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日記

raycyの日記: おんまさん? しかさん? Hey You(raycy)!→ 山田尚勇の文中での記述位置からは 私の当初解釈でよく、文脈文意からすればより後までを範囲としても可。

日記 by raycy
Not Completed.   ここに至る経緯 →詳細検討へ http://srad.jp/journal/560516
(うろ覚え/)
Any pioneer タッチタイプにすべきですと 皆に勧める指導者は だれもが faker 詐欺ペテン師と jeered 非難された。 らら? ちょっと違ってるかな?(山田尚勇より おおよそ うろ覚え)
  • これは、人を見て 筋がよかったり Remington系の シフト式QWERTYを持っている人に対してならば まだ そう問題にはならなかったのかもしれない。
    筋の悪い人?一旦 サイトメソッドの強固な癖がついてしまった人やら それで仕事に従事中の人、ダブルcaseマシン持ちの人にまで勧めるとなると どうか?


検討状況  結局私raycy まちがってました  Barnes夫人 あやしい
…とも言い切れない面が、山田尚勇の原文の書かれてある位置の文脈を追ってみて 思いました。 最上行 ↑ 詳細については リンク先を見てちょ。

なるほど、読んでみるもんですね。ところで この冒頭とか 中盤のカッコ内あたり 訳出のご紹介が いただけてなかったような気がするんですが、

Operating the typewriter without looking at the keyboard is not a simply ornamental accomplishment, but one exceedingly useful to all operators, and especially so to those having copying to do.
  -- 中略 --
All the fingers should be used, thus practically covering the entire keyboard. (The Remington machine is referred to, as ti ←テキスト起こしでの まま。正しくは→ it is impossible to acquire this faculty on any other double case writing machine now in use.)   --中略--  F. E. McGurrin
Salt Lake City, Utah, Nov. 24, 1888.

F. E. McGurrin: "Typewriting without Looking at the Keyboard", The Cosmopolitan Shorthander, Vol.IX, Nos.11&12 (December 1888), pp.249-250. (djvuファイル)
QWERTY People Archive: #McGurrin

要点:
McGurrin曰く 触鍵打法or不顧at{手元or鍵盤}打法 is not単なる見世物nor曲芸, but実用for 万人typists, especialy for原稿見ながら清書copyする仕事抱える人に。(なんとなれば ∵ 注視→原稿打鍵法。or20世紀末から21th初頭なれば注視→ディスプレイ?WYSIWYG?打鍵法?)
ただし、1888年11月投稿段階での現状 それができるマシンはシフト式で それは(ほぼ?)Remingtonに限られるし(あとほかに Hammondとかも あったかも?どうだっけか。) それはQWERTYなんですけれどもね。あぁ、ほかの 今出回っている ダブル鍵盤機 大文字・小文字のそれぞれに独立の専用キーがあって シフト式でない、鍵盤数が倍あるとか、、Caligraph No.2機使いのTraubさんとつい4ヶ月ほど前 公開賭け対戦したけれども、アレじゃ 絶対無理(と思う)、この技法。 (そゃ曲芸としてならば成立するかもしれない、でもシフト式なら持つ可能性  実用for万人 という観点からはどうなの?)
(Mrs. Barnesの項 書きかけ/)
それを受けてか Mrs. Barnes のタッチタイピングへの言及のある教本が出るのだか、 Remington向けとCaligraph向けと 両方。 どちらにもマッガリンからも同じ文言が引いてある。だから Caligraphにも McGurrinが引用してあるわけだが、、

そもそも、その タッチタイプの この著作内における定義なんだが、、
(/Mrs. Barnesの項 書きかけ)

本文:ここから
私が 当初想定した 文献の絞込み範囲は 不適切でした。
また、貴殿が McGurrinに着目した証明法を採ろうとしたのならば かつ それが参照文献において示されることになったのであれば それでも よかったのかもしれない。

結局、今はこう考えるのが いいのかなと思うところを述べる。

たしか山田尚勇に

(うろ覚え) 1900年ごろに至っても タッチタイプを正課に取り入れて指導するコースは半数程度であった (/うろ覚え)

  • まてよ? これは、考えてみると どうだろう 平成JAPANにおいても どこかで 小学生やらが 学校正課的には キーボードに初遭遇するのだろうか、、
    • キーボードっというか 文字割り当て区画面タッチパネルとかも含めて との初遭遇が 正課ってのは 今日ほとんど 想定し得ない状況に至ってはいようが。

    ともかく、正課においては タッチタイピングの指南からは入らずに、まず サイトメソッドmethodっから教え始めてしまう、、それが、限られた時間コマ割り当てなら デスティニーdestiny 必定では。  あとは あるとしたら 学期初め終わり 学年初め終わりといった ロング区間をとって モニターするやり方にするか、、

とかあったと思う。これか、:

タッチ・タイプ法の浸透
 タイピスト学校でタッチ・タイプ法が受け入れられるのも遅々たる歩みであった。1890年においてさえ、これらの学校で主流を占めた打鍵法は、それぞれの手の1ないし2指を用いるものであった。1893年になるとやっと3指を用いるようになり、そのための教科書も著述された。
 1900年までの間にようやく全指を用いるタイプ法が抬頭してきたが、それでも約半数のタイピスト学校では依然として鍵盤を見ながら打鍵する方法を教えていた。

山田尚勇『日本語をどう書くか』
入力法および表記法のヒューマン・インタフェース学入門
タイプライタ入力法の発展:

  • 貴殿の最近のご研究では この山田記述にある教授法の進展やら 実際の授業実態の様子やらは 裏打ちされることになっているのか いやそうじゃない ということなのか、 当方 ちゃんと追いきれておりません、ご免 ご容赦を。
  • でもま、ちょっとおかしいですかね Mrs. Longley(1882)のは さきがけ度が 時代より あまりに早く行き過ぎていたのか、。Mrs. Longley(1882)のは 例外的なのかな、。それにしても Mrs. Barnesのは出ているし、、って これはMcGurrin vs. Traub(1888年7?月)後。 これ以前ごろは 各手2本指タイピスト(これをTraubと 錯覚・付加読み込み過ぎて Traub各手2本指タイピスト説が出たのか?)が最速との認識があったりもしたのだから、、。でもま、Caligraphでは 全指といっても 親指抜きの8指。このうち小指はサイド・スペース・バー操作に充てられるから、キー操作は残りの各手3指。さらに Caligraph No.2では サイド・スペース・バーの内側に大文字キーが並んでいるから 大文字キーも 小指?(薬指もか?)操作。小文字キー操作に充てられる指は 実質各手2ないし3指? Mrs. Longleyをチェックしないと。
  1. タッチタイプ、獲得させるのに失敗するリスクがあったんだと思う。
  2. また 習う側にも 自分には無理ってな決め付け 思い込みもあったか 。
  3. 前提として シフト式の タッチタイピングマシンに足る 機構的成熟・洗練
    • (あやしげ myself)シフト式初号系Remington No.2あたりでは シフトキーの操作が 今日とは違って シフト解除に手間取ったり?なんか キーが足りないか 何かあったような気がした、(/あやしげ myself)

なにより、 教授法の不備 と そして ダブル鍵盤機の存在 も 障碍となっていたであろう。

  • 飛び込んでみろっていう。言われたほうが 恐る恐るプールを覗くと、どうみたって水張ってあるようには見えない えっ?ほんと 飛び込んで大丈夫なの~ぉ?

    って それほどのことでもなかろうが、

    いいから 黙って 目 つぶって飛び込めっ! ほらっ

タッチタイピングの よいとされる教本が出てくるのも 確か 1890年後半からありましたっけか1900年ごろから Van Santだかってのも あったような。Practical と Van Sant?だか この2系統ぐらいが 有名どころなのかどうなのか、、 徐々に教授法も安定してくる、。

  • 教授法本が出てくるってことは、それに先立つ ある期間 それがスクールにおいて試され ある程度成果をあげていたからであろうか。少なくとも 今日に 後世に伝えられ残る教本は 多くが そういった過程を経ての出版ではなかったろうか。
    • たとえば、Mrs. Longleyだかの教本、これは もともと彼女の教室で カードにして 教材として使いまわしていたもの それの集成という成り立ちのようである。

    さらにそれに先立つ期間においては、出版を考えず、スクールの秘伝として 伝授されていたのかもしれない。

さらに 私の勝手な推測ながら (橋下市長代議士の大先輩:) 一ダースの旦那:Gilbrethが(トップ・タイプライター?) トップ・タイピスト養成に関与したことも いくらか教授法の底上げに寄与したのではないか? ブランク鍵盤の導入や そらでの配置暗記法の有効性には いくらか疑問が残るものの。Mr.(& Mrs. & daughters & sons of) Gilbreth(s)が関与しだすのは1912年ごろ? 1916年には明らかに関与してたっけかな、。

そんなこんなで 教授法も進展して タッチタイプが万人に獲得可能との認識が共有されてくるようになってきたのもあるからではないか、 これに不向きであろう大文字/小文字両方のキーを備えるダブル鍵盤機の発売も1920年代初頭ごろを最後に打ち切りになっていくし、。 まあ部品点数もダブルに近かろうし、コストとかもろもろの問題もあろうが、。 Not Completed.

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身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人

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