taggaの日記: 立場が変われば展開変わる 1
自分が展開している数学が唯一のものという人たちって何なの?
次の3タイプの式がある。
- 3 × 2 = 6.
- 3m × 2 = 6m.
- 3m/s × 2s = 6m.
日数教の立場は、(1)と(2) が算数・数学の式で、(3) は (2) にすぎないというもの。
;; この人たちが悪辣なのは、(2) でも単位が入る場所が決まっているから (1) と同じように書いていること。 これが混乱をまねいている。 あと、上では〈.〉を加えたけど、つけさせてくれない
この立場は数学としては19世紀 (さらに20世紀前半) のふつうのもの。だから、高木貞治もそういう教科書を書いている。
(1) は R×R→R なので可換。
(2) は (R×{単位})×R→R×{単位} で、逆順はそもそも未定義なので可換ではありえない。
(3) は実は (2) だから考えない。
定義しちゃった以上、定義してないものを言われても困るというもの。 《アメリカで逆順だから(2)が可換だ》というのは、 アメリカでは右側通行だからは両側通行が正しいということと同じレベル。
;; 念のためだけど、ニュートンのラテン語も訳して貼ったし、19世紀の英語の定番の教科書も貼った。高木の教科書も2種類貼った。
数教協の立場だと、(1)(2)(3) がすべて数学の式。つまり、次元のある量のかけ算をしていて、無次元量はRと同一視される。 純粋数学以外の人は、この立場のはず (けど、これ数学的にはけっこうやっかいな体系であまりきれいではない)。 このとき、可換にしないと数学的には面倒。
数学的には (1)しか認めない、(1)(2)しか認めない、(1)(2)(3)全部認めるの、どれでも展開はできる。
ここまでが数学の話で、ここからが数学教育の話。
応用を考えていくと、(1あたり量)×(いくつ分) + (1あたり量)×(いくつ分) + …… というのがよく出てきて、 それを (1あたり量, 1あたり量, ……) t(いくつ分, いくつ分, ...) という行列のかけ算で将来はあつかうことになるし、 Σf(t)Δt → ∫f(t)dt という積分にもつながる。 それをみこして、かけ算に (1あたり量)×(いくつ分) という意味をみておこうというのが数教協。 そういう教育をするために、正方形のタイルを数に対応させ、 正方形のタイルで長方形を作って、「かけわり図」を描いている。 それによりシェマ(半抽象物)でイメージ操作をできるようになって欲しい。
「かけわり図」は、日能研が「面積図」として広げているものと同じで、これで鶴亀算が難問からふつうの応用問題になった。 縦に1あたり量、横にいくつ分をとって長方形を描く。 この「イデオロギー」を知っていれば中二の食塩水だって乗り越えられる(はず……なんだけど、なかなかねえ)。
しかし、[1] 数学の妥当性と数学教育の適切性は別、[2] 数学の妥当性は公理と定義によって違う、 という2つのことを理解してない人がなんでこんなにいるの? [1] でからんでくる人たちが日数教と数教協の立場の違いを理解できないのはしかたないとしても、 [2] でからんでくる人って、自分のイメージしている数学以外に数学があることをなぜ理解してくれないの?
;; 高校時代に、フレーゲの自然数概念とか、クロネッカーの構成主義とかを数学の授業でやる先生がいて、 人生の方向性がメタへとズレはじめたのだと思う……。
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次の3タイプの式がある。
日数教の立場は、(1)と(2) が算数・数学の式で、(3) は (2) にすぎないというもの。
(1),(2),(3)はどこで定義されているの?って話だわな。
初っ端からダメダメな文章で、以降全く説得力がないわ。