taggaの日記: [映画] 暴力をめぐる対話
Dufresne, David (dir.). 2020. Un pays qui se tient sage. Jour 2 fête. https://movies.yahoo.co.jp/movie/384282/
フランスの「黄色いベスト」運動における暴力について、映像をもとに当事者で対話をしようとした試みと、体制側による拒否。
日本の報道では「黄色いベスト」運動の暴力に焦点があてられがちであったが、実際には体制側の暴力も、というより、こそが問題であった。 M. Weberを下じきにした英題 The Monopoly of Violenceで示されるように、近代国家は暴力装置を独占し、体制側の暴力のみに合法性 légalité があるとした。 しかし、「民衆の暴力的な抵抗」の神話を体制の根拠とするフランス政府が、民衆の抵抗を暴力で弾圧することに正当性 légitimité はあるのか、ということが問題になる。
仏題のUn pays quis se tient sage は《お利口にするくに》というような意味である。se tenir sage 《お利口でいる》 という表現が、 2つの場面で象徴的に出てくる。 1つ目は「郊外」(労働者階級 and/or 移民とその子孫が住む地区)で高校生が集団で予防的に拘束され、頭の後ろに手を組ませ跪かせられ続ける場面での 警官の台詞 Voilà une classe qui se tient sage 《これがお利口な学級ってもんだ》である。 「黄色いベスト」運動への体制側の暴力が「郊外」で起こなわれている体制側の日常的な暴力の延長であり、それが可視化されているにすぎないことが明らかにされる。 2つ目は「黄色いベスト」運動が「暴動化」したところでの落書きでの「お利口なブルジョワジー」というものだ。 むしろこれは「黄色いベスト」運動に参画している人々が言われていることの裏返しになっている。
サルコジ政権から明確化してきたフランスの民主主義の後退は、 いっけん社会リベラル的とされるマクロン政権でも継続している。 というより、マクロンは、社会リベラルの言説を表に出しながら、それを裏切り、ネオリベラルかつ共和主義的な政策を進めている。 そこでの「秩序 ordre」の重視が、「下」への暴力として表出されている。
;; Bloggerに書いて、こっちにも貼った。
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