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日記

phasonの日記: 細胞の機能を模した分子情報処理系 1

日記 by phason

"Controlled membrane translocation provides a mechanism for signal transduction and amplification"

M. J. Langton, F. Keymeulen, M. Ciaccia, N. H. Williams and C. A. Hunter, Nature Chem., in press (2016).

細胞というのは,一つの巨大な情報処理系とも見なすことが出来る.
通常時は周囲から取り入れた栄養を元に生命活動や増殖をルーチンワーク的に行っているが,外界の変化,例えば温度変化や周辺のイオン濃度の変化であるとか,他の細胞からの化学的な刺激をインプットとし,それに応じて内部ストレージであるDNAから必要なデータをデコードして各種タンパク質を生産,それにより内部状態の変化(例えば不要な分子の分解や,熱耐性などの向上など)や外部へのアウトプット(他の細胞への刺激の伝達等)を行っている.
こういった見方は(多分)ここ10~20年程度の間に出てきたものであるが,例えばNTTドコモなどは「遥か将来の通信技術」を見据えての基礎研究として分子通信を産学連携で研究してみたりするなど,これまで生体系の研究に関わっていなかった研究者・研究組織がバイオミメティックな研究を行う切っ掛けともなっていると言えるだろう.
さてこのような細胞を模倣するような研究,究極的には細胞レベルのサイズでの情報処理・化学的処理を行うのが理想ではあるのだが,やはり実際の細胞の行っていることはとんでもなく高度すぎて非常に複雑奇怪,現代の科学技術ではその一部を模倣するのがやっとと言ったところで,現時点では一つ一つの要素技術-電子回路で言えば一つ一つの素子-を開発している段階にあると言える.
そんななか今回の論文で報告されたのは,細胞膜を介しての情報伝達および化学的増幅を模倣したシステムである.

生物を作っている細胞は,細胞膜によって外界と区切られている.細胞膜を作っている主成分はリン脂質であるが,これは水溶性のリン酸イオンに,親油性(=疎水性)の長い炭化水素が2本結合した分子であり,洗剤などに使われる界面活性剤と類似の構造をしている.
細胞が存在している水中では,疎水性であるリン脂質の炭化水素鎖部分が水に触れている状態はエネルギー的に不利であるため,多数のリン脂質分子が集合し,互いの疎水部分を内側に,親水性のリン酸部分を外側に向けた二重膜構造を作っている.膜の両面はリン酸基が密集しており水中でも安定で,膜内部は炭化水素が密集しているため疎水性の領域となっている.膜自体の内部が疎水性となっているため,細胞周辺(=水中)および細胞内に溶けている各種水溶性分子・イオンはそのままでは膜を通過することが出来ず,細胞膜は外界と内部とを化学的に遮断している.
しかしその一方で,細胞は外界の変化に応じて適切な応答を示さなければ生存することが出来ない.例えば外部環境の酸性度が上がれば,それに対抗する処置をとる必要があるし,多細胞生物なら周囲の細胞と何らかの情報交換を行って共同的な動作を行う必要がある.このような事を可能にするのが,細胞膜という液状の膜に「浮かんで」いる各種の膜タンパク質である.これら膜タンパク質は,外界(や細胞内)の特定のイオンや化学種を通過させるゲートの役割を果たしたり,外界の刺激をキャッチして細胞内部に刺激を伝達する通信路としての役目を果たしている.細胞内では,その微弱な刺激を元にさまざまなタンパク質による触媒反応等が駆動され,外的条件の変化に対する応答となって表れる.
今回の論文が実現したのは,こういった「外界の変化を,内部における触媒能の変化として伝達する」という分子系になる.

ではその「今回の研究の肝となる分子」を見ていこう.
基本的な構造は,上下に異なる置換基を組み込んだ棒状分子,と言ったところか.中心となる棒状部分はステロイド骨格を持ち,疎水性となる.分子上部には環状アミンが結合しており,中性~酸性条件下ではこの窒素上にH+が結合することでイオンとなって親水性になる.要するに,「分子上部」は中性~塩基性条件下で疎水性,酸性条件下で親水性となるわけだ.
一方,分子下部には複素環等で窒素を複数個含む部位が結合されており,一部はC=N-OHという構造をもつオキシムとなっている.こちらは,酸性条件下では疎水性の構造となっているが,pHが塩基性に傾くとオキシムからH+が引き抜かれ親水化,さらに複素環等の窒素で遷移金属イオン(この実験ではZn2+)を取り込んで錯体を構築することができる.錯体状態は電荷を持つため親水性であるのと同時に,中心の亜鉛イオン部分がエステルの加水分解反応の触媒として作用することが出来る.
要するに,A-ステロイド-Bという構造の分子であり,

酸性条件下:Aは親水性,Bは疎水性
塩基性条件下(Zn2+も含む):Aは疎水性,Bは親水性(触媒活性ももつ)

となる.ここでポイントとなるのが,AとBとを繋いでいる棒状部分の長さだ.今回の実験では,この棒状部分の長さを比較的短くしており,AとBが同時にリン脂質二重膜の外に出る(=分子が膜を貫通する)ことが出来ない.長さが足りないため,A側を細胞膜(を模したリン脂質二重膜の球体)の外に出そうとすると,B側は細胞膜に引きずり込まれ,B側を細胞膜の外側に出そうとすると,逆にA側が細胞膜に飲み込まれてしまう.
細胞膜を形作るリン脂質分子を〇―(〇側が親水性のリン酸基,―が疎水性の炭化水素鎖),今回合成された分子をA―Bとして図に書くと,こんな感じだ.

1. 中性~酸性条件下(Aが親水性,Bが疎水性)
※細胞の外側
〇〇〇〇〇〇A〇〇〇〇〇〇
|||||||||||||
||||||B||||||
〇〇〇〇〇〇 〇〇〇〇〇〇
※細胞の内側

2. 塩基性条件下(Aが疎水性,Bが親水性)
※細胞の外側
〇〇〇〇〇〇 〇〇〇〇〇〇
||||||A||||||
|||||||||||||
〇〇〇〇〇〇B〇〇〇〇〇〇
※細胞の内側

要するに,細胞の外側が中性~酸性条件になるとBが引っ込み触媒作用が無くなり,細胞の外側が塩基性条件下になるとBが細胞内に突っ込まれて細胞内で触媒作用を示す,と言うわけだ.これにより,細胞外部でのH+の濃度変化を,細胞内部での化学反応の速度変化として伝達することが可能となる.

では実験結果を見てみよう.
実験においては,細胞(を模した脂質二重膜で出来た球体)内には緩衝溶液をいれておいてpH 7(=中性)で安定させておく.溶液中にはZn2+も少し入れておき,触媒反応における補因子(触媒反応を補助する物質)とする.細胞中には蛍光性のピレン骨格に3つのスルホ基(-SO3 -,水溶性にするために付けられている)と一つのメチルエステル(-COOCH3)をくっつけたものを入れておく.この分子はメチルエステルが付いた状態では蛍光を示さないが,エステル部分が加水分解されカルボン酸(-COOH)となると蛍光を示すようになる.これを使うことで,細胞内でのメチルエステルの加水分解反応がどの程度進んでいるのか,を光により容易に検出できるようになるわけだ.なお,このピレン誘導体は負イオン部分を3つも持つため親水性が高く,疎水性の細胞膜内には侵入できない

まず最初は,外部溶液も細胞内と同様にpH 7に保っておく.この状態では細胞外にAが露出し,触媒活性を持つBは細胞膜内にめり込んでいるため,ピレン誘導体はゆっくりとしか加水分解されず,蛍光は時間が経っても微増する程度である.
ある時点で細胞外の溶液をpH 9の弱塩基性にする.すると今度はA部位が引っ込み,細胞内部にBが露出する.するとB(とZn2+が錯体となったもの)が細胞内に露出,ピレン誘導体の加水分解が加速され,急激に蛍光が増大していく様子が観察された.
その後再び細胞外をpH 7に戻すと,またB部分が細胞膜内にめり込み,触媒反応は停止する.このため蛍光の増加速度は再びゆっくりに戻る.
結果をまとめると,(模擬)細胞の細胞膜に今回合成した分子をめり込ませることで,外界のpH変化に連動して細胞内での化学反応をon-offできた,という事になる.また,外界のイオン濃度のわずかな変化を,内部の化学種のさらに大きな変化へと「増幅」することにも成功している.どういうことかというと,水素イオン濃度がほんのちょっと変化しただけで,触媒反応によりその数倍の数の細胞内の分子を加水分解出来ているわけだから,1のインプットに対し数倍の(別の化学種の)アウトプットを実現する「化学的な素子」と見なせるわけだ.

という事で,まだまだ原始的ではあるものの,「膜で区切られた二つの領域間で,化学物質に基づいた情報伝達・情報増幅を実現できた」と言う報告であった.
何せこの分野自体がまだまだ原始的な状況であるので派手さには欠けるが,興味深い一歩である.

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  • by Anonymous Coward on 2016年12月29日 0時18分 (#3137125)

    こういう分野は超ど素人ですが、イメージ的には鉄アレイのような分子を細胞膜に指しておいて、それを外から操作して細胞の機能をオンオフする方法ということでしょうか。上手いこと考えるものですね。

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