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数学

taro-nishinoの日記: 数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明

日記 by taro-nishino

前回紹介した"ABC予想の壮大な証明をめぐって数学の巨人達が衝突する"はもちろん一般大衆向けの記事です。数論、数論幾何学、IUTT(宇宙際タイヒミュラー理論)のいずれかの専門家なら、そんな記事を読まなくても、そこまでに至る経緯は十分に承知しています(何故なら自分達の飯の種を左右する問題だから)。その方面の専門家でなくても数学研究者なら数学コミュニティ又は数学界を通して大概の経緯を聞き及んでいます。
私の身辺(私の友人共はすべて何らかの形で数学研究に携わっているので、それらを除きます)でその記事を読んだ感想は"そんなに拗れるのは不思議だ。もっと経緯を知りたい"というのが多かったです。その身辺の彼/彼女等はもちろん素人衆ですので、望月新一博士の名前も報道でしか聞いたことがないし、数学で何故これほどまでもつれるのか不思議でならないそうです。彼/彼女等は至って真面目です(何故こういう事を書くかと言うと、素人衆と言っても千差万別で、中にはネット上で国家高揚か日本民族高揚のために望月博士のことを書いているとしか思えない不逞の輩がいるからです)。そこで、それらの真面目な人達のために今回紹介するのは2015年10月のNature誌に載っていた"The biggest mystery in mathematics: Shinichi Mochizuki and the impenetrable proof"です。
何故これを選んだかと言うとエンターテイメント性があり、素人衆でも面白く読めるだろうと思ったからです。但し断っておきますが、いろいろな数学者の証言を繋ぎ合わせて望月博士の心情を勝手に推測するのははっきり言って妄想であり、さすがエンターテイメント性を重視して堕落したNature誌だけのことはあると私は思いました(あのSTAP論文を掲載したことも記憶に新しいでしょう)。
その私訳を以下に載せておきます。

[追記: 2018年10月6日]
この記事は2015年12月に行われたオックスフォードでのワークショップより前の話です。このワークショップは望月論文に関する初めての国際的な会合で、この記事でもこのワークショップにかなりの期待を寄せているところで終わっています。
しかし、いろいろ評価が分かれるけれども、私が聞く限り、このワークショップは大失敗だと言う人が多いです。実際、私の海外の知人の一人がワークショップに参加しており、ボロクソに言ってました。
このワークショップを境に、海外特に米国では望月論文を理解しようとする熱意が急速に薄れたように感じますし、ショルツ、スティックス両博士の異議申し立てが出るまで実質何の音沙汰もない状態でした。

[追記: 2018年10月7日]
このNature誌の記事を読んだ海外の知人の一人は以下のことを書いて来たことを思い出します。

Were he to be conscious of Grothendieck and his school, Mochizuki should write such tremendous numbers of expository documents as EGA, SGA, and so forth. I completely agree with what Faltings meant in this article.
I have no choice but to say that it seems as if Mochizuki had a one-track mind.

私も同感です。

数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明

日本人数学者が彼の分野で最も重要な問題のうちの一つを解いたと主張している。困ったことに、彼が正しいのかどうか殆ど誰も分からないことだ。

2015年10月8日 Davide Castelvecchi

2012年8月30日の或る時、望月新一は静かに彼のウエブサイトに4つの論文をポストした。
論文は膨大(総計して500ページを超える)で密に記号が詰められており、10年以上の孤独な研究の絶頂だった。それらの論文はまた学界の突発的事件となる可能性を持っていた。論文の中で望月はabc予想を解いたと主張したabc予想は数論において他の誰も解決に近づかなかった27年目の問題だった。彼の証明が正しければ、今世紀で数学の最も驚異な業績となるであろうし、整数を持つ方程式の研究を完全に変革するであろう。
しかし、望月は自身の証明について騒ぎ立てなかった。その有名な数学者は日本の京都大学数理解析研究所(RIMS)で研究に従事しているが、自身の研究を世界のどの仲間にも知らせなかった。彼はただ論文をポストして、世界が見つけるのを待っているのに過ぎなかった。
おそらく論文群を最初に注目したのはRIMSで望月の同僚である玉川安騎男だった。他の研究者達と同様に彼は望月が何年間その予想について研究していて、とうとう研究を終えたことを知った。同じ日に玉川は彼の共同研究者の一人である英国ノッティンガム大学の数論学者イヴァン・フェセンコにそのニューズを電子メールで送った。フェセンコはすぐに論文群をダウンロードし読み始めた。しかし、彼はすぐに"当惑した。それらを理解することは不可能だった"と言う。
フェセンコは数論幾何学という望月の分野の何人かのトップエキスパートに電子メールした。証明の知らせは急速に拡がった。数日内に、熱のこもったおしゃべりが数学ブログやオンラインフォーラムで始まった(Nature http://doi.org/725; 2012を見よ)。だが、多くの研究者達にとって証明に関する早期の意気揚々が急速に懐疑へと変わった。すべての人々(専門分野が望月のものと最も近い人々さえも)はフェセンコと全く同じように論文群に面食らった。証明を仕上げるため望月は彼の分野でも新しい分科をこしらえたが、純粋数学の水準においてさえも驚くほど抽象的なものである。"それを見れば、未来からの、または宇宙からの論文を読んでいるのかも知れぬとちょっと思える"とウィスコンシン大学マディソン校の数論学者ジョーダン・エレンバーグは論文出現の数日後にブログで書いた。
3年間ずっと望月の証明は数学的に未決定のままである。つまり、広くコミュニティによる誤りの指摘も無く、そして認められてもいない。望月は彼の研究を理解出来るために数学の大学院生が約10年かかるだろうと見積り、フェセンコは数論幾何学のエキスパートですら約500時間かかるだろうと考えている。今のところ、証明全体を読めたと言っている数学者は4人しかいない。
望月彼自身が謎に拍車をかけている。彼は今のところ日本で日本語のみでしか研究を講義していない。英語が達者にもかかわらず、彼は他のどこでも研究についてのトークの招待を辞退している。彼はジャーナリスト達に話さない。このストーリーに対する多くのインタビューの要求が無回答だった。望月は他の数学者達からの電子メールに返事し、彼を訪問する同僚達には協力的であるが、彼の唯一の公けの入力はウエブサイトにおける散発的なポストだけである。2014年12月に彼は彼の研究を理解するためには"研究者達にとって頭脳にインストールされて長年当然だと思っている思考パターンを作動させない必要性"があると書いた。ベルギーのアントウェルペン大学の数学者Lieven Le Bruynにとって、望月の姿勢は傲慢に思えた。"それはまさに私なのか、それとも数学コミュニティに対して望月は実のところ中指を立てているのか?"と今年の始め彼はブログに書いた。
今、そのコミュニティは状況を整理しようと企てている。12月にアジアの外で証明に関する初めてのワークショップが英国オックスフォードで行われる予定だ。望月は本人自らはそこにいないが、スカイプを通してワークショップからの質問に答えても構わないそうだ。オーガナイザー達は議論がより数学者達に望月のアイデアへ馴染むための時間を投資する刺激になり、望月が有利になるように望んでいる。
最近の検証レポートの中で望月は数論幾何学に関して彼の理論の現状は"人間社会における純粋数学の現状の一種の忠実な縮小モデルを構成している"と書いた。彼が直面する、彼自身の分野へ彼の抽象的な研究を伝えるという困った状況は、全体としての数学者達がしばしば直面する、彼等の技術をより広い世界へ伝えるという難題を反映している。

初期の重要性
abc予想はabcという数式を調べる。いろいろ少し異なる別形式があるが命題は量abcの各自を割る素数に関係がある。整数は本質的に素数(素数はより小さい整数に分解出来ない)の積として一意に表現出来る。例えば、15=3×5または84=2×2×3×7。原則として、abの素因数は合計のcの素因数と関係が無い。だが、abc予想はそれらを一緒に繋ぐ。大ざっぱに言うと、abc予想は多くの小さな素数がabを割るならば、ほんの少ししかない大きな素数がcを割ると考える。
この可能性は初めて1985年にドイツでのトークの間にフランス人数学者ジョゼフ・オステルレ[訳注: ブルバキのメンバーだった人]によって特別なクラスの方程式に関する即座の所見の中で言及された。聴衆の中に、今はスイスのバーゼル大学でフェローである数論学者デイビット・マッサーがいた。彼はその予想の潜在的な重要性を理解し、後にそれをもっと一般的な形式にして世間に知らせた。今は両者にクレジットされ、しばしばオステルレ-マッサー予想として知られている。
数年後、マサチューセッツ州ケンブリッジのハーバード大学の数学者ノアン・エルキーズはabc予想が本当であれば整数に関する方程式(それらを最初に研究した古代ギリシアの数学者ディオファントスに因んでディオファントス方程式としても知られる)の研究に計り知れない影響を持つであろうと悟った。
エルキーズはabc予想の証明が有名な未解決ディオファントス方程式の膨大なコレクションを一気に解決するだろうと分かった。それはabc予想が解のサイズに明確な限界を置くからだ。例えば、abcは方程式の解のすべてが100より以下でなければならないと示すかも知れない。それらの解を見つけるために、人がしなければならないだろうことは0から99までのすべてについて取り上げ、どれが働くか計算することであろう。対照的にabcが無ければ、取り上げるべき無限の数があるだろう。
エルキーズの研究はabc予想がディオファントス方程式の歴史における最も重要な大成果を取って代わるかも知れぬこと意味する。すなわち、米国の数学者ルイス・モーデルによって1922年に定式化された予想(膨大な数のディオファントス方程式は解を持たないか、または有限個の解しか持たないかのいずれかであると言っている)の確証。その予想は1983年にドイツ人数学者ゲルト・ファルティングスによって証明されたが、彼はその時28歳で3年以内にフィールズ賞(数学で最も熱望される賞)をその研究に対して受賞したものだった。しかし、もしabcが本当なら、どのくらいの数の解があるのか知らないで"それらを全部リスト出来る"とファルティングスは言う。
ファルティングスがモーデル予想を解決した直後、彼はニュージャージー州プリストン大学で教え始めた。そして、しばらくして彼の道は望月の道と交わった。
望月は1969年に東京で生まれたが、子供だった時に家族が米国に移ったので、彼は米国で成長期を過ごした。彼はニューハンプシャー州の一流高校に通い、まだ16歳だった時に早熟な才能はプリストンの数学部門の学部での籍を獲得した。独創的な思考で彼はすぐに伝説となり、直接に博士課程に移った。
望月を知る人々は彼を殆ど神秘的な集中力を持つ人だと言う。"学生の時からでさえ、彼はまさしく起き上がっては研究している"とオックスフォード大学の数学者Minhyong Kimは言う。彼はプリストン時代から望月を知っている。セミナーまたはコロキウムに出席の後、研究者達と学生達はよく共にビールを飲みに出かけたものだったが、望月はそうではなかった。"彼は本来内向的ではなかったが、彼の数学に非常に集中した"とKimは回想する。
ファルティングスは望月のシニア論文と学位論文の指導教官だったが、望月が抜きん出ていることを理解出来た。"彼が素晴らしい才能の人達の一人であることは明らかだった"と言う。だが、ファルティングスの学生になることは容易いことではなかったであろう。"ファルティングスは脅迫的階段のトップにいた"とKimは回想する。ファルティングスは間違いをよく攻撃したものだったし、著名な数学者達でさえ彼と話す時、神経質に咳払いしているのを聞かれた。
ファルティングスの研究は米国東海岸に沿う各大学の多くの若い数論学者達に特大な影響があった。彼の専門領域は代数幾何学だったが、代数幾何学は1950年代以降アレクサンドル・グロタンディーク(よく20世紀の最も偉大な数学者と言われている)によって高度に抽象的かつ理論的な分野に変換されていた。"グロタンディークと比べると、ファルティングスは哲学的思索に対して忍耐強くなかった"とKimは言う。彼の数学スタイルは"多くの抽象的素養を要求しただけでなく、ゴールとして非常に具体的な問題を持つ傾向があった。abcに関する望月の研究はまさにこれをしている"。

融通が利かない
博士号の後、望月はハーバードで2年間を過ごし、1994年に25歳でRIMSでの職のため生まれ故郷の日本へ戻った。長年米国で生活したけれども、"彼はいろいろとアメリカ文化に納得しなかった"とKimは言う。更にKimは付け加えて言う。異国で成長することは数学的に才能を持つ子供であることから来る孤独感を合成したのかも知れない。"私は彼が少しは苦しんだと思う"。
望月はRIMSで活躍した。RIMSは学部クラスを教えるための教員を要求しない。"彼は多くの邪魔無しで20年間自身で研究出来た"とフェセンコは言う。1996年に望月がグロタンディークによって述べられた予想を解決した時、彼の国際的評価を押し上げた。そして1998年に彼はベルリンでの国際数学者会議で招待講演を行った。すなわち、このコミュニティにおいては栄誉の殿堂入りと同義語である。
しかし、望月が尊敬を得た時ですら主流から立ち去っていた。彼の研究は高レベルの抽象的概念に到達し、彼の同僚達にとってますます不可解な論文を書いていった。2000年代の初めに彼は国際的な会合に乗り出すことを止めたが、同僚達は彼がもはや滅多に京都府を出ないと言う。"共同研究者無しに長年に渡って集中出来るためには特別な種類の愛着を必要とする"とカリフォルニア州スタンフォード大学のブライアン・コンラッドは言う。
望月は数論学者仲間達と交流を続けたが、彼等は彼が最終的にabcを狙っていることを知った。彼は殆ど競争が無かった。他の数学者達の殆どが問題を手に負えないと考えて避けていた。2012年の初めまでに望月が証明に近づいているという噂が飛んでいた。そして8月のニューズが来た。すなわち、彼はオンラインで論文群をポストした。
翌月、フェセンコが静かにおおいを取られた研究について望月と話す日本以外からの初めての人になった。フェセンコは既に玉川を訪問する予定だったので、望月にも会いに行った。望月のオフィスで二人は土曜日に会った。オフィスは近くに大文字山が見える広々とした部屋で、本と論文がきちんと整理されていた。"私の人生で会ったことのある数学者のうちで最もきちんとしたオフィス"だとフェセンコは言う。二人の数学者達は革の肘掛け椅子に座りながら、フェセンコは望月に彼の研究と次に起きるかも知れないことに関して質問を浴びせかけた。
フェセンコは望月にもう一人別の数学者、すなわちロシア人位相幾何学者グリゴリー・ペレルマンの経験に注意するよう警告したと言う。ペレルマンは100年のポアンカレ予想( Nature 427, 388; 2004を見よ)を解決した後で2003年に名声を得た。それからは退却し、ますます友人達、同僚達、外側の世界と疎遠になった。フェセンコはペレルマンを知っていたので、二人の数学者達の性格が全く異なることが分かった。ペレルマンは無様な社交性(と指の爪を伸び放題にさせていること)で有名だった一方で、望月は一般的に言葉使いが明瞭で友好的ある(研究外の生活に関して極めてプライベートであれば)と言われている。
通常、主要な証明が発表されると数学者達はその研究(通例、数ページの長さ)を読み、一般的な戦略を理解出来る。時には証明が長くもっと複雑なら、指導的専門家達が十分に調べ、それが正しいという合意に到達するのに長年経過するかも知れない。ポアンカレ予想に関するペレルマンの研究はこのようにして認められた。グロタンディークの高度に抽象的な研究の場合でさえ、彼の新しいアイデアを専門家達は馴染みの数学オブジェクトと関係づけることが出来た。一旦埃が収まれば、ジャーナルは典型的に証明を発表するのみだ。
だが、望月証明に取組んだ殆どすべての人々があっけに取られている自分達に気づいた。一部の人々は望月が新しい理論的指図を述べるために使用している広範囲にわたる(殆ど救世主的)言語に困惑した。彼は自分が創った分野を"宇宙際幾何学"とさえ呼んだ。"一般的に数学者達は非常に謙虚だ。自分達のしていることが宇宙全体の革命とは言わない"とパリのピエール・マリー・キュリー大学[訳注: 因みに言うと元パリ第6大学のこと]のオステルレは言う。彼も証明のチェックが殆ど進まなかった。
その理由は、望月の研究が以前に行われていた何事からも今まで取り除かれていることにある。彼は集合論(多くの人はベン図でお馴染み)における基礎から始めて根底から数学を再構築しようと企てている。そして、殆どの数学者達はその研究を理解すために必要な時間を投資することに明確な見返りが分からないから躊躇っている。すなわち、望月が拵えている理論的仕組みがどのように計算に使われるのか明らかでない。"私はそれらのいくつかを努力して読もうとしたが、ある段階で諦めた。彼がしていることを私は分からない"とファルティングスは言う。
フェセンコはこの一年間に渡って望月の研究を詳しく研究して来て、2014年の秋に再びRIMSへ望月を訪問し、今や証明を確認したと言う(確証していると言う他の3人の数学者達も日本において望月の傍でかなりの時間の研究を費やしている)。フェセンコが言うように、宇宙際幾何学の包括的なテーマは整数を異なる視点で調べなければならないことだ。つまり、加法には触れないで、乗法構造を柔軟で変形出来る何かと見なす。その時、円が楕円の特別な場合であることと同様に、標準の乗法は構造の族の特別な場合に過ぎないであろう。望月は自身を数学の巨人グロタンディークと比べているとフェセンコは言う。"私達は望月の研究以前の数学を持っていたが、今や私達は望月の研究以降の数学を持っている"という主張は不遜ではないとフェセンコは言う。
しかし、これまで研究を理解している少数は他の誰かにそれを説明しようと苦闘して来ている。"私が知る人でこの専門に近い人すべては非常に論理的であるが、それを伝えようとすると途端に出来なくなる"と名前を明らかにしたくない一人の数学者は言う。その状況は世界の面白いジョークをメモするライターについてのモンティ・パイソン寸劇を連想させると彼は言う。それを読む誰もが笑い転がるが、他の誰かにそれを説明出来ない。
そして、それが問題だとファルティングスは言う。"素晴らしいアイデアを持っているでは十分ではない。それを他人に説明出来なければならない"。望月が自身の研究を認めて欲しいのならもっと手を伸ばすべきだとファルティングスは言う。"人は欲するだけ風変りである権利を持つ。彼が旅行したくないなら何の義務も無い。彼が認知を欲しければ妥協しなければならない"と彼は言う。

道理の限界
望月にとって、クレイ数学研究所がオックスフォードで待望のワークショップを主催すると言った今年遅くに事が向きを変え始めたであろう。ファルティングス、Kim、フェセンコ(Kimはフェセンコと並んでオーガナイザーの一人だ)を含む、その分野の著名人達が参加を期待される。Kimは数日の講義は理論全体に触れるには十分でないだろうと言う。しかし、"ワークショップの終わりに十分な人達が証明を読む努力を払おうと納得するだろうことを望む"と彼は言う。
殆どの数学者達は何らかの解決を見るためにもっと年月を要するだろうと予期する(望月は論文群をジャーナルに提出しているが、そこでおそらくまだ検討されているのだろうと言う)。結局のところ、誰かが厭わずに研究を理解することだけではく、他人にもそれを理解しやすいようにすることを研究者達は望んでいる。問題は、その人になりたいと殆どが思わないことだ。
将来を考えると、未来の未解決問題が複雑で手に負えなくなるだろうとは思わないと研究者達は考える。エレンバーグは新しい数学分野において定理を述べるのは簡単で、証明はかなり短いと指摘する。
今問題は望月の証明がペレルマンのものがやったように承認へじりじり進んでいるのか、それとも異なる宿命を見るのかどうかである。一部の研究者達は教訓となる話をインディアナ州ウェストラファイエットのパデュー大学の定評ある数学者ルイ・ド・ブランジュのそれに見る。2004年にド・ブランジュはリーマン仮説(多くの人が数学で最も重要な未解決問題と考える)の噂されている解決を発表したが、数学者達はその主張に懐疑的なままであり、多くが彼の型にはまらな理論と特異な書き方に嫌気を起こしている言い、証明は見えないところに行っている。
望月の研究に対しては"全てか無かではない"とエレンバーグは言う。たとえabc予想の証明が上手く行かなくても、彼の手法とアイデアは数学コミュニティを通してゆっくり染み通り、研究者達は他の目的にそれらが役立つと分かるかも知れない。"私の望月に関する知識に基づけば、それらのドキュメントの中に面白いか、または重要な数学がある可能性が非常に高い"とエレンバーグは言う。
しかし、まだ違う方向へ進むリスクがあり、"望月の研究ついて私達が忘れるなら、非常に間違っているだろうと思う。それは悲しいだろう"と彼は付け加えて言う。

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普通のやつらの下を行け -- バッドノウハウ専門家

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