snowyの日記: 一部のACへ 4
日記 by
snowy
コメントに付けるのはどうかと思ったので、日記にさらっと書く。もしかしたら消すかも。あるいは書き直すかも。
一部のACへ
誤植の指摘をするのにコメントを使うな。他人の時間を下らないコメントで取るな。おふとぴだと分かっているなら、なおさらだ。メールを使え。僕はそうしている。
編集方針に文句があるなら、せめてIDを取れ。取ってから主張しろ。内容さえ正しければ、匿名で何を書いても構わないと思うのは、思い上がりだ。思いやりがないとは思わないか?
みんなそれぞれ要望がある。だが、それら全てを処理するほど編集者は暇じゃないし、見えない人間からのクレームを処理するのは、それだけで精神的に疲れる。
IDを取るのは、ACより格を上げるからではない。それ自体が、ここへの貢献であり、ここをよくしようと思っているという意思表示の現れだからだ。編集者の立場を考えろ。匿名で要望を突きつけられるより、IDを持った人間から希望を言われた方が、ずっと気が楽だし、直接の反応が聞ける。励みにもなる。君にはこうしたことへつながるような経験が無いのか?
それが分からないなら、どこかの匿名掲示板へ帰れ。
一部のIDもちから (スコア:1)
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Re:一部のIDもちから (スコア:1)
確かに全ての指摘がコメントで行われるのはオープンであり、修正の痕跡がどこかに残るのは、「存在しなくなったものを想像する」には非常に重要な事です。スタンスとしては、僕もそう考えています。
しかし、実運用上はどうでしょうか? 以前編集者(Oliver氏)の日記にも書かれていましたが、記事に付いたコメントはほとんど読まないそうです。活発にコメントを書いていらっしゃる(つまりコメントを読んでいる)編集者の方もいらっしゃいますが、もし、訂正依頼や一般的な要望(最近はページのレイアウトやスラッシュドットのシステムへの要望が記事のコメントに書かれているのすら見ます)を全てコメントで受け付けるようになると、編集者は常にコメントをチェックしなくてはなりません。誤植程度であれば、ごく初期のコメントのチェックで済むかも知れませんが、それでも、積み重なれば大きな負担です。裏側の事情を察すれば、誤植を見逃すのも、それだけ編集者が忙しいという事かも知れません。誤植が重なるのも、それを恐れて掲載頻度が低調になるより、指摘を受ける可能性を考えつつ、時間と手間の許す限り採用している、と言う事もあるかもしれません。
オープンで、かつ全ての記録が残っているのは、オンラインコミュニティでは原則であり、かつ最も重要な事だと思っていますが、金銭によってではなく、参加者(主に編集者ですが読者の協力も含むと思います)のモチベーションによって運営されている事を考えると、「長続きする」運用上の工夫は必要ではないでしょうか?
微妙な所なんですけど。
Re:一部のIDもちから (スコア:1)
snowyさんのコメントに対して(元記事ではなく)は、限りなく同意です。運用上の工夫が必要という点に関しては、最近よく記事中や、編集者日記コメントなどへ張り付いていますが、本来sf.jpでリクエストすべきだと感じています(え、あそこはslashcodeの問題だけで、編集方針は違うって?メールで送れって?そうかもしれません)。
丁度、現在進行中の記事で似たような話題が進行していますが(それが日記の動機なのでしょうが)、読みたい人が読めばよく、読んでしまったことで、「犬のうんこ踏んじまったじゃねぇか!」と騒ぐのは問題が逆だと思います。編集者がコメントを読んでいない「かも」しれない件も同値です。ちょっとうるさい位に字句訂正が入っても、1年後に記事まるごとデータベースのような形でサルベージするとしたら、存在することは正義だと感じます。それを見たい見たくないという点では、(評語の問題はありますが)「余計なもの,-1」で処理されていてもかまいませんが。ある意味、公設編集者だけでなく、/.Jの記事をブラッシュアップしていこうという、私設編集者が存在すると考えるぐらいでいいのではないでしょうか?
すみません、せっかくコメントに反応いただいたので、返事のようなものをつけたくなりました。実はないかもしれませんが、最初のコメントの理由付けとして、私の恥を記録させていただきます。
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Re:一部のIDもちから (スコア:1)
更に意見を述べて頂いてありがとうございます。
確かに、sf.jpへ行く努力をしていない人が多いかもしれません。と言うより、こちらにコメントを付ける方が気楽で手軽だからでしょう。
誤植のコメントへの考えは確かに考え方としては同意できますが、(ここでもやはり実際上の問題にしてしまって恐縮ですが)例えば、誤植のコメントで始まったスレッドが、別の興味深い内容になったりする事があります。そのため、そのようなスレッドを、単に誤植だけの話題として読まないと言うわけにもいきません(別に、全てのスレッドを追っていると言う意味ではないです)。しかし、実際読んでみると、下らない掛け合いだけのこともあります(よくあるパターンが、「その程度で騒ぐな」「だって誤解を招くでしょ?」の言い合いです。他には、ただふざけているだけだったり)。
誤植の指摘ですらコメント(あるいはスレッド)として成り立つのは、コミュニティがオープンである事の証左ですが(それは初めて訪れた人にも好印象となると思います)、もしかしたら、それが、指摘した当人の意図しない中で、全体の議論の質を下げているかもしれません。語弊のある言い方で恐縮ですが、本旨に関係のないコメントが付く事で、他の人が意識的に、あるいは無意識的に、「レベル的に」似たようなコメントを書きやすくしてしまうと言う事です。
記事に本質的に関係ある内容についてだけ意見を交わしたいと思っている人には、それらがただ雰囲気を壊しているだけに映るのではないでしょうか。それを指摘してここを離れると宣言したコメントを読んだ事もあります。門外漢を受け付けないのはもちろん論外ですが、雰囲気によって展開される議論の内容と質は大きく違ってくると思うのです。
誤植の訂正の件に限って言えば、指摘は原則的にメールだけで受け付けて、訂正した記事の最後に修正記録を付記するのがスマートなんじゃないかな、と思っています(むしろその方が「履歴」と言う明確な形を取っていますし)。