新井紀子先生のゲーデルの不完全性定理に関する比喩がいまいち分からない.いつまでも平行線のまま、わかりあえない可能性がある、っていうのが、「ゲーデルの不完全性定理」です。「人は言葉だけでは絶対にリアリティを共有できない」。そういう定理なんですよ。
修辞 (スコア:0)
新井先生は修辞について話をしておられる
新井先生のおっしゃる意味では数学には修辞は存在しない(とゲーデルの不完全性定理は「修辞的に」示している)
Re: (スコア:0)
リアリティ≒文脈≒相手との関係性≒そこにある共有できるはずのストーリー≒それに対する価値観とか、
が数学にはないということ
こういうリアリティ…をさししめす・つくりだす言葉の働きが修辞だと思えばいいです
(佐藤信夫の考え方)
新井
別の例をあげると、
今日なぜこのフルーツケーキを持ってきたかというと、
ちゃんと理由があるんです。
これ、好き嫌いがけっこうあるんですよ。
文脈を選ぶんです。なんていうかな、
この人なら好きかなあみたいな。
家庭料理とかセーターってまさにそうでしょ?
この人ならこれは「あり」かなあとか。
糸井
あぁ、なるほど。
新井
でも、
お店でこのケーキを売るのは「なし」かな、とか。
糸井さん
自分もわからんかった (スコア:0)
多分適当言ってるだけだろうな。
こういう事言っておけば、自分みたいに適当言ってるだけだと思ってる人は自分のわからない意味があったら恥ずかしいから批判しないし、
誰かしら知ったかぶりがそれなりに意味付けをして深遠なことを言ったことに成るし、
得しか無いな。
そのツッコミをした人の発想も変くね (スコア:0)
リアリティを共有できない=証明も反証もできない命題が存在する
に対応させりゃいいとおもうんだけど
> リアリティを共有できない=自身の無矛盾性を証明できない
> という対応付をされたのだろうか
こっちの発想のほうがよくわからんちん
> 「リアリティ」を「神の存在理由」と置き換えれば
> ... 意味がわかりやすい
余計わからんくなるし。それなら「俺は無矛盾、証明できないけど神がいるからな!」で話は完結するんだから、
他人とリアリティを共有する話なんかどうでもいいじゃん、としかならない。