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15010032 journal
日記

phasonの日記: タイヤがギンザケを殺す 10

日記 by phason

"A ubiquitous tire rubber-derived chemical induces acute mortality in coho salmon"
Z. Tian et al., Science, in press.

ギンザケはアメリカ北西部で遡上し産卵する代表的な水産資源である.しかしそのギンザケ,都市部において降雨の後に原因不明の大量死を起こすことが知られていた.今回の論文は,その原因究明を続けているワシントン州(DCではなく,西海岸最北の州の方)のタコマにあるCenter for Urban Researchやワシントン大学などを中心としたグループが,ついに原因を突き止めたという論文になる.

この研究グループはギンザケの雨水流入後の大量死を研究しており,過去の研究においてタイヤから出てくる何かの化学物質が原因らしいというところまでは突き止めていた.実際,タイヤを漬け込んでおいた水をギンザケに与えると1~3日以内という比較的早い期間で死亡することから,何らかの化学物質の急性毒性によるものだと考えられていた.
今回その正体を解明すべく,多段階にわたる分離と分析を駆使しその正体に迫った.

実験であるが,まず毒性のあることがわかっているタイヤの浸出液がスタートである.こいつをエレクトロスプレーイオン化(*1)によりイオン化し,それを高分解能質量分析計(*2)にかけ正体を知ろうとしたのだが,この段階では正イオンの側だけでも2216種もの物質が存在し,とても正体を突き止めるどころの話ではなかった.

*1:単純化して言うと,微量の試料を溶かした液滴を真空中に入れ,高電圧をかけながら蒸発させる.電圧により液滴内の水分子(等)がイオン化しつつ蒸発により小さくなると,電気的な反発力が表面張力を大きく超え,液滴が微細な粒に分裂しながら真空中に飛び出す.その後も溶液は蒸発し続け,残ったH+(等)が試料分子に吸着したイオン種を生じる.これが質量分析計に飛び込み,その質量が分析される.

*2:例えば1Hの質量はおよそ1,12Cは12,14Nは14なので,12C1H214Nはほとんど同じ重さになる.しかし質量を精密に測定すると,12C1H2の質量は14.01565,14Nの質量は14.00307であり,区別することができる.このような高い分解能をもつ質量分析計を用いると,その質量から分子式を推定することが可能である.

そこで今回,タイヤの浸出液を各種分離手法により分離,どのフラクションにギンザケを殺す能力があるのかを調べ,毒性のあった部分をまた違う分析手法で分け……を繰り返し,成分を絞り込んでいった.
まず細かなフィルターとイオン交換樹脂を通したが,それでもギンザケへの毒性は変わらなかった.このことから,毒物はイオン性ではないし,何らかの微粒子でもないことがわかる.続いてその流出液を,逆相カラムにより分離した.水 → エタノール → 酢酸エチルと徐々に極性を落としていくと,流出する成分が極性の高いものからより炭化水素に近いものへとシフトしていく.3種の流出液を調べたところ,水,および酢酸エチルにより出てきた成分にはほぼ毒性はなく,エタノールの時点で動いた成分に毒性があることが判明した.この段階で,質量分析計で検出される成分は1355種とまだかなりの種類が存在している.
続いて,逆相カラムでエタノールにより流出してきた成分を,ヘキサン:ジクロロメタンを展開溶媒に用いたシリカゲルカラムでさらに分離した.ヘキサン:ジクロロメタンの比率を3:0 → 2:1 → 1:2 → 0:3と徐々に変え極性を上げていき,4種類の流出液を得た.調べると,これらの流出液のうち.2:1での流出液が毒性を持つことが判明した.この段階で,化学種は659種存在している.
さらに細かく分離するため,逆相のHPLCを用いて15分画に細かく分割したところ,そのうちの10-11番目のフラクションが毒性を持っていた.この段階で化学種は225種にまで絞られた.
さらに同様のことをフッ素樹脂を固定相に用いたHPLCでも行い,これまた偶然にも10-11番目のフラクションに毒性があることが分かった.この段階で化学種は26種にまで絞られている.
この溶液をさらにフェニル系の樹脂を使用したHPLCで分離したところ,8-9番目のフラクションに毒性があった.この段階で,化学種は4種にまで絞ることができた.

この4種の質量分析結果を見ると,量としてはある一種の化学物質が大部分を占めていることが判明した.その化学種の質量分析での検出質量はm/z=299.1752,ここから組成はC18H22N2O2と求まる(※検出されている質量は,この組成にH+が付着したものである).また,他の3つの物質の組成はタイヤに含まれている既知の分子と一致し,それらは顕著な毒性をもたないことが知られていたことからも,このC18H22N2O2が毒性を持つ化学種であることはほぼ確実である.

では,この分子は何なのだろうか?タンデム質量分析計(*3)による分析から,この物質がC4H10というフラグメントと,C6H12という部分構造をもつことは分かったが,それ以上の情報は得られなかった.文献検索によりC18H22N2O2という組成の毒物を探したが,それも見つからなかった.したがって,この分子は未知の毒物であると考えられる.

*3:MS/MSなどとも書かれる.質量分析計で特定の質量の目的分子を分離した後,そのまま不活性ガスなどと衝突させることで分子に衝撃を与え,さらに断片化したパーツの質量分析を行う(二段の質量分析計がついているので,タンデムと言う).分子の比較的切れやすい部分で解離するので,部分構造の情報が得られる.

ブレークスルーは,検索範囲をC18H0-xN2-4O0-yへと広げた時に訪れた.自然環境中においては,水との反応によりHやOが増えたり,酸化によりOが増えたり,ある程度反応性のあるNがOなどを含む置換基に変換されたりということがある.そこから著者らは,検出された毒物は,もともとタイヤに含まれていた何かが環境中で酸化・加水分解等を受けて生じたのではないかと考え,そのもととなる化学物質を探り出そうとしたわけだ.
するとC18H24N2という分子(6PPDと呼ばれる)が,タイヤの抗酸化剤として添加されていることを発見した.この分子はタイヤがオゾン(これは,排ガスが光化学反応を起こすことで生じる.光化学スモッグの原因でもある)により劣化するのを防ぐためにタイヤに加えられている成分であり,ゴムタイヤの重量のおよそ0.4~2%程度とそこそこの量が加えられている.なお,6PPDおよびその酸化により生じる毒物(6-PPD-quinone)の分子構造に関しては,Supplementary MaterialsのFig. S13を参照してほしい.

著者らはこの物質が本当に毒物の起源なのかを調べるために,6PPDをオゾン酸化し,生じた物質の性質を調べた.その結果,生じた物質のカラムによる分離結果はタイヤ浸出液から生成された毒物と完全に一致し,また質量分析も完全に同一の結果を与えた.また,6PPDのオゾン酸化により生じた物質の毒性を調べたところ,20 μg/Lの低濃度で,タイヤ浸出液と同様に素早く(90分程度で症状が現れ始め,5時間以内に死)かつギンザケの死をもたらすことが確認された(3回で計15匹のギンザケで実験を行い,再現性も確認された).これらの実験から,6PPDの酸化生成物の毒性は,ギンザケの半数致死量で0.79±0.16 μg/L程度ということが分かった.なお,タイヤ浸出液(に含まれる毒物成分)の毒性は0.82±0.27 μg/Lであってので,タイヤ由来の毒性はほぼ100%この6PPD酸化物である,といえる.ちなみに,酸化されていない6PPDの毒性は半数致死量で250±60 μg/Lになるそうだが,そもそも6PPD自体がほとんど水に溶けないため,その毒性が問題になることはない(そのため,「安全な物質」として多量に使用されているわけだが).
6PPDはタイヤ表面で起こるオゾン酸化を抑制するために加えられている材料であり,その目的から消費された分だけ内部から迅速に表面まで拡散することが求められる.そのことが逆にタイヤ表面が削られる際に常に6PPDが一緒に環境中に排出されることに繋がり,それが都市部での微量のオゾン等により酸化,6PPD酸化物となって毒性を示しているわけだ.
さらに著者らは,6PPDとオゾンとの反応が,これまで想像されていたものとは異なることも指摘している.これまでの定説では,オゾンと6PPDが反応すると,6PPDのアミンの部分(N)が酸化され,N+-O-というnitrone構造を2つもつ分子になると考えられていた.ところが実際に観測された6PPD酸化物はキノン構造をもつ分子であり,全く別のものである.

著者らは最後に,実際の雨の日の流出物に6PPD酸化物がギンザケを殺すほどの濃度で含まれているのか,も確認している.まず,雨の日の路面の液体中の6PPD酸化物を測定すると,1-19 μg/L程度のかなり濃い状態であった.これが川に流れ込んだ段階でも,その濃度は0.2-3.5 μg/Lと,調査を行ったシアトルやサンフランシスコなどで半数致死量を超える場合が散見された.
6PPDに関しては,全世界で用いられているタイヤに非常に多く使用されており,アメリカのみならず世界各国での水系への毒物として働いている可能性がある.著者らが指摘しているのだが,ギンザケが6PPDに特異的に弱いと(少なくとも現時点では)考えるべきではない.著者らはニジマスでも試験を行い,その半数致死量はギンザケの1/4とさらに毒性が強いことも判明している.

化学物質の毒性に関しては,そのものだけではなく環境中での代謝物,分解物等も考えなくてはいけないために非常に難しい話である.特に今回の場合,現時点で使用されている量が膨大であることから,場合によってはかなりの問題になる可能性もある.
とまあそういう話を置いておいても,さまざまな手法や証拠から原因物質を突き止めていく部分が非常に面白い論文であった.

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犯人はmoriwaka -- Anonymous Coward

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