route127の日記: 職場の経済不均衡としての恩着せがましさ(みたいなやつ) 2
受動ケーキ喫食スレ読んでいて、自分も切り分けてフォークまでつけて出されたら断るのが申し訳なくなるな、とか最近の流行で女性職員増えてきてバレンタインがキツいな、とか色々思うところはあった。
人と(一見金銭のやり取りなく)物をやりとりするという行為自体にはどうしても権力が付随してしまうと感じるので声ラジ聞いてても「誰それに服をあげた」という話題が苦手だったりする。
以前「ありがとう」のカツアゲとかブラウニーおばさんの話題を見たが要するに「お節介」とか「恩着せがましい」ということなんだと思う。
その後書店でたまたま立ち読みした所ジョージの世田谷ベースが50号がトコロ辞典特集で見出し語に「恩着せがましい」を見つけて思わず買ってしまった。
恩着せがましい
プレゼントに自分を乗っけて、相手の暮らしに入り込んでいく様。
ちょっとしたプレゼントって、心と心のやりとりなのよ。軽すぎず、重すぎずっていう、素敵な感じにしなくちゃいけない、だから、昔から、何かをプレゼントするときは、相手の負担にならないように「つまらないものですが」って言うんだよ。
物のやり取りだけではなくて挨拶なんかもそうで度々挨拶しないのは常識外れみたいな主張を目にする。
最近も見た。
まあ挨拶の定義問題であって挨拶がIFF代わりの人と雑な挨拶してくれるくらいなら何もない方がいいという人では平行線な気がする。
この場合挨拶しない人の方が挨拶という行為を大事にしているという可能性もあるんだよな。
そういった個人間の敬意不均衡からあいさつ摩擦が生じた状態を集団の側から無理くりルール化しても仕方ない気はする。
先輩を見かけたら、どこにいてもあいさつ。先輩が気付くまであいさつを連呼。
合唱部の先輩と学校で会ったら、毎回歌いながらあいさつをする。
逆にエビ工場の挨拶禁止とかもあるけれどもひとりひとりの個人が大事にされないから挨拶禁止ルールを作ってそれら守らねばならないというのは、挨拶によって強化される権力構造があることの傍証だよな。
挨拶禁止にするんじゃ (スコア:1)
挨拶強制と変わらんやん
バレンタイン問題 (スコア:0)
>最近の流行で女性職員増えてきてバレンタインがキツいな、とか
コレの意味がよくわかんないんだがどゆこと?
チョコにしてもプレゼントしたい人だけがすればよくない?
ウチではもう誰もやってない