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sitosiのコメント: Re:創業者、池田恒雄氏 (スコア 1) 115
たいへん興味深いのですが、是非参考文献をあげて頂けるとありがたい。
う〜ん、申し訳ないですが、恐らくこれらの話は文献にはなってないのではないかなぁ?
ただ、その筋の人だと、「いやこれって常識だから、何を見ろって言われても……」ということに
なったりする可能性もありますが。
そういうことなんですよね。まぁ、上で書いたことは半分位はその筋の間では常識。残りの半分は知ってる者はいないか、ごく限られているかも?
sitosiのコメント: Re:ポケコンジャーナル (スコア 1) 115
を自動挿入するバッチを当て忘れていました。
sitosiのコメント: 創業者、池田恒雄氏 (スコア 3, 興味深い) 115
当時日本では珍しかった(ソ連ではなく!)東欧留学経験者らが帰国後職が無いので、彼らを大量に恒文社の顧問と言う形で迎え、月10万円の顧問料と社会保険、通勤定期を支給していました。顧問は講師や通訳、翻訳で何とか生計を立て、時々会社に顔を出して自分の専門分野に関して手伝えばいいだけでした。定期は会社通勤を名目にしてはいましたが、実は職のない顧問たちがどこかに出かける時に自宅から都心までは交通費が掛らないようにすると言う配慮でした。言わばメセナですね。実際は恒文社の顧問ですが、恒文社には金が無いので形の上ではベースボール・マガジン社の顧問と言うことで実際の顧問料とかはベースボール・マガジン社の方から出していました。池田恒雄会長は若い顧問たちを 2人切りの時には「○○君」と君付けで呼んでいましたが、社外の人間の前では必ず「○○先生」と呼んで彼らの研究者としての名誉を守っておりました。なかなかの親分肌の人物でした。
朝日新聞が大嫌いだった池田氏は『朝日ジャーナル』の向こうを張って保守系の『潮流ジャーナル』を恒文社から発行することを決定。しかし、元々左翼の編集長は創刊号の巻頭論文に大◯健◯郎氏に依頼しようと思い立ち、同氏に玉稿を賜りたいと電話するも、自分は岩波と朝日以外には書かないと言われ電話を切られる。『潮流ジャーナル』は結局売れずに休刊。莫大な赤字を抱えて恒文社は倒産…のはずだったが銀行などの債権者は恒文社を潰しても元手が取れないと、黒字のベースボール・マガジン社の方を倒産させ池田氏から経営権を奪ったものの池田恒雄氏を除いてはベースボール・マガジン社を経営できる者はいないので、池田氏はベースボール・マガジン社の社長に留まった。後に負債を返済後経営権も取り返す。
スポーツ選手のスキャンダルを暴けば売れ行きが伸びるとはわかっていても、スポーツ選手の醜聞は扱わないという池田氏のスポーツ選手に対する仁義に反発して集団退社して立ち上げられたスポーツ誌がタブーの無い『N*m*e*s』。
基本、例外はあるが、多くの社員が母校の早稲田卒業生か生まれ故郷の新潟県北魚沼郡小出町出身者。
ソ連・東欧圏との交流では恒文社の池田恒雄社長と東◯大学の松◯総長が競っており、池田氏がハバロフスクだったかの野球チームにバットやミットの野球用具一式を日ソ友好のために寄付したと言うニュースが流れると、松◯氏は対抗してモスクワに野球場を寄付。 2人とも勲章は大好きだったのですが、この競争では松◯氏は法人経由の寄付だが池田氏は額は少ないが自腹を切っての寄付だと言うので池田氏が勲章をもらったらしい。
1984年に三崎町に新本社を新築したものの出版不況で2016年に三崎町の本社ビルを売却。
自分はスポーツは全く興味はないが、それでもスポーツ専門出版社のベースボール・マガジン社の衰退と東欧専門とも言っていい恒文社の消滅(2016年にベースボール・マガジン社に吸収合併)は寂しい。ある意味出版界の巨星であった池田恒雄氏のご冥福をお祈りすると共に氏が産み育てたベースボール・マガジン社の存続も切に祈念するところです。
sitosiのコメント: Re:天文雑誌 (スコア 1) 115
sitosiのコメント: Re:ポケコンジャーナル (スコア 0) 115
sitosiのコメント: Re:「:」ってなんて読むんだっけと (スコア 1) 82
「:」ってなんて読むんだっけと
パンティの画像が出てくる
ホントだ😅!
sitosiのコメント: Re:日付限定で検索しても (スコア 3, 参考になる) 82
例えばモルドバ関係を探してるときにルーマニアの記事が出てきたり。
実はモルドヴァはルーマニアの方が本家本元なのです。現在のルーマニアは(ドラキュラのモデルとなったヴラド・ツェペシュが君主だった)旧ワラキア公国(現在のルーマニア南部。ムンテニア地方とオルテニア地方から構成される)と旧モルドヴァ公国(現在のルーマニア東部)と1920年にハンガリーから奪ったトランシルヴァニア地方(現在のルーマニア西部で、現在のルーマニアの領土のほぼ半分弱)から構成されています。(他にもブルガリアから奪ったドブルジャ地方やオーストリア帝国から奪った南ブコヴィナ地方等もありますが…。)
ルーマニアは元々1859年にワラキア公国とモルドヴァ公国が合邦してルーマニア公国となり、それまでワラキア公国の主要民族だったムンテニア人とオルテニア人とモルドヴァ公国のモルドヴァ人が新たにルーマニア人を名乗るようになったのでした。(ルーマニア人がかつてのダキア人とローマ人の混血から誕生したというダキア=ローマ史観はフィクションです。ワラキア人やモルドヴァ人が世界史に初めて登場するのは14世紀になってからです。)
モルドヴァ公国の東北部分のベッサラビア(つまり東北モルドヴァ)が1940年にソ連に併合され、ソ連は東北モルドヴァを「モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国」と命名したのでした。なのでソ連が崩壊してモルダヴィアが独立するまでは、元々のモルドヴァ本土(旧公国、現在は地方名)がモルドヴァで、ソ連領はモルダヴィアと区別されていたのですが、モルダヴィアが独立し、公用語をルーマニア語のみにして、新たにルーマニア語でモルドヴァ共和国(ベッサラビア地方)を名乗るようになったので話がややこしくなってしまっているのです。
我々、あの地域の研究者にとっては「モルドヴァ」と言ったらルーマニアのモルドヴァ地方で、モルドヴァ共和国は「ベッサラビア」です。ところがベッサラビアが国名を「モルドヴァ共和国」としてしまったから話がややこしくなってしまったのです。先日 Wikipedia を見てのけ反りました。誰の仕業か知りませんが、本来のモルドヴァ公国と現在のモルドヴァ地方が「モルダヴィア」にされてしまっているのです。そして旧モルダヴィアがモルドヴァになっていまっている。しかし、本来のルーマニアのモルドヴァがモルダヴィアと呼ばれていたことは一度もありません。モルドヴァ共和国の現在の国名を尊重するならば、項目名を「モルドヴァ(共和国)」のようにし、旧モルドヴァ公国は「モルダヴィア公国」から「モルドヴァ公国」に戻し、本来の歴史的モルドヴァ本土は「モルドヴァ(地方)」とすべきだと思います。
実はモルドヴァ共和国は独立回復後は本土復帰、すなわちルーマニアと合邦して元に戻る気満々で国旗もルーマニア国旗に国章を付けたものにし、通貨もルーマニアと同じレイと改称しました。しかし、モルドヴァ共和国の大統領や首相たちはルーマニアに本土復帰したら、自分らは政治的権力を失い、ただの人になってしまうということに気付き、本土復帰を中止し、自分らはルーマニア人じゃない、モルドヴァ人だ、国の公用語はルーマニア語じゃない、モルドヴァ語だと主張し始めたのでした。尤もさすがにルーマニア語と全く同じ言葉をモルドヴァ語と呼ぶのには無理があるので、言語名だけは2013年にルーマニア語に戻しました。
ロシア・ウクライナ戦争が始まって国内のロシア人たちが勝手に沿ドニエストル共和国の独立宣言を出しているため、ロシア軍の軍事侵攻の危険が囁かれており、今は「こんなことならさっさと NATO 加盟国のルーマニアに本土復帰しておくんだった」と後悔しているかもしれませんね。
sitosiのコメント: 検索キーワードを勝手に日本語に翻訳して検索するな! (スコア 2) 82
sitosiのコメント: Re:Amazonの検索 (スコア 1) 82
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sitosiのコメント: Re:欧州では、船は女性名詞だから (スコア 1) 116
欧州では、船は女性名詞だから船名も女性名にするものだと思ってた
古典ギリシア語の ναῦς (naûs) [nâu̯s]、古典ラテン語の nāvis [ˈnäːu̯ɪs̠] や、イタリア語の nave [ˈna.ve] は確かに女性名詞ですが、フランス語の navire [na.viʁ] は男性名詞、ドイツ語の Schiff [ˈʃɪf] やロシア語の су́дно (súdno) [ˈsudnə] は中性名詞です。英語の ship [ˈʃɪp] の性は消滅してしまっています (she で受けますが)。ハンガリー語の hajó [ˈhɒjo ː] やフィンランド語の laiva [ˈlɑi̯ʋɑ] い至っては、そもそも言語に文法的な性そのものが存在しません(存在したことがありません)
と言うわけで「欧州では、船は女性名詞だから」ということは言えません。