teltelの日記: コピーは電気の神の降臨をみるか 2
グレッゲガン、ことGreg Egan の
順列都市 (Permutation City) 読了。
イーガンの、シミュレートされた人間とは何なのだろうという疑問に対する、偏執的なまでの情熱には頭が下がります。つまり、コンピュータでも何でもいいのですが、その上で行われる人間のシミュレーションは、人間なのか、そこには意識があるのか、魂はあるのか、という問いですね。
完璧なシミュレーションなどありえない、という立場であれ、そもそも一人の人間が無限時間存在するのではないので、1人の一生程度の規模で誤差の小さいシミュレーションであれば、この問いは有効です。もっと広範には、局所的に存在するシミュレーション、それはつまり、ある人のある時点での状態から始まる短時間のシミュレーション、の時にも考えなくてはならない問題です。
コンピュータ上で、人間がシミュレーションできるとすると、非常に面白いことになります。一旦分岐した自分、シミュレート元の自分とコンピュータ上の自分と、自分が2人存在するのです。もし、周辺環境もシミュレートされてきっちり作りこんであった場合、シミュレーションの自分は、自分がシミュレーションだと認識できるでしょうか。痛めつけられて、死ねるでしょうか。シミュレーションが終了するときに、シミュレートされた自分は、死を意識するでしょうか。
もちろん、イーガンはこんなテクニカルな事を考えるために、この問いを発している訳ではないのです。ある程度シミュレートされた人間は、小説中ではすでに人間です。自意識もあり、喜怒哀楽し、考え、行動する個人です。そうすると、逆に人間とは何なのか、タンパク質で構成された演算素子上で実行されているこの自分は、意識は、魂とは一体なんなのか、という問いになるのです。
イーガンは、メインの仕組みであるコピーについて、非常に精緻に考えています。コピーは自分と同一からスタートするが、別の人間である、としてです。それは、ある瞬間の自分をコピーしても、シミュレートされた自分は、実体(?) の自分とは同じ経験をするとは限らないので、別の人間なのです。もちろん、コピーの経験をフィードバックできればその限りではないのですが、コピーは、状態をコピーしているのであって、経験をコピーしているのではないので、diff をとってmerge する、というのは難しいことになります。コピーに同じ経験をさせた場合には、同じ(ような)状態になると予想されますが、この場合、merge しても意味がありません。順列都市の世界では、シミュレート上の世界は現実世界と同一ではないので、同じ経験もできないのです。別の運命をたどるのは、物語の最後でも明らかになるのですが。# ネタばれ??? あんま関係ないよね。
コピーに人格を認めたときに、さらに面白いことになるのですが、紙面も尽きたので、これまで。
部活動オツカレさまです。 (スコア:1)
(過去ログ倉庫なのでアーカイブにリンクしました)
Re:部活動オツカレさまです。 (スコア:1)
なんつーか、2ch らしいというか。
深夜のだべりみたいで好きです。