teltelの日記: マンガと差別 1
うーむ。マンガやアニメにはそもそも差別が内包されているという話は、あまり意識されていないのかなぁ。と昨晩思い知った…。
そもそもマンガが好きだったりしたら常識なんだと思っていたよ。
もう誰だか忘れてしまったけど、マンガ家さんの自伝かなんかで、とにかく人とは違うマンガを描こう、となる。すると、誰でも思いつくのは、まずキャラクターで意表を突こう、と進む。たとえば主人公が格好良くなくて敵がイケメンとか(今ではありふれているが)、枯れ枝みたいなスタイルなのにパワフルとか、メガネなのにスポーツマンとかいろいろあり得るわけだ。あるいは全然美人でも目立つでもない絵でヒロインとか、やろうとするわけだ。しかし、そうすると担当からストップがかかる。マンガはとにかく、絵でキャラクターがある程度規定される表現だから、意表をつく設定はダメ!!ってね。これは逆に考えるとキャラの見かけや属性で性格や行動がきまっている、そういう表現なんだ、ってことで、現実世界で見かけや属性で人の性格やら行動を判断したら(いや普通にありえるけどね)それは差別だよね。そのマンガ家さんもちゃんと差別を認識していた。
もちろん、マンガも日々いろいろなものを積み上げている訳で、過去の作品を前提として、そういった常識?、固定概念を破壊しながら来て、いまではあらゆる主人公があらゆる行動をとる作品があるわけだけど、やっぱメインストリームにいるのはそれなりにステロタイプにはまったキャラが活躍してるマンガだよね。長髪ハンサムは優雅に。マッチョはマッチョらしく。グラマー美女はセクシーに。メガネっ娘はメガネっ娘らしく。そこにはメガネで脂汗をかいているオタクな勇者はいないのだ。*メガネオタクが変身して格好いい勇者になる話だったら成立する。ラブやん微妙…。閑話休題。逆に、そういう固定的な概念があるから、そこからはみ出したキャラクター設定がネタになったり個性になったりするわけで。
で、差別を内包している表現だ、って、それが悪い訳じゃなくてマンガの表現としてはしょうがない部分だから、じゃあ差別をどう考えていこうか、ってのは日々考えていくべきだと思うんだけどなぁ。常に差別に踏み込む可能性を持っている訳で、容易に自分はこうだから、差別なんて無い、なんて言ってしまっては残念至極。
まあ、自分はマンガの表現者にはなれなかったけど、やっぱそういうのは考えちゃうなぁ。
あ、ちなみに爆笑問題もお笑いは差別だ!!って言いきっていたから、やっぱり表現ってのは、そういうことを考えながらやっていくもんなんだなあ、ってそこでも思ったのは余談かな。
しかしながら、マンガと他の表現との差については余り評価できていない。実在の役者が演じる映画、TVドラマや舞台芸術にももちろん、属性や見かけによるキャラクターの評価が含まれている訳だけど、じゃあ爆笑問題の太田がイケメンモテモテ役をやったところでうまくいかない、とはならない。そこが演技というものであり、演技はあるステロタイプを利用した技術ではあるけれど、ステロタイプそのものではない。し、役者とキャラクターは分離されている。理論的な問題は切り口の引き出しがないので手に余るが、漠然と、マンガの絵はそもそもデフォルメを用いる以上、人が演ずる表現よりもより差別を誇張しやすいのではないかと思っている。
画龍点睛を欠く、って感じの中身だがつらつらと。
# 蛇足だけど、今の若い子たちはマンガも読めなくなっているらしい。実は、マンガというのは表現としてかなり進化してしまっており、我々には無意識のお約束が沢山ある。とのことらしい。マンガはどこへ行くのか…。初心者向けマンガなんてのが出る日がくるのか。
それは、アレですよ (スコア:0)
" コンプレックス " というものでは。
discrimination か distinction かの違いではなく。