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日記

phasonの日記: 化学的論理ゲートによるゲル分解を利用した特定条件下での薬剤放出 2

日記 by phason

"Engineered modular biomaterial logic gates for environmentally triggered therapeutic delivery"
B. A. Badeau et al., Nature Chem., 10, 251-258 (2018).

薬剤を特定の組織のみに届けるドラッグデリバリーは,副作用が少なく効率的な治療を実現できることから,近年盛んに研究がなされている分野だ.そういったドラッグデリバリーを実現する手法の一つに,薬剤等をカプセルに入れ,そのカプセルが特定の条件下で分解されるようにする,というものがある.
さまざまな疾患において,患部の組織では通常とは異なる条件が実現している事が知られている.例えば癌細胞では細胞外マトリクスを分解するタンパク質であるマトリックスメタロプロテアーゼ(MMP)が多く発現し他の組織に浸潤しやすくなっていたり,pHが正常な組織に比べてやや低かったり,還元性の条件になっていたりする.こういった条件下で分解されやすいカプセルを作って中に抗癌剤を入れておけば,癌細胞にたどり着いたカプセルがそこで分解,中の薬剤がピンポイントに放出され効果を発揮する,というわけだ.
ところが,これらの「通常とは異なる条件」は癌細胞だけで実現しているわけではない.例えばMMPは骨の形成や血管の新生(これらはいずれも,既存の構造を部分的に分解する必要がある)などでも発現しているため,単純にMMPだけをターゲットとすると思わぬ副作用を引き起こす可能性がある.より正確なドラッグデリバリーを実現するには,もっと複雑な条件判定を行うことが必要となるわけだ.

今回著者らが報告しているのは,分子を使った論理ゲート的な構造により,複数の条件が満たされたときのみ分解するようなゲルの開発だ.
著者らが利用したのは以下の3つの反応である.1つ目はジスルフィド結合(R-S-S-R')であり,TCEPなどの還元剤により二つのチオールとして切断される(R-S-S-R' → R-SH + HS-R').還元(Reduction)で切れるので,これをRで表す.2つ目はアミノ酸配列による結合(R-G-P-Q-G-I-W-G-Q-R')で,酵素であるMMPにより切断される(R-G-P-Q-G-I-W-G-Q-R' → R-G-P-Q-G + I-W-G-Q-R').酵素(Enzyme)で切れるので,これをEで表そう.3つめはo-ニトロベンジルエステルのエステル結合が光開裂することを用いたものになる.光(Photon)で切れるので,これをPで表す.これら3つの構造を組み合わせることにより,3つの異なる刺激で,3つの異なる部位を切断できるわけだ.
例えば環状の接合部で上側にR,下側にEという異なる刺激で切断できる部位を入れたとしよう.
  ┌R┑
A┥ ├B
  └E┘
Rだけの刺激やEだけの刺激ではリングの片側しか切断できないため,薬剤B(を含む部分)を放出するためにはRとEの2つの刺激がともに必要となるANDゲート(R∧E)を実現できる.同様に,
  ┌R┑
A┿P┿B
  └E┘
という分子にすれば,3入力ANDゲート(R∧P∧E)と見なせる.また当然であるが,
A-R-E-B
という構成にすれば,ORゲート(R∨E)も実現可能である.

というわけで著者らは色々なゲート構造をもつ分子からなるヒドロゲルを作り,末端部分のリリースを設計通りの外部刺激できちんと行えるかをチェックした.その結果,E∨R,E∧R,(E∧P)∨R,R∧(E∨P),E∨R∨P,E∧R∧Pなどのゲートでほぼ予想通りの振る舞い(設定した必要な刺激が全て満たされると放出,一つでも欠けているとあまり出てこない)が確認された.ただまあ程度の問題もあり,あまり複雑なゲートだと足りない刺激でも少し漏れ出てきていたりするのはご愛敬.
続いて著者らは将来的なドラッグデリバリーのモデル実験として,R∧Eゲート末端に抗癌剤であるドキソルビシンを結合し,還元剤と酵素が働いた時だけ抗癌剤が放出されるようなゲルを作製,その上でヒーラー細胞を培養した.還元剤だけや酵素だけを加えた場合は細胞の成長にはあまり影響はなかったが,還元剤と酵素を両方とも加えた場合だけ,ヒーラー細胞が急激に破壊される様子が確認された.
また本手法は,薬剤を届けるだけではなく,生きた細胞をゲルで包み,特定の条件下でだけ内部の細胞が開放される,というような使い方も可能であり.ドラッグデリバリーならぬセルデリバリーといったところか.こちらもモデル実験を行っている.

面白い結果ではあるが,残念ながらまだ「癌細胞の特徴を認識して薬剤を放出」というところまでは行っておらず,そこそこ極端な条件(還元剤を加える,近紫外光を照射,酵素MMP-8を添加)を人為的に行うことで論理ゲートの条件を満たしているわけで,実用化なんてのは相当先ではあろう.ただまあ,複合的な外部刺激を認識し特定の応答を返すスマートマテリアル,という意味では既に実現できているわけで,このまま進歩していけば結構面白そうではある.

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • by tenokida (42811) on 2018年03月06日 19時18分 (#3372228) 日記

    ヘンリエッタ・ラックスでHeLaだそうな
    通常の日本語表記だとヒーラ細胞とするのが多い模様
    ♯私が聞いたのもヒーラ

  • by Anonymous Coward on 2018年03月12日 11時02分 (#3374659)

    否定が使えないことにはまだまだ論理回路としては不十分ですね
    化学結合でどうやるかは全く思いつきませんが…

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