shua-shuaの日記: ことば
言葉は使ってこそ、というのは本当です。
ずっと真面目に勉強を続けている人よりも、勉強しなくても、仕事で現地に行って使っている人の方が、全然ものになるのですね。仕事で台湾・北京・上海に行ってる知人は、特に勉強をしなくても、台湾訛りで何の不都合もなくなってます。
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言葉は使ってこそ、というのは本当です。
ずっと真面目に勉強を続けている人よりも、勉強しなくても、仕事で現地に行って使っている人の方が、全然ものになるのですね。仕事で台湾・北京・上海に行ってる知人は、特に勉強をしなくても、台湾訛りで何の不都合もなくなってます。
しかし、高見盛はいい。今の大相撲でどうしても注目してしまう男はこの人だ。というかこの人を見るために相撲を見る。独特の個性がいい。あの濃い相撲界でよくこの個性が潰されなかったというのが嬉しい。
言葉の学習は、集中して一つの言語を学習して、それを完璧にして、またはかなりの水準にして、というように進めた方がよいとよく人に言われます。でも自分の性格なのか、同時に何種類かの言語の勉強をしています。すると集中して出来る時間の確保が難しくどうしても進歩がゆっくりになってしまいます。よい点は、飽きることがないのと、興味の対象の幅が大きいので、おもしろいことです。
インターネット上でwebサイトを渡り歩いていて、自分が理解できない文字で書かれたページって、ほんとに残念です。
義務教育で習った英語もすんなりと頭に入って来ません。
でも少し簡体字や繁体字を頭に入れておくと、結構、中国語サイトは雰囲気が分かりますね。
海外に行く機会があまりないと書きましたが、過去を考えると少しはありました。
自分にとって一番大きかったのは、スリランカにODAに行けた事です。私は会社の中に居て、お客さんの顔も見れないような状態で、お客さんが喜んでくれるようなものを作ってます。でも、誰かのためになる、というのが出来るのは嬉しいものです。その国の人に少しでも助けになれば、と思えました。
英語はへたくそながら通じたのはよかったです。でも現地のシンハラ語、タミル語をやっておきたかったと思いました。言葉が出来るとやはり付き合いの深さが違いますから。
多言語の国に公的な立場で行くとなると、言葉も相手に配慮して全部憶えたくなります。でも字が馴染みがなくて難しいと感じました。歯が立ちませんでした。
タミル語はwin2000以後つかえますが、シンハラ語の文字コードはないようですね。技術移転に行って聞いた話では、文字コードを提案しているようでした。
自分個人では海外に行くこともほとんどなく、生きた場としては必要性は低いかも知れません。でも、インターネットの世の中ですから、言語さえ通じれば、世界中の人とコミュニケーションできます。日本語という制限の中での付き合いだけではなくなります。
島国の日本に居て、多言語・多文化・他民族にも付き合っていくことが、大切ではないか、ということを断片的に取り止めもなく書いて行こうと思います。
吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人