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日記

phasonの日記: 準安定相のナノラミネート構造による,高い耐亀裂性をもつ鉄鋼の実現

日記 by phason

"Bone-like crack resistance in hierarchical metastable nanolaminate steels"
M. Koyama et al., Science, 355, 1055-1057 (2017).

九大とMITとマックス・プランク研究所による協同研究.九大はその場所柄鉄鋼関連の研究を結構行っており,今回の研究はその一つの成果である.

今更言うまでもなく,鉄鋼は現代社会において実にさまざまな部分で構造材として利用されている.鉄はさまざまな微量元素の添加によりその特性が大きく変化し,また焼き入れ・焼きなましによっても硬さ,柔軟性などを大きく変えることが出来る.
そんな鉄鋼を利用する際に問題になってくるのが,ある程度の強さの負荷が繰り返し印加されると突然破断するいわゆる「金属疲労」である.これは弱い負荷によって微細な亀裂が生じ,繰り返しかけられる負荷が亀裂末端に集中,亀裂が徐々に成長することで大局的な破断に繋がる現象で,これまでにも航空機や鉄道における事故を引き起こしたり建造物の破壊を引き起こすなど,安全面での大きなリスクとなっている.工学的には,多少の亀裂が成長しても大丈夫なように十分な安全係数をとって設計するだとか,頻繁な検査により早期に発見し修理・交換を行うことで対処されているが,コストの増大や見落としによる事故の発生を防ぎきれない.
従って,金属疲労を起こしにくい鉄鋼材料の開発は重要な研究課題であり,これまでにもさまざまな新材料・新製法・新加工法が提案されている.
今回著者らが報告しているのは,準安定相間の相転移を利用した亀裂の発生抑止と,階層的な構造による亀裂成長の抑止を組み合わせた新たな構造を持った鉄鋼が,これまでの鉄鋼を大きく超えるような耐亀裂性をもつ,という発見である.

金属疲労を防ぐにはどうすれば良いだろうか?
荷重により微小な亀裂が発生し,それが拡大して破断に至るのが金属疲労なのであるから,単純に考えれば防ぐ手段としては「そもそもの亀裂の発生を抑える」というものと「亀裂の成長を阻害する」という2つが考えられる.実際,これまでにこのような対処法は開発されている.
例えば前者の「亀裂の発生を抑える」という方向では,オーステナイト相とマルテンサイト相が微細なレベルで混合した鉄鋼が知られている.鉄は含まれる炭素量や温度によっていくつもの異なる構造(相)を示すのだが,高温では炭素を比較的含みやすいオーステナイト相(鉄の面心立方格子の隙間に炭素が入った状態)が安定化され,低温では炭素をあまり含まないフェライト相(鉄の体心立方格子の隙間に微量の炭素が入っている状態)が安定化する.ところが,高温でオーステナイト化した高炭素鋼を急冷すると,余剰の炭素を排除しきるほどの時間が無いためフェライト相に転移できず,多量の炭素を含んで歪んだ準安定なマルテンサイト相(鉄の体心正方格子の隙間に炭素が挟まった状態)が出現する.さらに,焼き入れ・焼きなましなどの時間を調節すると,このマルテンサイト相とオーステナイト相がミクロレベルで混在した鉄鋼を作る事が可能である.さて,このマルテンサイト相とオーステナイト相であるが,双方の間での転移が比較的容易であり,しかもマルテンサイト相の方がやや密度の低い(=隙間の多い)構造であるため,圧縮する力が加わるとマルテンサイト → オーステナイトへの構造転移が起こり体積が減り,逆に引張り力が加わるとオーステナイト → マルテンサイトへの構造転移が誘起され体積が増える.つまり,ミクロレベルでマルテンサイト相とオーステナイト相が混合している鉄鋼は,負荷がかかってもその荷重変化による変形を内部の微小部分の相転移による体積変化として吸収できる,いわば「柔らかい鋼鉄」として振る舞うことが可能になるわけだ.このため,この二相の共存物は「弱めの荷重が繰り返し印加される」場合に金属疲労を起こしにくいことが知られている.ただし,相転移で吸収できる以上の大きな荷重がかかる場合にはどうしても小さなクラックが発生し,しかもこのクラックの成長を阻害する機構が全く無いため通常の鉄鋼と同様の劣化を示す.
一方,「亀裂の成長を阻害する」という方向として,比較的硬い相と柔らかい相がナノレベルで積層した層状構造(ナノラミネート構造)をもつ鉄鋼が優れている.例えば炭素の多いオーステナイト相を徐冷して得られるパーライト組織(常圧で安定で炭素の少ないフェライト相ができる際に多量の炭素が排除され,それがFe3Cというセメンタイト相となる.これらの板状組織が積層したもの)などがこれにあたるこの場合,亀裂は硬い組織を避けて伸びようとするため非常に曲がりくねった経路でしか成長できず,そのため金属材料が破断しにくくなる(亀裂に対しては,実効的に材料の厚みが増えたようなもの).

これら2種類の構造はそれぞれ優れた構造ではあるのだが
・準安定相の二相ミクロ共存型は,微細な亀裂は生じにくいものの出来た亀裂は普通に成長するため,大荷重が加わる場合に弱い
・ナノラミネート構造は,生じた亀裂が成長しにくいものの微細な亀裂は通常通り生じるため,弱い負荷が非常に多い回数加わる場合に弱い
と,対照的な弱点を持っている.
これら2種類の鉄鋼の長所を併せ持つ鉄鋼を作る事は可能だろうか?原理的には,準安定な二相がナノラミネート構造となった場合にはそういった物質となる事が期待される.弱い荷重による変形は内部の二相間での微妙な相転移による伸び縮みで吸収し,大きな荷重により発生した亀裂はナノラミネート構造がその伸張を阻害,亀裂を小さいままに閉じ込める.
今回論文で報告されたのは,鉄鋼の組成と熱処理の仕方をいい感じにすると,そういった優れた特性が実現できるよ,というものになる.

というわけで論文の方を見ていこう.
結果は非常に単純である.Supplementary MaterialsのFigure S7にも論文と同様のグラフが載っているので,そちらを参照していただくと良いだろう.このグラフ,要するに,「ある荷重(縦軸)を繰り返し加えた際に,何回目(横軸)で破断するか」を示したものだ.Figure S7(A)の方では縦軸の加えた荷重を絶対値で示しており,(B)の方では静的に加えた際に破断する荷重を1とし,それに対する比率で縦軸をとったもので,まあだいたい同じ図となる.
グラフには,今回の論文で作成されたサンプル(熱処理時間の違いで2種,〇および●)と,比較対象としてのSUS304(◆),マルテンサイト-オーステナイトの準安定二相共存系(×),マルテンサイト-フェライトの単なる二相共存系(■),フェライト-セメンタイトのナノラミネート構造(▲),チタン合金(□)が載せられている.
まず高荷重側(小数回の負荷で破断する側)から見ていこう.例えば104回程度の繰り返しで破断する負荷を見てやると,市販のSUS304が400 MPa前後,小荷重には強いが大荷重に弱い準安定二相共存系で500 MPa弱,大荷重に強いナノラミネート構造でも600 MPa前後なのに対し,今回作成されたサンプルではTi合金とほぼ同等の800 MPa以上程度を実現できている.つまり,大荷重が繰り返しかかるような場合でもかなり強い.
では,弱い荷重が非常に多数回加わるような場合はどうだろうか?106~107回程度の非常に多数回の変形を受けるような場合,市販のSUS304では300 MPa程度で破断してしまっている.これに対し,低負荷に強い準安定二相共存系では約360 MPa,大強度には強いが多数回の負荷に比較的弱いナノラミネート構造でもほぼ同様の約360 MPa(*),これに対し今回のサンプルではおよそ400 MPa強と,こちらもチタン合金並みの強さを誇っている.

(*)ナノラミネート構造も二相共存系と同等の強度を実現できているので多数回の負荷時にも強いのでは?と感じるかも知れないが,初期強度からの低下度合いで見るとナノラミネート構造はかなり落ちている.これはFigure S7(B)を見ると顕著である.

という事で,今回の論文の内容をまとめると,
『準安定な二相共存構造かつナノラミネート構造であるような鉄鋼を作ると,これまでの鉄鋼に比べ金属疲労による破断を起こしにくい(=より高い負荷に耐えられる)鉄鋼となる』
という事になる.
論文ではさらに,実際に亀裂がどのように生じてどう成長していくのかも検証し,ナノラミネート構造によって亀裂がジグザグに伸びるしかなくあるところで成長が止まる,なども見ているが,まあここでは省略しておこう.

というわけでなかなか面白い報告である……のだが,これがそのまま実用化に向くかというとやや懸念点がある.
今回の鉄鋼ではマルテンサイト-オーステナイトの二相共存系を使っているわけだが,このうちのオーステナイト相は徐々にマルテンサイト相に転移していくため,長期利用の間に徐々に寸法が変わったりしてしまうことが知られている.もともとオーステナイト相はやや柔らかく耐摩耗性が低めで,またマルテンサイト相への転移によりあちこちに歪みを生じる可能性がある.このあたりが問題にならずしかも金属疲労耐性が必要な用途がどれだけあるのか?などを考えると,そのままの利用はやや微妙か?

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長期的な見通しやビジョンはあえて持たないようにしてる -- Linus Torvalds

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