raycyの日記: 1888年12月に至っても 二本指タイピングに肩入れしていたっぽいRemington。タッチタイプへの本格対応は1894,96年ごろから? 2
たしか1887年ころのことだったと思う。 速記関連誌上で、タイピングに最適な運指本数についての さまざまな意見表明がされていた。
- Cosmopolitan Shorthander (以下CSと略記)によれば Remingtonが何らかの入力法の改善に取り組むべく人を雇い入れたとか 報じられたらしい。 これを二本指入力より多いゆびかず指本数のタイピング法への取り組み と推察したようであった。そしてこの取り組みを批判する文脈で 2本指が高速ベスト入力 指本数であり 三本指は 効果が薄いし むしろ逆効果さえ懸念される といったような論調であった。
- これは 薬指は awkwardだか コントロールが利きづらいから 二本指がいいんだと主張する McBride(使用マシンはCaligraph)だか と近しい見解である。
なお、Caligraphでのスペースバー(文字鍵盤の左右の外側両サイドにある)の操作を McBrideは 小指の付け根あたりの手の脇腹で行うように 想定しているようであった。特段 指をスペースバー担当に充てていない そういう運指法のようであった。- このMcBrideの見解は Mrs. Barnesの教本2種(1890)Remington用,Caligraph用それぞれに引かれてあったもの。、、のはず、、たしか、、
- これは 薬指は awkwardだか コントロールが利きづらいから 二本指がいいんだと主張する McBride(使用マシンはCaligraph)だか と近しい見解である。
- これに対し The mentor 誌だかは、反対の論を張り、三本指目を取りやめよとのCSの論調に反対して、むしろ四本目の指 小指まで追加すべき との提案をおこなった。
- これらを受けて Pitman's Journal of Commercial Educationだかは Mentorのエディターの意見に同調 支持を表明していた。
そんななか、
1888年7月のMcGurrin vs. Traub は行われた。
McGurrin流の
- (後に本人から詳細が徐々に明かされていくこととなる 左の親指を除く 他の9指による
- このうち右手親指は スペースバー操作に充てる
、かつ、)
鍵盤・手元に目をやることなく打てる タッチタイピングを大勢の前で披露し 原稿に注視したまま打ち続けられるこの打鍵法が 広く報道されることなったのである。
その一月後、1888年8月のコンテストだかでは、
Miss. Orrに McGurrinは 打鍵速度において破れ2位となった。
人差し指+中指 二本指タイピストの このMiss. Orrは、Remingtonの親会社 Wyckoff, Seamans & Benedictと契約を結んで広告に 似顔絵つきで登場することとなった。
- McGurrinも 名だけは載ったが これは契約 どうだったのかな、。
1888年12月に至っても Remingtonは 二本指タイピングに肩入れしていたっぽい、
金メダルはオール女史が、銀メダルはマッガリンが獲得しました。タッチタイピストのマッガリンが、2本指タイピストのオール女史に敗退したのです。
レミントンの親会社であるウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社は、オール女史と契約を結んで、レミントン・タイプライターの広告を打ち始めました。
ウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社の広告(『Scribner’s Magazine』1888年12月号)
安岡孝一: タイプライターに魅せられた男たち・第16回: フランク・エドワード・マッガリン(7), 三省堂ワードワイズ・ウェブ (2011年12月8日).
Sanseido Word-Wise Web [三省堂辞書サイト] » フランク・エドワード・マッガリン(6):
そのまえに、 ほんとに Remingtonが Caligraphに勝つ気があるのなら、シフトキーの左右設置や ロック式でなく 押してる間だけ方式に 早く取り組むべきであったとも思えるのだが、
- 押してる間だけシフト方式だと、少なくとも 左右両方の手の 打鍵への同時協調参加が 必要になりそうかな?
だか、 Miss. Orrの存在が それを躊躇させたか。不要かも と考えたか?
- No. 5の機構が No. 2 と どう同じなのか違っていないか もうすこし確認しておく必要があろうか
いったい タッチタイピングではない サイトメソッドの場合、文字打鍵側の手の反対側の空いた手の小指で、 打鍵側とは左右反対側にあるシフトキーを操作することが 確実にできるだろうか?小指が シフトキーを確実に 捉えることができるであろうか?
文字キーを打鍵しない空いた左右反対側の手の小指で シフト操作をおこなうことは タッチタイピングであればこそ 確実に行えることではなかろうか?いずれにせよ その際 シフトキー操作は サイトsightせずに行う必要が 高速タイピングでならば 出てこようからである。でもそうすると サイトメソッドでならば 目線が 打鍵キーとその左右反対側のシフトキーとでは かなり離れてしまう。
左右の 押してる間だけシフトキーは タッチタイピストにこそ 有利となる 改善であったのではないか と 推察する。
Remington Standard Typewriter の機構の そのような改善は 1894年から 1896年にかけて 行われたことのように思われる。
No. 7(1896年より)では、今と同じようなシフトキー機能が 左右両側の下部に 今と同じようにあるようだ。あるいは No. 6あたりから? No. 6で 当初は右上にあったシフトキーが 後に右下に下りてきた?
こんな感じかな?【No.6 前期 1894年】
I""""""""""""""""""""I [大文字シフト]
I キーボード I ↓
I 文字数字記号部分 I ↓
[大文字シフト] I____________________I[大文字シフト]
【No.7 および後期のNo.6 1896年ごろから?】
次の点は もう少し確認が必要
- シフトキーが ロック解除方式ではなくなるのは いつからだろうか? No. 5から?No. 6? No. 7?
- 同じことだが、 シフトキーが 押してる間だけ方式 となるのは いつからだろうか?
場合によっては McGurrinなど タッチタイピストの登場が Remington, Wyckoffらを動かして 現在のようなShiftキーの配置や機構に 改善させた のかもしれない、。
”改善”と書いたが このときに μTRONキーボード状にキーを再配置して 親指シフト等 シフトキー位置を小指担当以外に持ってくる措置も ありえたかもしれない とも 思わないでもない。 ないか?
- 英語ならば シフトの要は 文頭出現が まず第一か、、ならば 小指担当でも そう悪くはないのかな? それを シフトを 五十音の日本語で使おうとするから やれ親指だ小指がどうの ということになっているのか どうなのか、、
Not Completed.
大変興味深く拝読しております。 (スコア:0)
今回のは一瞬、
1887年にスラドが存在し、当時の記事にリンクを貼ったのかと思ってしまいました。