route127の日記: 安物の服を着てる(^o^) 4
運転しながらFM点けたら放送大学のリスク社会のライフデザイン('14)第10回「男性と家族」だった。
そのなかで結婚相談所の話になり、その中で服装を整えるだけで態度に自信が出て印象もアップみたいな話があった。
正直なところゲストのノリが恋愛至上主義な感じがして聞いていて反感はあるのだが、紹介される事実ひとつひとつについてはそれほど違和感はない。
結婚に限らず服装は重要だとは思う。
思うのだが。
仕事場だと作業着だし、普段でもホームセンターで買ってきたシャツとか抵抗なく着れてしまうので、今の季節身に着けてる衣服と靴の買値を合算しても2~3万位なもんなんだよな。
ひところ副首相が35万のスーツ着てるってんで話題になってたけど、フルオーダーしたらそんなもんだろうし、一度着てみたいものではある。
そういえばテレ東の家、ついて行ってイイですか?に卒業したての上智大生出てたが、政治家志望でフルオーダーの25万のスーツ着てると言っていたのを見たことがある。
因みに卒論はプリキュアで、尊敬する渡邊の人に近付くべくでワタミに入社するみたいな話をしていた(実況スレ)。
そういえばなんかIT屋さんで1週間分の着回しで私服13万かけてるみたいな話はあったがなんというかいまいち関心が持てないんだよな。
多分「服買っておいで」と10万円渡されてもなんか新しいパソコンとか周辺機器とか買ってしまいそうだというのはあるが、それは服を選ぶことや買うことに楽しみを見いだせていないことの一面なのかもしれない。
単に金がないというのもあるけど、(世間からみて)くだらんものを買う金はあるわけで、結局順位づけの問題なのかもしれない。
ところで最近オカルト誌読んでたらに技術士の年収を1500万にしようとかいう話が載っていた。
その3.1項、「人間みてくれ第一」に
専門家として知的サービスを生業とする技術士は30万円のスーツ,3万円のシャツ,3万円のネクタイ,6万円の靴を身に付けるべきである。(中略)見栄を張るということではなく相手に対しての敬意の表明である。
とあった。
最後の敬意云々は、ついつい「高い服さえ着てりゃあいいのか」みたいな口ごたえを私もしてしまいがちなところに対して釘を刺されてる気がする。
まず形から入るのも大切、程度には思う。
ただ、こういうこと書いてる人間は自分とは生きてる世界が違うというだけのことなのかもしれない。
実際そこまで簡単に割り切れもしないのではあるが。
しかし逆説的に、現場相手に頭を下げるような仕事するなら(30万円のスーツによって示された敬意が通じないという意味で)薄汚れた作業服で十分ということなのかも知れなくはある。
世は未だメタルカラーの時代か。
高いスーツ (スコア:1)
高いスーツは生地が良いらしくて、吊るしの数倍長持ちしたと母が言ってましたので、
場合によっては高いスーツの方がコスパが良くなる可能性もあるかもしれません。
あとはオーダーのシャツは着やすくて肩こりとか疲れとか全然違うとは聞きます。
確かにあまりテロテロのスーツはどうかと思う反面、
高ければ良いのかよ!と思います。
ブランド物で固めれば年収1500万でも足りなくなりますし、
靴なんて高いから履きやすいとは限りませんしねえ。
正直、TPOに合うことと清潔感があることの方が重要な気がします。
☆大きい羊は美しい☆
お金かけてるなあ (スコア:0)
>今の季節身に着けてる衣服と靴の買値を合算しても2~3万位
全部合わせても5000円でお釣りがくる俺・・・orz
# クールビズでスーツ・ネクタイをしてないから、というのもありますが ^^;;;
Re: (スコア:0)
同じく5000円でおつりが来ますな。
パンツ:しまむらで680円/2枚
シャツ:同980円/2枚
ワイシャツ:同1280円
靴下:980円/5足
ズボン:ワークマン税抜き980円
ベルト:どこかで980円くらい
金かけても仕方ないし……
格差社会の追認 (スコア:0)
「身なりのいい奴に騙されるな」「身なりに金が掛かっていないからといって相手を馬鹿にするな」
という、従来の道徳的視点が正反対にされる時代であるということ。
礼儀としての「最低限の見栄」が必要になるケースは確かにあるが、庶民生活に於いてはせいぜい冠婚葬祭ぐらいのもの。
「見栄の張り合いでインフレが起きることは明白であるから、大衆レベルでまともに付き合うのは馬鹿らしい」
という結論を導き出した結果齎されたのが、成金趣味を蔑み、程々を良しとするという
(実態は貧乏人だらけの)『総中流意識』の社会的浸透ではなかったかと思われる。
「見栄=善」となりつつある現代の『格差社会』に於いて、
高評価を得るための武器として「見栄を張ること」が有用であることはまぎれもない事実であるが、
同時に『格差社会』を肯定し、その構造を盤石化することにつながる。
それを心情的に受け入れられるかどうかは、年齢層および生活環境による差が大きいだろう。