teltelの日記: 遺伝子-バチカン
バチカンで遺伝子組み換え作物の倫理性を討議 というHowered Japan の記事にて。
信仰と科学技術は全く相反しないと思っている。しかし、それは宗教で技術の価値を推し量らない限りにおいてである。これはもちろん、理想論であり、現実にはそうでないことから、やはり、信仰と技術は反する部分があるのかもしれない。まあ、人間においてさまざまな事象は不可分であり、分離すればうまくいくというものでもないが。
閑話休題。上では信仰と書いたが、バチカンは宗教的存在であることは勿論なのだが、むしろそれ以上に政治的存在だ。信仰によって、人々の"行動"に影響を与えられるからであり、カトリックの総本山となればその政治力は、いわずもがなである。だから、バチカンが、"倫理"的にある技術について判断をくだすと、政治的に問題になるのだ。
たとえば、コンドーム。(もうこれなんかは、さすがに認めてしまった方が楽になると思うのだが。) 明らかに、リーズナブルだし、性病にも効果があるし、(感覚が異なることを除けば、)いいことづくめなんだけど、"神"理論による演譚では利用しては"いけない"ことになる。(そうか、ヨーロッパでスペインのAIDS 感染率が高い 理由はこれか!! #もちろん、嘘です。)
遺伝子組み換え食品について議論したそうだが、バチカンは政治力があるために、政治から自由でもない(もちろん、自由であればいいというものでもない)。先進国にとっては、この先の経済の運命を司る技術だけに、関心は高いだろう。アメリカに先んじられているEU は、そのために禁止したんじゃないかと思うくらいだ。援助や、圧力いろいろあったと想像できる。
さあて、問題はどういう結果をだすか、である。コンドームもダメなんだから否定的かもしれないと思うが、人間は"creature" を統べる存在である、とするキリスト教の世界では、人間以外に関してはかなり寛容であるがゆえに、肯定的になりそうでもある。で、これらはいくらでも理由づけできる。ということはやはり政治的に判断したほうが得で、結果に対する見通しが必要である。(バチカンが、政治の判断をせずにいたことがあろうか。)背景の評価をして、(あとはいくら得られるかを)考えて結論してくるはずである。
結局、政治であり、技術の倫理をみている訳ではない、というつまらん結論に思いいたってしまったので、おわり。
いや、つまり技術そのものは当然ながら倫理では測れない、ってことなのよね。(毒の利用は"悪"でも毒の研究も必要!) 倫理で与えられるのは行動規範だから。行動に対する影響、という意味で個人的に技術と倫理はリンクするんだけど、現実宗教によっては、規範が政治的に決定、利用されている。と言うことを考えて、宗教とつきあっていこうね。強力な政治力のあるのは特にね。
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