raycyの日記: 黙認?状態っは恐ろしくて いつ著作権行使されるか知れない、くらったのこれで2ndだあ~ 引用要件不備有? 改変なら許諾,転載なら代価,無断なら賠償公開停止 NC
Not Completed.
- l首相の持つ解散権とも似てるとこあったかな、 伝家の宝刀っていうよりは懐刀 ステルス帯刀l
それで 過去コメントを探してたんだけれども 3つついてた、、2010年
- スラドでの応答状況は Q (およそ) 「漢典」?,A「(漢典かは?かもだが)敦煌文献に可能性..」 ; 「Seattle Daily Times」
- Wikipediaでは これの問題は こちらにおおきく非があったかな、たしかに。ja.Wikipedia上で 直接議論 着手すべきでしたかね、他所で勝手な思い込みで検討しはじめずに、ってかプライベートで 内輪で自分だけでやってれば よかったんですね。 外部からの公開アクセスはポイントが絞れてまとまってから 別途公開の場に置く、、。そのように するようにいたしましょう。
- (霊犀社2では、、)
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The actuality of QWERTYThe actuality on - QWERTY history:ではどうだっけか ゼロ 何にも無かったんだっけか、
ところで なんで 1888年12月だかが 1900年だの1920年だのへ延びたか わかったような気がしてきましたよ。
私が そんなふうに 調査期間を後ろへ延ばしたのが 正しかったかどうかは置いといて。
先生はMcGurrinに着目した だからMcGurrinのことなんだろうと思っていた 最初。 貴殿の証明の仕方としては それで正しいアプローチであった。
でも山田尚勇が書いていたのは Any pioneer, 複数のタッチタイピング指導者が出てきて みんなに勧めるような局面で jeered 非難された 特に筋のいい人や シフト式を使っている者ばかりでなく あまり筋のよろしくない人やシフト式でない大文字・小文字複式機使ってる人にまで勧める。 当初は 教授法が不安定というか 確立というのからは うんと離れていたであろうから、本人とタイプライター・マシンとの相性で あとは勝手に 生徒自身が うまいことタッチタイプを獲得してってくれるかどうか てのに依存する要素が 大きかったのではないか。
筋のよろしくない人や複式鍵盤機のひとにまで、
そして すべてのタッチタイピング指導者が(例外なく)jeeredされたことを証明しなくちゃならない。
まず、1888年12月投稿だかのMcGurrinが jeeredされたかどうかを問題とした。
で、それは不定だ。されたかどうか わからない。でも 万人すべてのタイピスト向きではないと見做されていた可能性はある書き方である。jeeredを否定しきれない。
まあたしかにMcGurrinのjeeredを否定できればそれで 論理的にまちがいじゃないんだが、
Any 唱道者 どの唱道者もすべて ただし 例外なく と した場合。
でも否定しきれない。
ふつう 少しは例外もあろう。
タッチタイプが正課に採用されるのが遅れた理由
タッチタイプ技能獲得失敗・伝授?失敗リスク
いずれにしても 誰か探す まず一人探すって言う意味で、
そうすると
唱道者 が複数なんだから McGurrinに無ければ1889年以降も見るべきだ
また タッチタイプが正課に入り始めたのは (たしか 1900年ごろとかじゃなかったっけか そうじゃなかったみたいだ ちょっと違ってて) いつかわからないが 1900年ごろで 正課に取り入れていたのは半数ぐらいって山田尚勇にあるみたいだ。← あとでチェック
あと残り半数のタイピング教習コースでは タッチタイピング指導して 生徒が うまく体得できなかった場合のリスクを考えて 正課に入れることを躊躇していたってことなんでしょう、きっと。
タッチタイピングの本格教本が出版されたのも 確か1900年ごろ。 このころから 有名どころが 2系統あるような。 Practicalと Van sansだか そんな名前の人のと。
あるいは 本格的に 教授法の体制ができてきたのには Gilbrethもいくらかか関与していそうな気もしてた。それが一般に出てくるのが1915年ごろから1920年ごろじゃないだろうか 専門としない広く一般にまで タッチタイプの有効性が 認められるようになってくるのは。
だが Gilbrethのブランク鍵盤やら 空で頭で暗記するような記述をみると、そうでもないのかな、
このごろは、指へ直接教えるように 指導されているようだから、
書きかけ 手直し中 こりゃ編集しづらい、、
黙認されてるってのは恐ろしくて いつ著作権行使されるかわからない、くらったのこれで2度目だあ More ログイン