tarosukeの日記: クリエイターと呼ばれる人達には 3
日記 by
tarosuke
たいていは下積み時代というのがあるだろうが、この間にレーベルなどの「ユーザにリーチするための組織」の方を向くのではなく、むしろユーザそのものの方を向くと早くユーザにリーチできて幸せなんじゃなかろうか。決裁代行サービスだってあるわけで。現状は「檻の鍵は外れているのに檻の中の猛獣はそれに気付いていない」状態なんだと思う。
そういう意味で「ユーザにリーチするための組織」が既存モデルに固執している(=鍵が外れていることに気付いていない)ことはむしろ幸いで、そんな奴等はほっとけばいいのかも。
下積みだからこそ組織や師匠の庇護が必要 (スコア:1)
「下積み」時代にコンテンツを作ってそれを飯の種に出来るか、というと疑問があります。
趣味として仕事の傍ら何かしらのコンテンツを作っていく、というパターンはあるでしょうが、本業として「クリエイタ」を目指す場合、どこかの組織に属さないと、そもそも明日のご飯に困ってしまうわけです。そして「お金を払ってもいい」と思わせるコンテンツは、今の時代、一人で造れるものではありません(漫画や音楽系は別でしょうが…)。もし「組織にとらわれない作品作り」を志す複数の人々が、たとえばネット上で公開する(そして課金する)モデルでコンテンツを作ることにしても、最終的にはその団体は「会社」という組織に変革していくでしょう(法人格を持っていたほうが社会的に動きやすい、あるいは収益を一時会社のものとした後に分配したほうがトラブルがおきにくい)。そして結局その組織は会社としての諸経費を収益の中から取得し、さらに自らの著作物を全力で保護しようとするでしょう。
多くの人が「クリエイタたるもの、作品を見てもらってナンボ」という論調があり、もちろんそれは正論なのですが、クリエイタ側にも「生活」という生くさい現実があります。
今でもネット上にいろんな「作品」と呼ばれるものが公開されていますが、無名のクリエイタたちが作った物を見て、100 円でも 200 円でも払った人がいるでしょうか?あるいはそういう人たちが居たとして、それが世間一般と同等のレベルの生活を送れるほどの収益でしょうか?
「クリエイタたるもの、作品を見てもらってナンボ」が社会的に成り立つためには、「閲覧者たるもの、お金を払ってナンボ」という、見られる側と見る側のバランスを抜きにしては語れないと思います。
ん? 俺、今何か言った?
Re:下積みだからこそ組織や師匠の庇護が必要 (スコア:1)
誤読1:
わざわざ「ユーザへのリーチのために存在する組織」と区別している通り「ユーザへのリーチのために存在する組織」にはクリエイター集団のようなものは含まれておらず、また「クリエイター」を個人に限定した覚えもありません。
誤読2:
ここでは「下積み」が「(ユーザへのリーチがなく)採算が取れてない状態」を想定してるので、「下積み」では「生活がかかっている」というのは該当しません。例に挙げた「漫画や音楽系」にはそれに顕著に当て嵌まってますし、もともとそういうのを中心に想定してます。もうちょっと一般化すると「最初から見て貰えるクリエイターなどほとんどいない」ので、「最初は誰にも見て貰えないがユーザへのリーチを獲得してやっと見て貰えるようになる->採算ラインに乗る」というモデルを下敷に話を進めているのです。
# 1で述べてるようにこの波を埋めるためなどの理由で組織化することに異論はありません。
でですね、
>無名のクリエイタたちが作った物を見て、100 円でも 200 円でも払った人がいるでしょうか?
>あるいはそういう人たちが居たとして、それが世間一般と同等のレベルの生活を送れるほどの収益でしょうか?
前者については、そもそもそういう窓口が存在する事自体がそれほど多いことではない。と言っておきます。また、後者については、脱税で捕まる程の奴もいなくはない。とか言っておきましょう。前者にはそのような場がなく、後者にはそのような場があったので、そういうインフラが目的と結び付いた場の成否が鍵になると思います。
なので、
>「閲覧者たるもの、お金を払ってナンボ」
が成立していないというのは、そのあたりを隠してきた広告依存のビジネスモデル周辺の話であり、そこから少し離れるとこれは成立しているように思えます。映像にしても月極ペイテレビがまがりなりにも成立しているわけで。また、そこで逆に広告依存のビジネスモデルを継承することも、両者を混合することも可能でしょう。
Re:下積みだからこそ組織や師匠の庇護が必要 (スコア:1)
おそらく、tarosuke さんが「漫画や音楽系」を中心に話をしていたのに対し、私が「映像業界」を中心に話をしたのが一番の誤解の元なのでしょう。個人で創作活動が成り立つ業界では、新しい収益モデルを目指す「フットワークの軽さ」が採れるでしょうが、(お金が取れるほどのクオリティの作品を作るとすれば)多数のクリエイタが集まらなければならない映像業界は、なかなか既存のビジネスモデルからの脱却は容易ではありません(こういう考え方が古い言われればそれまでですが)。
可能であれば作り手側と鑑賞側が直結していることが一番なのは異論はありません。理不尽な中間マージンがありませんし、作り手側もダイレクトに自ら制作したものへの反応を受け取ることが出来ますし。
#ここからは今回の論旨とは違うようなので別枠として受け取ってください。
(前段で言ったように)映像作品には大量の資金が必要です。こういう業界では「誰が資金を出すか」が重要で、「既存のビジネスモデル」に支配されているテレビ局やその資金源となっているスポンサー(と仲介を行う広告代理店)、あるいは配給会社である場合がほとんどです。で、テレビ局なり配給会社はすでに「ユーザにリーチしうる」手段を確立しており、実際の映像制作を行う組織が資金の提供を受けるだけではなく、これらの「リーチする手段」を利用するのは必然的といえるでしょう。逆に利用しなければ資金をペイするだけの売り上げは見込めません。そして、多くの映像制作の会社がこの「もちつもたれつ」のしがらみの中で生き残っているわけです。
>月極ペイテレビがまがりなりにも成立
ここら辺にはちょっと疎いのですが、ペイテレビのプログラムって、海外番組や既存アニメ、映画の二次使用が多くありませんか?その点、既に収支において損益分岐点を越えた映像が多いと思いますし、ユーザと制作者との関係は(通常のテレビ局より)薄いものと思いますが…(誤解かもしれません)。
ん? 俺、今何か言った?