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日記

phasonの日記: 突然変異はランダムか? 9

日記 by phason

"Mutation bias reflects natural selection in Arabidopsis thaliana"
J. G. Monroe et al., Nature, 602, 101-105 (2022).

現代の進化論の中心に突然変異と自然選択があることは広く知られている.DNAは化学物質,光,放射線等の影響により常に損傷しており,(その損傷で運悪く細胞が死なないならば)各所でランダムな変異が発生することになる.生じた変異は,ある時は同義語への変異であり何の影響も与えず,別な場合にはアミノ酸は変化するもののたんぱく質の機能にはほとんど影響がなく,またある場合にはタンパク質の機能を大きく変えてしまったり,全く別の分子を生み出したりする.その結果が生存に大きく有利であればその変異は時とともに広がっていくであろうし,不利であれば広がる可能性は低い.
この進化論を支える基盤の一つである「突然変異」に関しては,長年,ありとあらゆる部位でランダムに起こる,ということが仮定されてきた.何せDNAを壊すような高エネルギーの過程はたいていは非選択的であるので,この過程は相応にもっともらしいと考えられる.

ところが近年,DNAやその周辺で起こっていることへの理解が深まるにつれ,DNA(より正確に言うならば,DNAとさまざまなタンパク質の複合体)というものがもっと動的に自身をコントロールしている,という事実が明らかとなってきている.
細胞は周囲の状況に応じてDNAから特定のタンパク質の情報を引き出し合成,それにより環境に対処する.いわゆる生命科学のセントラルドグマとして知られる考え方では情報の流れは一方向であり,DNAは恒久的な情報記録に用いられ,転写されたRNAである程度の情報処理が行われ,それをもとにタンパク質が製造される,とする.
しかし近年明らかとなったDNAとタンパク質の関係はもっと複雑であった.生み出されたタンパク質が必要に応じてDNA分子に修飾を加え,それにより各遺伝子の発現率などが大きくコントロールされていたのだ(エピジェネティクスと呼ばれる).つまり,DNAは自ら生み出したタンパク質により自分自身をある程度制御しており,情報の流れは一方向というよりは適宜フィードバックループが入っているようなものなわけだ.

さて,そこで突然変異である.突然変異を引き起こす過程は確かにランダムなのだが,そもそも遺伝子が変異するかどうかはその後の修復がうまくいくかに大きく依存している.DNAが損傷する頻度というのは一般に思われているよりもはるかに高く,健康な細胞が1日活動する間に数十万箇所以上の損傷が発生する.この損傷の大部分はDNA修復酵素の働きにより元通り(もしくは相同組み換えにより,機能的にはほぼ元通り)に修復されている.逆に言えば,「どのぐらいちゃんとDNAが修復されるか」が,突然変異の発生率を決める重要な要因となっている(修復が不完全で変わってしまった部分が突然変異になる).そしてDNAの修復頻度は,エピジェネティックな修飾に依存している.タンパク質によりDNAにはさまざまな「タグ付け」のようなことが行われており,各種のタンパク質はこの「タグ」を認識してDNAとの相互作用を調節している.つまり,エピジェネティックな修飾により「DNAの修復をどの程度行うか」ということも,原理的にはコントロール可能なのだ.とすると,突然変異の発生率も実はDNAの部位ごとに異なってきてもよい,ということになる.
今回の論文は,そんな観点からDNAの変異率を調べ,突然変異発生率がDNAの場所ごとに異なるらしい,ということを明らかにしたものとなる.

では論文に移っていこう.著者らが対象としたのはシロイヌナズナである.この植物はゲノムサイズが小さいこともあり非常に研究が進んでおり,遺伝子に関しては恐らく最も詳しく調べられている代表的なモデル植物だ.
さて,突然変異の発生率を調べる,と言っても,実は大きな難関が存在する.それは,「そもそも,重要な遺伝子(*)に対する変異は致命的なものになりがちなので,見た目の突然変異の発生頻度が低い」という点である.例えば,現存する生物の塩基配列を調べたとして,ある遺伝子の変異が少なかったとしよう.「その遺伝子部分の突然変異の確率が低い」という可能性もあるが,「その遺伝子に突然変異が生じるとたいてい死ぬので,生き残った生物を調べる限り見た目の変異率が低く出る」という別の可能性も否定できない.
そのあたりの区別をつけるため,著者らはTajima's Dと呼ばれる検定統計量などを用いて検証している.これはかつて東大(確か)の田嶋先生が開発した検定統計量であり,選択が働かずランダムな変異が起こっているだけ(=中立的)な場合と,変異に対し選択が働いている(=非中立的)な場合とを区別できるような検定統計量として開発された.
これ以外にも,どの系統が使えるのか,とか,どの変異部分を対象にするのか,などフィルタリングや検証がいろいろあるようだが,正直なところ専門外の人間にはもはやついていけない部分なので,興味がある方は元論文やその参考文献に当たっていただきたい.
とりあえず言っておきたいのは,突然変異自体の致死性等により見た目の相関が現れている可能性に関しては,(その妥当性などに関しては議論の余地があるかもしれないが)著者らは十分認識したうえでそれを回避すべくいろいろな手法を取ってはいる,という点だ.

*遺伝子=タンパク質を作るための情報が書かれた部分.DNAは,無数の遺伝子,発現を制御する部分,何かの残骸など無意味な配列,構造を保つための部分など数多くの配列を含む巨大分子である.コンピュータで言うならば遺伝子がサブルーチン,DNAはソフトウェア全体,というようなものだろうか.

前置きが長くなってしまったが,著者らはそうした処理により有意と思われる変異をフィルタリングし,その結果を多変数線形モデル化しさまざまなファクターの影響を抽出した.その結果からいろいろなことが分かったのだが,いくつか挙げていこう.

既知の知見と,データ解析の結果の一致をみる(本手法の妥当性を検証)
・GC含量(配列中のグアニン-シトシンペアの割合)が高いと,変異率が下がる.
・H3K4me(DNAと結合しコンパクトにたたむためのヒストンタンパクのH3K4の位置のメチル化)はDNAの安定性を上げ変異率を下げる.
・シトシンのメチル化は,その部位の変異率を上げる.

新たに見えてきた知見
・遺伝子本体の変異率は低い.つまり,タンパク質の設計図そのものの位置の変異率は低く抑えられている.
遺伝子と遺伝子の間の部分に比べると,遺伝子本体部分の変異率は58%低い.
これはエピジェネティックな修飾が遺伝子部分によく行われていること,そのような修飾がされた部分ほどDNA損傷に対する修復が促進されていることと矛盾しない.
・イントロン(mRNAに転写されるが,そこで不要な部分として削除されるためタンパク質には影響しない部分)を多く持つ遺伝子は,変異率が低い.(一見無駄に見えるので)イントロンの役割には謎な部分が多いが,もしかしたら変異率の調節に役立っている?
・線形解析から得られたモデルから「変異率を下げる」と予想されるエピジェネティックな修飾が多数なされているものには,必須遺伝子が多い.

ということで,今回の解析から予想されていることとしては,「突然変異はランダムではなくて,生存に必要不可欠な場所では起こりにくいように,細胞自身がDNAを修飾してその起こる確率を制御してるのかもよ?」ということになろうか.
(正確に言うならば,DNAの損傷自体はそこそこランダムに起こるが,修復の起こりやすさをエピジェネティクスで制御することで結果として「変異しやすい部分」と「変異しにくい大事な部分」とを分けている)
最後に著者らは,エピジェネティクスがDNA(とそれが作るタンパク質)自体によって柔軟にコントロール可能であることから,突然変異の発生率・発生個所自体が,環境変化に応じて動的にコントロールされている可能性だってもしかしたらあるんじゃないの?という感じのこともほのめかしている.
例えばの話ではあるが,厳しい環境変化が起きたときにはあえて突然変異率を上げて対応可能な種が生まれる可能性に賭けている,という可能性だってあるかもしれないわけだ.
このあたりの,まさに今伸びている研究分野はいろいろ面白いことが出てきてよいですね.

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • 変化度合いについて別の論文をここでとりあげてましたし、その裏付けの一部ってところかもですね。

    --
    M-FalconSky (暑いか寒い)
  • by Anonymous Coward on 2022年02月10日 18時19分 (#4198239)

    望んだ変化を能動的に起こせるわけじゃないんですね。

    • by TarZ (28055) on 2022年02月10日 19時02分 (#4198271) 日記

      地球生命は、長い進化の果てにヒト(遺伝子組み換えではない)を生み出したので、今後はランダムに頼らない変化(遺伝子組み換えのヒト)も起こせそうな感じです。

      親コメント
    • by Anonymous Coward

      生物は、酸素とか一酸化炭素とか本来劇物なのに有効に使うなど、あらゆるありふれた物質を使えるようにコントロールしてきたのだから、同じありふれた放射線も何かに使ってるんじゃないのかと夢想していたけど、変異へのトリガーとして使っているのかも知れんな。

  • by Anonymous Coward on 2022年02月11日 10時16分 (#4198493)

    変異はランダムだけど、残りやすさ(修復されにくさ)はちがうよ。
    必須部分は修復されやすいよ。
    という話?

    ってことは、使ってるから修復されやすいの?そこから作ったものからフィードバックがかかるみたいな?

    • by Anonymous Coward

      使ってるからというか、使ったりなんだりする際にいろいろな目印(化学修飾)がDNAに行なわれていて(これは既知)、それが修復率に影響するよ(これが今回の発見)、という話。
      目印を認識して修復したりなんだりする多種多様なタンパク質は常日頃からたくさん発現していて、細胞内にいっぱいある。
      だからもしかしたら生物は能動的に変異率をコントロールしている可能性もあるよね、というのが「あったら面白いな」という仮説。

  • by Anonymous Coward on 2022年02月16日 11時19分 (#4201004)

    厳しい環境変化=ストレス、突然変異のうち悪い方=ガン化、ですかね…。

    修復率の能動的コントロール、原始的生物の頃なら有益だったんでしょうね。
    脊椎動物ぐらいに高度になると、生殖細胞経由で増えていくから、変異率をコントロールしてもほとんど無意味かもしれない。
    体細胞なら完全修復して欲しいもんなぁ。

    イントロン部分とかの修復率が低いのは、無駄なエネルギー使わないという戦略でしょうか。
    どうせなら全部直せばいいのにと思わなくも無いけども。
    この辺り、将来の癌治療や予防に影響してくるかもしれないね。

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