tristanの日記: アラン・ケイ
最近の集中した読書で、一気に視野が広がり、
いかに自分が既成のシステムの常識の枠内で考えてしまっていたかよくわかった。
今日は、「アラン・ケイ」を読んだ。
25年も前の論文でも、アイデアは古さを感じない。
それどころか、Tablet PCが製品化されるなど
技術が追いついてきていているから、今ホットな記事を読んでいる感さえある。
しばらく、この本の思想について考えていくことになりそうだ。
一読に値すると思う。
目からうろこの表現が沢山あった。
今まで読んだ本の中でコンピュータ観が僕と一番近いと思った。
一番、コンピュータでやりたいと思っていることに近いと思った。
僕は、前からコンピュータの表現の可能性はもっと広いはずだと思っていた。
「コンピュータは道具ではない、メディアなのだ」
という言葉は、視野を大きく広げてくれた。一つの財産になった。
コンピュータの表現は、メタファーの塊なのだ。
「とてつもなくナンセンスなものも表現できる」という言葉は示唆的だった。
「コンピュータの世界には、ガリレオやニュートン、
バッハやベートーベン、シェークスピアやモリエールはまだ
出現していない」という言葉の意味が、かなり具体的なイメージとして見えてきた。
音楽との比較も面白い。前から、なぜコンピュータ好きに
音楽好きが多いのか気になっていた。
コンピュータ = 楽器
ソフトウェア = 譜面
それを"演奏"したものは、人間の能力を増幅し、精神を高める。
・目に見えない。
・適切な構造を与えるだけで、単純極まりない素材なのに多くのことが成し遂げられる。
納得
コンピュータの真の存在理由がシュミレーション能力だというのも面白い。
「6歳の子供をまじめにユーザとして考える」というのは、とても大事だ。
ゲームになってしまうが、任天堂が一番できてることなのでは?
「あらゆる点で紙よりも劣らないようにする」
これは突き詰めていきたいことだ。
--------------------------------------------------
僕が思ったこと。
ルネッサンスを代表する作曲家、ジョスカン・デ・プレは、
同時代の人に「音楽の父」などと賞賛されていた。
宗教改革者ルターに 「他の音楽家たちは音に支配されているのに対し、
ジョスカンのみは音を意のままに支配する」と評された。
僕らはまだ、コンピュータに支配されているのではないだろうか。
アラン・ケイ More ログイン