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日記

phasonの日記: 空孔欠陥の導入はグラフェンを堅くする

日記 by phason

"Increasing the elastic modulus of graphene by controlled defect creation"
G. López-Polín et al., Nature Phys.,in press (2015).

ナノテクノロジーの発展と共にナノサイズの物体の様々な物性に関する研究が進み,ナノサイズの物体は単に元の物体が小さくなったというだけのものではなく,様々な異なる現象を生じることが明らかとなってきている.まさに,ナノサイエンスの世界で言われているように「Small is different」(小さくなると,全く異なることが起こる)なのである.
そんなナノ物性の一つに,弾性率がある.弾性率はバルクな(=巨視的な)物体でも馴染み深い物性であるが,ナノサイズの物体ではその形状や欠陥の存在により値が大きく異なってくることがある.一般的には欠陥が存在すると強度は落ちそうな気がしてしまうが,実際には細かな欠陥(点欠陥や線欠陥など)を導入すると,物体の変形=格子の変位が欠陥の部分でピン留めされ,強度が上がることが明らかとなっている(これを利用した加工法が昔から存在する).

さて,今回の論文が研究対象としているのはグラフェンの弾性率である.グラフェン(や,グラフェンを丸めた構造と見なせるカーボンナノチューブ)は非常に堅いことが知られているが,その弾性率などは理論予測に比べれば非常に低い(数分の一以下).この原因として格子欠陥の存在が指摘されているのだが,グラフェンに欠陥が入るとどの程度強度が落ちていくのか?という研究はなかなか行われていなかった.これは制御された欠陥を導入するのが困難である事などに由来する.
今回報告されたのは,比較的きれいなグラフェンを出発物質とし,そこにコントロールされた密度で空孔欠陥を導入していった際に弾性率がどう変わっていくのか?を研究した結果である.得られた結果は,これまでの理論予測を大きく覆すものであった.

まず実験手法であるが,Siの薄板(厚さ300 nm.下地は分厚いSiO2)に円形の穴をいくつも開けたものを基板とする.穴の直径は0.5から3 μmまで様々なものが開けてある.天然のグラファイト(欠陥が少ない)を劈開したものをこの上に乗せ,テープで剥がすことで薄い1~数層のグラフェンが穴あきSiの上に残る.これをSTMで観察し,偶然1層のグラフェンが穴の上に乗ったところを測定対象とする(穴はたくさん開けてあるので,こういう場所はいくつも存在する).穴の表面全体が単層のグラフェンで覆われている場所を見つけたら,その中央をSTMの探針で押していく.この時,どのぐらいの力をかけたらどの程度探針が沈み込んだかを見ることで,グラフェンの(2次元)弾性率を測定するわけだ.
格子欠陥の導入には,真空中でのAr+による爆撃を用いる.真空中にArを導入し電圧をかけると,一部のAr原子がイオン化し,電圧によって加速されグラフェンの表面に降り注ぐ.どの程度のArの圧力で,どの程度の時間イオンを照射するかによって欠陥の濃度をコントロールするわけだ.
得られたサンプルは大気中に出し,Raman分光(グラファイト構造に生じた欠陥に敏感な分光法)やSTMによる観察によりまず評価を行っている.その結果,生じた欠陥はほぼ空孔欠陥(原子が弾き出された抜けている欠陥)もしくはそこに大気中の分子由来の小さな原子(例えば水素原子など)が嵌まったような点欠陥であった(どちらかは不明).周辺構造は特に乱れておらず,すぽっと1箇所抜けただけの単純な欠陥であり,周辺の平面構造は保たれていた.なお,1原子だけが抜けた欠陥と,隣接する2原子がまとめて抜けた欠陥の比率は3:1であった.

では,得られた結果を見てみよう.
まず,欠陥を導入しなかったグラフェンである.20箇所ほどの測定を行った結果,弾性率は250-350 N/mの範囲に収まっていた.正規分布を当てはめると,大雑把に305±14 N/m程度の値となる.次に,欠陥を4×1012 / cm2ほど導入したサンプルだ.これは欠陥同士の平均距離が5 nm程度,総原子数の0.2 %程度が抜けたものに相当する.
この欠陥入りのサンプルを測定したところ,驚くべき事にその弾性率は485±23 N/mと大幅に向上していた.この向上は統計的なばらつきを大きく超えており,明らかに欠陥の導入により硬度が増すことを意味している.これは,既存の理論による予測(欠陥により硬度が下がる)とは全く逆である.
著者らは欠陥密度を変えながら実験を繰り返し,以下のような結果を得た.まず,欠陥を増やしていくと,欠陥密度が5×1012 / cm2あたり(原子総数の0.2%程度に相当)まで弾性率が急激に増大していくことが明らかとなった(300 → 550 N/m).その後しばらくは弾性率はほぼ一定値となるが,欠陥が2×1013 / cm2(原子総数の0.5%前後)に近づいた当たりから弾性率は徐々に減少を始め,その後は欠陥の増加と共に単調に弾性率が下がっていく.
要するに,多量に欠陥が入ると変形しやすくなるが,少量の欠陥だとむしろグラフェンの膜は堅くなる,という不思議な挙動を示したわけだ.

なぜこのような奇妙な現象が生じるのだろうか?
現時点では細かな理由は不明であるが,著者らはフォノン(格子振動)の影響を指摘している.温度の影響を取り込んだ動力学計算は非常に難しいため,これまでの多くの理論計算では絶対零度に相等する条件での計算を行っている.しかしながら,実際の測定は室温で行われており,様々なフォノンが励起されているはずである.グラフェンでは,格子振動の非調和性(理想的な調和振動子からのズレ)などもあり,面内振動と面に垂直な方向の振動が強く結合している.この面に垂直な方向の振動で波長が非常に長いものは,面全体の大きな歪みと同じものとなる(打楽器の膜が大きく振動している状態であり,今回の実験で膜の中心を押すことで生じている変形と同じもの).この「長波長の面外振動が励起しやすい」という有限温度での特徴は,すなわち「面の変形が起こりやすい」という事だと捉えられる.
格子振動がどの程度の距離散乱されずに進めるかを計算すると,室温では大雑把に数 nmという値が得られる.これよりも短い間隔で欠陥があると,グラフェンに生じたフォノンは互いに結合できず,局所的な振動の集まりになる.つまり,大局的な変形を起こすことが妨げられる.この数 nmという欠陥密度は,まさに実験において弾性率が最大となる値とほぼ一致している.

このモデルに基づいた描像はこうなる.欠陥がないと,膜そのものの強度はかなりあるのだが,有限温度だとそこに生じた格子振動同士が強くカップルし,外部から押されたときの応答として膜全体の変形(=巨大な波長での格子振動)を引き起こす結果,弾性率は小さくなる.ここに格子振動(フォノン)のコヒーレンス長程度の間隔で欠陥を導入すると,個々のフォノンはバラバラに散乱され,全体としての協同的な変形は引き起こせなくなる.そのため外部から押したときの変形は小さくなる.しかし格子欠陥が多すぎると,今度は膜そのものの剛性が下がりすぎ,変形しやすくなってくる.このため弾性率は再び低下していく.

とまあ,非常に小さな領域での面白い研究結果であった.
これが直接何かに結びつくわけではないが,たまにはこういう研究を読むのも悪くない.

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Stableって古いって意味だっけ? -- Debian初級

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