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rxk14007の日記: そんな「3X5=15は正解で、5X3=15が不正解」で大丈夫か? 27

日記 by rxk14007

http://kidsnote.com/2010/11/15/35or53/

式を聞かれたときは、式から読み取れる考え方が「指導内容と」合致しているかを聞いているのであって、正しい計算結果が出るように式を立てたかどうかを聞いているのではありません。

そんな指導内容なら、ゴミに捨てたほうがまし。
社会に出れば、ディスクを3本積んだサーバが5台でも、5台のサーバにそれぞれ3本ディスクが搭載されていても、どちらでも計15本で正解。
交換可能法則を教えられない教師こそ願い下げだね。

自分が通っていた中学では、自分が3年生のときに2年生の生徒が自殺する事件があって、そこで校長が言い放ったのが、
「これは自然死です。」という台詞だった。でも自分の担任は教室に戻ってから、「実は自殺だったんだよ」とクラスの皆にこっそり教えてくれた。
その後、自分が卒業して5月になったとき、遺族が訴え出たのか自殺を隠したことが地元の新聞にバレて、社会面のトップを飾る騒ぎになった。

世の中に存在する、使えない教師、上司、政治家など、その他もろもろ所与の条件の中で、どのように自分の能力を伸ばして活用していくかという点で、このブログ主は、いい反面教師と言えるかもしれない。

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【追記】たくさんのコメントをお寄せ下さり、ありがとうございますm(_ _)m。会社の飲み会から帰ったところで、コメントに返事をするのは難しいのですが、一通り読ませていただきました。

この議論は、rxk14007 (9967)によって テキ禁止として作成されたが、今となっては 新たにコメントを付けることはできません。
  • by nemunemu (19747) on 2010年11月16日 9時34分 (#1859429) 日記

    交換可能であるのは数学の話です。これは算数の話。ターゲットは小学生なのですから、混同するべきではないのでは。
    例えば算数では鶴亀算でやる問題も、数学は連立方程式で解きます。
    掛けるという意味、割るという意味を理解しないで進めば、その後の行程で脱落する率が上がってしまうでしょう。

    また社会に出て必要なのは、3x5も5x3も等価であることを知ることよりも、何故3x5をしたのかという本質理解の方が他への応用も含めて重要ではないでしょうか。
    この問題は何故掛けるのかという根本の意味を問うのであり、結果が同じだから良いというのは違うでしょう。
    5x3とした子供が、5(皿) x 3(個/皿) = 15(個)という風に記述していたら、数学的に理解できているので正解で良いでしょうけど。

    • > 交換可能であるのは数学の話です。これは算数の話。ターゲットは小学生なのですから、混同するべきではないのでは。

      そんな算数と数学の理解で大丈夫か?

      http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syokaisetsu/index.htm [mext.go.jp]
      の、「算数(2)第3章~第4章 (PDF:502KB) 」の27ページより引用。

      イ 乗法に関して成り立つ性質
      「内容の取扱い」の(4)で「イについては,乗数が1ずつ増えるときの積の増え方
      や交換法則を取り扱うものとする」と示されているように,ここでは,乗法に関して
      乗数が1増えれば積は被乗数分だけ増えるという性質や,乗法についての交換法則に
      ついて児童が自ら調べるように指導する。

      --
      I'm out of my mind, but feel free to leave a comment.
      親コメント
      • 「答えが12になるところに○をつけましょう」
        というと、3×4、4×3、2×6、6×2の答えに○がつきます。そうすると子どもたちは気づいてくれます。

        「あれ。ひっくり返しても答えが一緒だよ!」

        おめでとう。交換法則の発見です。ただし、一点だけきちんとおさえます。

        びっくり返しても同じなのは答えだね。でも、式の表す意味は変わってくるよね。

        これは算数の問題ではありません。式を正確に記述したり、順序よく考える過程の大事さを教えているんですよ、結果論ではなくてね。

        親コメント
        • こちらの1,2行目が余計でした。算数とか出したのがよくなかったですね。後半だけにすればよかった。

          書いた以上見苦しく言い訳すると(するなと言わないでw)、上で書いたのは授業における単元の名前としての算数であり、数学。
          教祖様が書いているように算数は数学の一部であるというのは理解している。
          敢えて分けて書いた理由は、順番に覚えるべき物だよねというのを伝えたかったから。失敗しましたけどね。

          親コメント
    • 自分の日記でも書かせて頂きましたが、自分で直観的に axb=1xc ≡ a/1=c/b ≡ b/1=c/a ≡ bxa=cx1 に到達しちゃった子供はどうするんですかね。
      「かける数とかけられる数が区別できないのは先生の言っていることを理解していないからだ」という考え方自体が傲慢だと思うのです。
      だって、区別ないんですから。

      レゴブロックは良い教材だったと思います。力学・和・差・比(4ドット=1マス(2x2)=細長いの1つ(1x4))を一気に体で学べますから。

      親コメント
  • by osakanataro (17131) on 2010年11月16日 9時56分 (#1859435) 日記

    さらが 5まい あります。
    1さらに りんごが 2こ、みかんが1こずつ のって います。
    くだものは ぜんぶで 何こ あるでしょう。

    5セットの(2+1)
    (2+1)が5セット

    どっちも同じだよねー

  • 教育指導要領が腐っているのであって、それを教えろと強要されている教諭の罪ではない、と言うところまでは今のところ正しいと思う。
    少なくとも教育指導要領という名の巨大な「マスク」の影に隠れて、その罪は露呈していない。

    唯二の問題点は、
    「じゃぁ、判った。教育指導要領を直そう」
    となったときに、

    1. 四の五の言いだす数学教諭が大量に出ると予測されること
    2. そこを突破して直した場合、教育指導要領通りに教えられない教諭が大量発生しそうなこと

    だろう。交換則を理解していない小学校教諭は多そうだ(多数派だとは言わないが、5%未満とかの「誤差の範囲」では収まらないこと確実だ)。
    交換則は「どういうときに交換できて、どういうときに交換できなくて、それはなぜか」が説明できなくてはいけない。
    # a+b, a*b は交換可能だが、a-b, a/b は交換不可能だが 理由を答えられる 人は少ないのだ。少なくとも「答が違うから」は間違い。

    .

    なお、「算数」は「数学」です。数学の一部。ゆえに「算数を教えているのであって数学ではない」は屁理屈の屁にすらなっていない。却下である。

    --
    fjの教祖様
    • 教育指導要領が腐っているのであって、それを教えろと強要されている教諭の罪ではない、と言うところまでは今のところ正しいと思う。

      教育指導要領にはそこまで腐った記述はexplicitにはなさそうですよ。
      「東京書籍の教師用指導書」なんかの教科書会社刊行物のレベルあたりから怪しく
      なってはきますが、やっぱり基本的に教諭の責任でしょう。

      教える例で、「かけられる数」を左に「かける数」を右に書く用に注意するというのと、
      そうしなかった生徒の答案に×をつけるというのはまったく異なる話でしょう。

      親コメント
  • by yasuchiyo (11756) on 2010年11月16日 12時25分 (#1859544) 日記

    まぁ、立式の考え方を指導するという目的であれば、

    皿が5つあって、一皿に3個ずつリンゴがのっている
     ↓
    単位(3個のった皿)とその「単位」の組数(皿が5つ)
    # 問題文の表記順に惑わされてはいけない
     ↓
    3×5

    で、何ら問題ないと思います。

    ここで、安易に「交換則が成り立つからどっちでも同じだ」などと言うのは間違いですね。
    リンク先さんからの参照先にあるように、例えば5つの皿に3巡してリンゴをのせると解釈して

    単位(一巡当たり5皿)とその「単位」の組数(3巡する)
     ↓
    5×3

    というならわかりますが。

    交換則というのは演算結果が等価になるというだけのことであって、
    「交換」前後の数式が、同じ「意味」を持つことは示しているのではありません。
    物理的な事象を「数学の言葉」で書き表した表現としての数式と
    単なる演算ツールとして見た時の規則や法則とはきちんと区別を付けましょう。

    …って、指導要領とやらにもそのようなことが書いてあるみたいですね。
    これ自体は至極まっとうな内容だと思いますが。
    ただ、リンク先さんの「書いてあるから従うのだ」的なセリフを見て、暗澹たる気持ちになるのはわかります。

    • ここで、安易に「交換則が成り立つからどっちでも同じだ」などと言うのは間違いですね。

      それは「交換則」を理解していない証拠のような発言だな。

      交換則というのは「a*b と b*a が同じ数値になる」という意味 ではない

      交換則というのは「順序を入れ替えた場合に、単位をも含めた一貫性が崩れない演算と、崩れる演算が存在する。この場合は崩れない」という意味だ。一貫性が崩れないからこそ、どちらでもよいのであって、一貫性が崩れる場合は順序を維持しなくてはいけない。では、なぜ掛け算では一貫性が崩れないのか?!

      時速10kmで、2時間走りました。全部で何km走ったのでしょう?

      と、

      2時間同じ速度で走りました。速度は時速10kmです。全部で何km走ったのでしょう?

      小学校1年生の国語レベルで同じ事を言っている。同じ事を言っているからこそ、順序を入れ替えても問題ない事が判る。そこで上の文章と下の文章で正しい式が変わる、というのは 小学校1年生の国語レベルでおかしい。上の文章と下の文章で、は 10*2 でも 2*10 でも等しく○でなくてはいけない。

      だから、 a*b と b*a で○×が変化するというのはおかしいのだ。

      わかるだろうか? 小学生が掛け算を教わるとき、もうすでに彼らは意味の一貫性とか、同じことを別の言い方で言う方法とかを教わっているのだ。
      異なる表現であっても、意味が同じであれば、同じ式になる
      と言うことこそが算数や数学の最も重要なポイントだ。同じ式になる というのは 式が1つに定まると言う意味ではない。国語において表現が多彩に存在するように、式は1つである必要性は無い。

      そして、その複数ありえる式の中で、どの式を答えようとも、それは正しい。それは正しくなくてはいけない。国語においてどの表現をとろうとも意味が合致していれば正しいのと同様に。小学1年生が国語で教わったのと同様に。そうでなくては全教科を通じての、全学年を通じての一貫性に破綻をきたす

      .

        a*b と b*a で○×が変化するというのはおかしい。全学年、全教科を通じての一貫性を貫くためには、両方とも○でなくてはいけないのだ。

      交換則を認めることが「安易だ」と考えるのは、国語力の明確なる欠落以外の何者でもない。
      そういう事を言う奴に、私が必ず言っている台詞がある:
       「幼稚園からやり直せ」

      --
      fjの教祖様
      親コメント
      • by gomhan (41196) on 2010年11月16日 14時56分 (#1859702)

        「ひと皿あたりA個のリンゴがB皿分あると全部でC個」
        は文章.文章は具体的事象を記述したもので,意味を持つ.文章においてAとBは非可換.

        「A × B = C」
        は数式.数式は文章を抽象化したもので,計算の方法・法則のみを示し,意味はない.自然数の乗算の数式において,AとBは可換.

        「A(個/皿) × B(皿) = C(個)」
        は数式.ただし単位を付された個々の数値は意味を持つ.自然数の乗算の数式なので,A(個/皿) と B(皿) は可換.ただしAとBは可換ではない.

        よって,意味の理解を問う場合は文章(または少なくとも,単位を付した数の数式)を回答させるべきなのです.
        議論の対象となっているテスト問題は,数式を回答させる以上は計算法を問う問題であると捉えられても仕方ない.
        当然,計算法においては A×B と B×A のどちらを使用しても差し支えありませんよね.

        「初等教育における乗算の教育の最初の段階に限り, A × B = C という数式は “ひとつあたりAのものがBだけあると全部でC ” という意味を持つ文章とみなす」
        というような主張は,一時的な定義で数式の意義を誤解させる可能性があり,容認できません.

        # なお,非可換な乗算の存在を知るのは,可換な乗算に十分慣れ親しんでからでもでも遅くはないと思う.
        # それらの非可換性は純粋に計算法によって生じるもので,意味によって生じるものではないので.

        親コメント
        • 「ひと皿あたりA個のリンゴがB皿分あると全部でC個」
          は文章.文章は具体的事象を記述したもので,意味を持つ.文章においてAとBは非可換.

          その文章は、
          「皿がB皿あり、1つの皿にはA個のりんごが載っている。全部でC個のりんごがある」
          と同じ意味だろうが。A と B は可換だ。

          --
          fjの教祖様
          親コメント
          • by gomhan (41196) on 2010年11月16日 16時41分 (#1859768)

            > A と B は可換だ。

            いいえ.

            「ひと皿あたりA個のリンゴがB皿分あると全部でC個」と
            「ひと皿あたりB個のリンゴがA皿分あると全部でC個」は違う意味を持つ文章です.

            「ひと皿あたりA個」と「B皿分」は可換ですが,単なるAとBそのものは(意味的に)可換ではありません.
            そのことを明確にするために3つ目の例として「単位付きの数式」を挙げました.
            単位付きの数を単位ごと交換することはできますが,単位を差し置いて数だけ交換することはできません.

            要は,意味を持つ数値には単位を付せ,単位の無い数式に意味の存在を求めるな,と言いたかったのですが,
            小学2~3年生に「(個/皿)」という洗練された記法を使えというのは無茶だと思ったので,文章で答えさせればいいという主張をした次第です.

            親コメント
            • 「3つの皿があります。このときにりんごの個数が知りたい。1つの皿にはりんごは5個づつ載っています」

              gomhan さんの言うような構文解釈的な方法では、この文章は式にできない。
              # 代数を使えば 3 = x / 5 とできる。しかし小学生は代数を習わないのだ。

              「構文解析的に文章から式を組み立てる」のでは、式を成立させられなくなる場合がある。しかし、国語レベルで順序を入れ替えてしまえば、代数を使わずに式を組み立てられるようになる。そのためには要素同士の順序性に拘泥した式の立て方を教えてはいけないのだ。

              意味論的に同じ文章を、違うものとして扱う事に間違いの根源がある。

              --
              fjの教祖様
              親コメント
              • > 意味論的に同じ文章を、違うものとして扱う事に間違いの根源がある。

                そうは主張してないのですよ.というか,私も「構文解析的に文章から式を組み立てる」ことに反対の立場です.

                私の主張は,
                「本来意味を持たない等価な数式を,意味論的に違うものとして扱う事に間違いの根源がある」
                です.

                上で挙げた例なら,
                (1)「ひと皿あたりA個のリンゴがB皿分あると全部でC個」
                (2)「B皿分の,ひと皿あたりA個のリンゴがあると全部でC個」
                は同じ意味を持つ文章です.

                ただし,このことと,自然数の乗算の交換法則
                (ⅰ) A × B = C
                (ⅱ) B × A = C
                は対応していません

                (1)(2)は意味論的な等価性で,(ⅰ)(ⅱ)は数論的な等価性だからです.

                ですから,
                (1)の計算法として(ⅰ)(ⅱ)のどちらを使ってもいいし,
                (2)の計算法として(ⅰ)(ⅱ)のどちらを使ってもいいのです.

                ゆえに,
                「(ⅰ)は(1)の意味を持ち,(ⅱ)は(2)の意味を持つが,(1)と(2)が意味論的に等価なので(ⅰ)と(ⅱ)も意味論的に等価である」
                という主張も,やはり容認できません.

                ましてや,
                (1')「ひと皿あたりB個のリンゴがA皿分あると全部でC個」
                を持ち出して,
                「(1)と(1')が意味論的に非等価なので,(1)の意味を持つ(ⅰ)と,(1')の意味を持つ(ⅱ)は意味論的に非等価である」
                などとする主張に至っては何をかいわんや,です.

                親コメント
        • 何か、ものすごく周回遅れになってしまいましたが…

          「初等教育における乗算の教育の最初の段階に限り, A × B = C という数式は “ひとつあたりAのものがBだけあると全部でC ” という意味を持つ文章とみなす」
          というような主張は,一時的な定義で数式の意義を誤解させる可能性があり,容認できません.

          そうではなくて、
          「初等教育における乗算の教育の最初の段階に限り,“ひとつあたりAのものがBだけあると全部でC ” という文章を数式化する時は、 A × B = C という表記に限定する」
          ということだと思います。自然数における乗法の定義が、
           A × B = A + A + … + A (AをB個分加えた数)
          となっている以上、
          「一皿当たり3個」を単位としてそれが5皿あるということを足し算で表現すれば、
           3+3+3+3+3
          ですから、これをかけ算に直せば
           3×5
          になります。実際には、これを
           5×3
          と表記しても誤りではないとしても、文章から数式を起こす手順を学ぶ過程において、
           3+3+3+3+3

           5+5+5
          を明確に弁別させるための便法としては問題ないと思います。

          というか、純粋な疑問として、
          M×NとN×Mが全く同じ意味だとするなら、なぜ演算子の前の数に「被乗数」、後の数に「乗数」という名前が付いてるんでしょう。

          親コメント
          • そもそも

            文章から数式を起こす手順を学ぶ過程において、
             3+3+3+3+3

             5+5+5
            を明確に弁別

            することができない問題です。
            状況を読み取れば、おはじきを
            ●●●
            ●●●
            ●●●
            ●●●
            ●●●
            と並べてあるときに、その数を問うのと同等の問題。
            これは、指導要領解説でも3x5または5x3として認められているし、
            当然、5+5+5だろうと、3+3+3+3+3だろうと正解で、
            所要時間の差が出るだけ。
            3+5とか、5-3とか書いたらバツをつけたらよろしいという問題でしょう。
            説明+答えを要求すればいいけど、作文力が足りない子と、
            採点の手間が増えるということはあるでしょう。

            ゆとりは、子供のresponseをちゃんと受け取るための時間として必要
            なんだが、そこには使われなかったようだ。30人以上の子供を同時に
            見るっていうのは大変そうとは思う。でも、間違ったところにますます
            力を入れるのはやめてほしいよね。

            親コメント
            •  3+3+3+3+3

               5+5+5明確に弁別

              することができない問題です。

              確かに、元の問題
               「皿が5皿ある。1つのお皿に3つずつりんごが載っている。全部でいくつか。」
              を読めば、
               1.「一皿当たり3個」を単位としてそれが5皿ある
              という解釈か、
               2.「皿が5皿」に、3個ずつリンゴをのせていく
              という解釈のいずれも可能です。
              で、1.の解釈に基づいて立式すれば
               3×5
              になり、2.の解釈に基づいて立式すれば
               5×3
              になる、ということは一応私の初めのコメント [srad.jp]にも書いています。
              この2つの意味が違うということには、同意いただけるのでしょうか。

              件の教師としては1.の解釈を想定解としたのでしょう。
              それは、他のコメントに出てきた時速云々と同じく、
               1単位当たり数量×その「単位」の数量
              と見る方が自然だからだと思います。
              いずれにしても、立式についての考え方を書かせるべきだったのでしょうね。

              説明+答えを要求すればいいけど、作文力が足りない子と、
              採点の手間が増えるということはあるでしょう。

              いくら小学校低学年とは言え、この程度の説明をするのに作文力云々はないでしょう。
              採点の手間だって、テンプレで単純にはじけなくなるにしても
              元が単純なかけ算の式ですから、それほどの負荷とも思えません。

              親コメント
              • 1も2も同じ意味であって3×5にしかならないというのが、高級天然無脳(言語解釈器)の答えです。

                一方、もとの問題はその言語解釈器で直接かけざんを生成する必要がなく、 具体的なイメージをもっておはじき計数問題に還元することができるので、 もっと多様な立式が(小学2年生に教えたことになっている材料で)正当に可能です。

                1.の解釈を想定解としたのでしょう。

                3×5を標準解とするのはまったく問題ないんですよ。 正当な別解にバツをつけて平然と居直るというのが問題なところです。

                この程度の説明をするのに作文力云々はないでしょう

                小学2年生の時点でそんなことができた自信はちっとも無いし、 いまバツをつける理由を平然と『説明』しているような先生を 説得できたとは思えないなあ。

                元が単純なかけ算の式ですから、それほどの負荷とも思えません。

                一人で数十人の子供を相手にするというのは想像を絶するので、 そこまでは言えないのでした。

                が、正しいものにバツをつけてさらに説明する仕事を増やし、 算数が嫌いな子が増えて、教える手間がさらに増大するような 愚かなことは止めていただきたいと。

                こんなデメリットしかないことをわざわざやるのは、 それが正しいと思い込んでるからに違いありません。

                親コメント
      • 件の「りんごと皿」問題と比べると、例えがおかしいと思いますが。
        りんごという「かけられる数(個)」と皿という「かける数(皿)」があって、
        単位が(個)になる「答え:りんご総数」を求められているんです。
        個 * 皿 = 個

        しかし、okky氏が書いた例文は速度であり、単位が( km/h * h = km )と、
        ( h * km/h = km )になる問題じゃ「かけられる数」と「かける数」の交換則が成り立つわけです。

        どうしても速度で例文を作るのであれば
        1)時速10kmで、2時間走りました。全部で何km走ったのでしょう?
        2)時速2kmで、10時間走りました。全部で何km走ったのでしょう?
        という例示になりませんか?
        もちろん文章の意味は変わってきます。

        a*b と b*a では「かけられる数」と「かける数」の関係が変わってくるわけです。
        文章題に対しては、意味の一貫性がないので、交換則はなりたたない。
        よって a*b では○、b*a では×になる。
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        • 「1皿に5個のりんごがある」場合の単位は、5個のりんご/1皿。つまり単位は「(りんごの個数)/(皿)」 であって「りんごの個数」じゃないだろうが。

          別の言い方をしよう。強引に「1皿に5個のりんごがある」の単位を「個」にしたいなら、「3皿では全部でいくつのりんごがあるでしょう?」という質問が要求している単位は「個・皿」だ。「個・皿」が正解であって、「個」は答の単位として不適切だ。

          # やはり交換則を理解していない人は、単位を…つまり「国語を」正しく理解していない。

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          fjの教祖様
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          • 別の言い方をしよう。強引に「1皿に5個のりんごがある」の単位を「個」にしたいなら、「3皿では全部でいくつのりんごがあるでしょう?」という質問が要求している単位は「個・皿」だ。「個・皿」が正解であって、「個」は答の単位として不適切だ。

            あの世界では無次元の自然数Nを用いて×Nを行う演算だけが定義されているように見受けられます。
            このため、5個×3 (無次元) -> 15個
            というのでしょう。
            割り算が理解されないと、(個/皿)という単位が作れないのが難しいところか……。

            しかし、中学生以上で数論と戯れるなら
            「自然数Nを用いて×Nを行う演算だけが定義されている」世界のことを考えてもいいけど、
            小中学生の世界では可換なものとして扱うほうが妥当だわな。

            大体、単位をはずしているし、
            まず、素直に長方形に並べる図を考えたら、
            もう順番なんかどうでもいいわけだし、×をつけることができると思っている
            ひとって、考えが足りないんでしょう。

            皿OOOOO
            皿OOOOO
            皿OOOOO

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      • あんたの言うとおりだわ。数学的に単位を考えればどちらも正解。不正解採点は屁理屈。
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  • 交換可能法則を教えられない教師こそ願い下げだね。

    むしろ、「交換可能法則」を教えるために、その前段階として順序を固定した段階が要るんだと思いますよ。
    教える前からなし崩し的に順序を入れ替えたものを正解にしていたら、それこそ教える機会を失う気が。

    • 小学校の算数における「ロピタルの定理」は不要だ。
      小学1年生の国語で、表現の多様性と意味の一貫性について教わっているから。

      「交換則を認めない算数」の最大の問題点は、算数のことしか考えていない方針だから。
      交換則に相当する概念は、実は国語で教わっています。

      「ペンで字を書く」と「字をペンで書く」は同じ意味だと習っているでしょう?
      「ペンで字を書く」だと○で、「字をペンで書く」だと×だ、とは習っていないでしょう?

      算数で突如として、「ペンで字を書く」だと○で、「字をペンで書く」だと×だ、と言われるんですよ。
      しかも挙句に、後で「いや実は同じ意味」などと言われる。

      それは教育指導要領全体の一貫性としておかしい。
      交換則が成り立つ条件と言うのは、実は国語において多用な表現をしても同じ事を述べている場合の条件と実は合致します。
      だから、乗除算まできたら、交換則を前提とした式は全部○で当たり前であるべきなんです。

      #これ以上に教育指導要領がおかしくなるのは、高校の数学…微積分と線形代数の前に、物理でニュートン力学を教えるところだ。

      --
      fjの教祖様
      親コメント
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吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人

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