route127の日記: 形而上学映画と黒人俳優 1
先週の金曜の夜中(というよりは土曜未明)にソラリスが放送されてた。
さては、明日公開のマネーモンスターに先だってジョージ・クルーニー映画を持ってきたな?と思ったら明日は明日で21時からゼロ・グラビティを放送するらしい。
サンドラ・ブロックというと自分の中での代表作が未だに ザ・インターネットなのも結局ゼロ・グラビティを見に行ってないからだ。
ゼロ・グラビティもジョージ・クルーニー出演映画だが表向きは宇宙ウィークということになっているらしい。
しかしソラリスって宇宙映画なのか?
観たのは今回が初めてだけど、公開当時(00年代初頭?)に重力描写なんかがSF映画として批判されてた覚えがある。
確かに宇宙ステーションが舞台ではあるけれどもこれを見ていてあまりSF映画だとは思えなかったが、終盤で反ヒッグス粒子とか出てくるのでやっぱりSF映画なのかも。
映画を見ながら同じく深夜に見たクライトン原作のスフィアを思い出していた。
ソラリスもスフィアもどちらも考えた事がなぜか実体化してしまうみたいな話でスフィアでは数学者のサミュエル・L・ジャクソンが海底2万マイルの続きが恐くて読めないせいで先のページが真っ白だったり、ソラリスでは自殺した妻が帰ってきたりしていた。
死人が甦るというと最近の邦画にやたら多い気がするけど、死者が復活することで表現したい内容は邦画とは別物のような気はする。
ソラリスは東アジア的現世肯定的ではなくてギリシャ・ローマ的価値観の延長線上にある西欧の価値観、一神教的世界観における人間存在の根本とは何かみたいなみたいな気がするが…気張り過ぎか?
ラストシーンでクルーニーが自分の指の傷を気にするところとかディカプリオ主演のインセプションのラストに通ずるところもあるし、ああいう今いる世界を疑う態度というのはあまり東アジア的な発想ではない気がする。
邯鄲の夢みたいな話はあってもそこで自分の存在に不安を覚えたりはしてない印象があるし。
そういえば本邦のMMORPGものラノベアニメでもそういった展開はあまりなじみがないように思う。
ゼーガペインでも最終的にはリザレクションシステムという解決策が用意されている訳だし。
ところでクルーニーの自殺したはずの妻に反ヒッグス粒子を照射しようとする女性科学者が黒人だった。
かなり固い性格な感じの役柄だったけど、高学歴黒人のステレオタイプみたいなものがあるんだろうか。
ERのベントン先生(包茎)とか…と思ったけどあんまり思い浮かばなかった。
BS11のドラマ・ラスベガスにもMIT卒で駐車場係してる黒人とかいたし、創作物の黒人はHIPHOP映画でなければ高学歴設定が多いような気はする。
なんか黒人の権利団体とかがそういう統計を取っていそうだ。
最近だとボーダーラインもヒロインの相棒レジーが法学の学位を持つイラク帰還兵だったか。
エディ・マーフィー主演ならテーゼに当てはまらない (スコア:1)
ドリトル先生は高学歴でも48時間は違っていたような。