などが大きな力を働かせて見えるのは結晶中の無数のスピンが一体となって運動しているからであり,実は個々のスピンに働いている力はクーロン力などに比べるとべらぼうに小さい.
例えば生物のもつイオンとしてはかなり大きなスピンをもつ鉄イオン(1つで最大で電子5個分のスピンをもつ)に対し1 Tの磁場をかけた場合を考えてみると,スピンを配向させようとして働く力の大きさは熱換算でせいぜい5 K程度,これは室温での熱エネルギーによる攪乱である300 Kに比べるとあまりにも小さい.しかも地磁気の強さはおおよそ50 μTであり,地磁気から受ける力はたったの0.00025 K相当にすぎない.はっきり言ってしまえば,こんな程度の力は誤差であり,室温での現象に影響を与えるとは考えにくい.
では,渡り鳥はどのようにして磁場を感知しているのだろうか?完全に解明されたわけでは無いが,現時点で最も信頼出来る仮説として「ラジカルペアのスピンに磁場をかけたときに起きる,量子論的なスピンの歳差運動を利用している」というものが研究されている(ラジカルペアを使っていることはほぼ間違いないと考えられている).
通常の有機分子中では,ほぼ全ての電子がupスピンの電子とdownスピンの電子とがペアを作るように配置され,非磁性となっている(一つの軌道に,逆向きスピンの電子が合わせて2つ入ることで互いの磁性を打ち消す).さて,ある種の分子を光励起すると,励起された電子が元の状態に戻る前に別の位置に移動し,「↑↓の組」→「別々の場所に居る↑と↓」のような準安定状態となる.このように,「組になっていない電子(ラジカル)のペア」が以下に示すような重要な働きを成すのがラジカルペア機構である.
ラジカルペアが生じると,それぞれの電子のスピンは外界や原子核のスピンとの相互作用により個別に反転出来るようになり,理想的には,↑と↓の間で振動する.この振動の周波数は,スピンがどの原子上に存在するかに依存するため(各原子種ごとに,核スピンとの相互作用の大きさが異なる),例えば最初が↑と↓のラジカルペアであっても,時間とともに↓と↑になったり↑と↑になったり↓と↓になったりと周期的に変動する.さらに外部磁場が存在すると,それによる振動も加算される.しかも分子中の他の電子は磁場を遮蔽するように運動するので,周辺の分子構造によりスピンの向きが反転する時間が異なってくる(NMRの核スピンにかかる実行的な磁場が,化学的な構造に依存するのと全く同じである).このため,ラジカルペアの二つのスピンの状態は,化学的な構造と外部磁場の強さに応じて振動を示す.
さて,ラジカルペアは前述の通り準安定状態であるので,最終的には非磁性の基底状態へと緩和する.基底状態は↑と↓の電子が組になっている状態である.この状態になるには,その前段階のラジカルペアのスピンも↑と↓の組でなくてはならない(そうでないと,電子が元の軌道に飛び移れない).前述の通り,ラジカルペアのスピンの状態は振動するが,その振動の様子は外部磁場に影響を受ける.結果として,ラジカルペアの寿命も外部磁場の影響を受けるようになる.どうやら渡り鳥は,この量子論的効果を利用して磁場を検出しているようなのだ.
#実際には,ラジカルペアからシグナル分子が生じ,それを検出することで間接的にラジカルペアの寿命を見ていると考えられている.
#また,細胞膜を利用してラジカルペアを生じる分子の向きを固定することで,磁場の向きが検出可能になる.
前置きが長くなってしまったが,要するに,渡り鳥は量子論的な効果を使うことで非常に微弱な磁場を検出して方位を確定している,という事だ.
これを踏まえると,一つ疑問が浮かんでくる.現代社会には様々な電子機器が存在し,電磁的なノイズを盛大にばらまいている.これらは渡り鳥に影響を与えないのだろうか?
今回の論文は,これを実験的に検証し,かなり弱いノイズであっても渡り鳥の地磁気による方位決定に影響を与える事を明らかにしたものだ.
実験は2005-2011の7年間にわたって行われ,ヨーロッパコマドリが用いられた.この鳥は春と秋に渡りを行うことが知られており,その時期には枝などに止まっていても自分の向かう方向を向いていることが多い,という事が知られている.著者らは渡りの時期にヨーロッパコマドリを捕まえ,外光の入らない建物内で鳥がどちらの方向を向きやすいかを測定,外部ノイズありの通常状態と,部屋をアルミで覆った場合,アルミで覆ってさらにアースした場合を比較している.実験に際しては,鳥の向きを記録する際に恣意的な判断が働かないように二重盲検法によって記録を行った(まあ,二重盲検といっても片方は鳥なので最初から知らされてはいないわけだが……).なお,アースをとったアルミは数 kHzから5MHzあたりまでの範囲の電場・磁場ともに良く遮蔽する(ノイズの電場および磁場強度が2桁ほど落ちる).アースをとらないとほとんど効果は無い.
結果を簡単に見ていこう.
まず,実験が行われたOldenburgの街の通常の電磁ノイズ下においては,鳥がどちらかを向きやすいという事は観測されなかった.一方で,アースをとったアルミで覆うことでノイズを遮断すると,大雑把に言って磁極の方向±20度あたりを向くというように,明確な指向性が表れた(もちろん,それより外の方角を向くこともあるが,頻度が低い).周囲に充満している電磁ノイズの強さは磁場成分が10 nT程度(周波数が高くなるほど弱い),電場成分が1 V/m程度(同じく高周波成分ほど弱い)であるが,これは健康面で影響が出ると言われる磁場・電場強度に比べるてもかなり弱いし,磁場成分に限れば(静磁場である)地磁気の1/5000にすぎない非常に弱い攪乱だ.これだけの弱い外場で顕著な影響が出るのは,渡り鳥が利用している(と考えられている)ラジカルペア機構の磁場依存性が非常に大きい点を考慮すればまあ納得の出来るものだ(ただし,後述するように定量的にはかなり難しいところがある).
続いてアルミをアースするかどうかを変えてみると,アースをとって電磁遮蔽を強めると地磁気に対する指向性が表れ,アースを外してシールド能を大きく下げると途端に指向性を失った.これはOn-Offを繰り返すごとに明確なパターンとして現れている.さらに詳しく見るため,アースしたアルミはそのままに,シールド内部に人工のノイズ(強さは屋外でのノイズと同程度)を導入してみたところ,やはり指向性は失われた.要するに,「アルミがアースされたことを感知して鳥の挙動が変わっている」のではなく,「ノイズの有無により鳥の指向性が現れたり消えたりする」ということの確認である.結果は明確に「ノイズがあると鳥の向く方向がランダムになる」という事を示している.
また,ノイズOff状態で(本来の磁極とは違う方向に)人工的な静磁場(強さは地磁気と同程度)を印加する,という実験も行っている.この場合,印加した磁場方向へと鳥が向く方向が変化する.このことから,鳥の指向性は地磁気(静磁場)に対する指向性である事も明らかだ.なお,季節が春から秋に変わると,磁場に対して向く方向がほぼ逆側へと変化する.これは,渡り鳥が地磁気を頼りに自分が次に飛ぶ方向を推定し,そちらを良く向くようになる,という事の証左である.
さらに詳細な調査として,一部の周波数帯域にのみノイズを乗せる,という事も試みている.ラジカルペア機構は特に共鳴する周波数の外場に対して弱いことが知られているので,そのような効果が現れるかの検討である.
比較としては(1)ノイズ無し(シールドによる遮蔽),(2)街中と同程度のノイズ,(3)低周波数域(0-0.5 MHz)のみに外界と同程度のノイズを印加,(4) 中程度の周波数領域(0.5-3 MHzあたり)にのみ外界と同程度のノイズを印加,の4種類を比べている.
その結果,あまり顕著な周波数依存は見られず(といっても周波数の区切り方は非常に粗いが……),外界並のノイズ,低周波数側のノイズ,中域のノイズともに鳥の指向性は失われた.
この結果から何が言えるだろうか?
まず環境保護的観点からは,現在人類がばらまいている電磁ノイズは,既に鳥の方位感知に影響を与えるレベルである,という点の問題提起も出来るかも知れない.とは言うものの渡り鳥の方向決定に関しては地磁気以外にもいろいろ利用されているので,それがイコール悪いと言うわけでは無いが.
そして学術的に面白いのは,「これほど弱いノイズで顕著な差が出た」という部分である.現在推定されているラジカルペア機構でこれほど弱い電磁場の影響を出すためには,スピンの緩和時間(熱揺らぎなどにより,量子論的な相関が失われるまでの時間)が現在推定されている値よりも1~3桁ほど長い必要がある.これは非常に難問かつ面白い問題提起である.鳥の体内では,何らかの機構により外部からの(熱などによる)揺動をキャンセルし,長いコヒーレンス時間を実現するような事が起こっているのだろうか?(生体系における量子効果の利用の見事さを考えると,あり得ないとは言い切れない)
それとも,ラジカルペア機構以外の何か別のシステムが磁場感知に関わっているのだろうか?
どちらにせよ,動物の磁気感知に関してはまだまだ面白い研究が出てきそうである.
微弱な電磁波であっても渡り鳥の方位決定を阻害する More ログイン